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性別と蟠り 3
この人は。
この人は、どこまで優しいのだろう。
私がアセクシャルかもしれないと悩んで、私が嫌がるかもしれないからと写真を撮ることすら憚って。
雅が一人の男だからこそ、相手がいるのに一人で抜く虚しさもわかる。今まで雅もそうしてきた。裕司もそうだと、なぜ気づかなかったのだろう。
本当は、正直言わなくていいんじゃないかって気持ちがあった。セックスしなくても、気持ちが通じあってるならいいんじゃないかって、私が男でもバレなきゃいいんじゃないかって。
でも、こんな、こんな優しい人を、私は裏切れない。
「私も、言いたいことあるの…」
俯いて小声になりつつも、正座をし、両膝に手を乗せ正直に言う準備をする。きっとこれを言えば裕司は自分から離れていく。それでも、言わなきゃいけないことだ。
今まで行ってきた場所の記憶や会話が脳裏をよぎる。だめよ雅、泣きたいのは裕司の方だ。
「い、今までごめんさない…」
「セックスできないくらいで僕は怒ってないよ。アセクシャルじゃないなら何か理由があるんだろ」
「そんな、単純な理由じゃないの。ただ単にできないとかじゃないの…」
じゃあなんで、と裕司が雅の右手に左手を乗せてくれる。優しい、優しい裕司。さようなら。
「私、男なの」
「…は?」
言った瞬間、スッキリしたのはきっと雅だけだ。裕司は新たに抱えなければならない問題に腹立たしさすら覚えただろう。
「どういう、え、男?」
今まで付き合ってきた男性と同じ反応をされる。すでに雅の目には涙が浮かんでいた。
「そう…今まで騙してきて本当にごめんなさい。私の名前は安倍雅、歴とした男です」
声も元に戻す。本来の声を出したのは久しぶりだ。いつも少し高めの声を出していて、それが板についていた。
裕司は雅の少し低くなった声にびくりと反応し、置いていた手をそっと自分の方に戻す。
「声…」
「こっちが本当です」
「だって、見た目、」
「取り繕ったものです。胸はないし、その、相良さんと同じで男性器もついています」
小刻みに肩が震える。
はは、と裕司がくたりと後ろに崩れ落ちるように倒れる。
「そりゃ、できないよな。男だもんな」
「ごめんなさい…ごめんなさい」
はは、と裕司が乾いた笑いを喉から出した。雅は堪えていたものがぼろりとこぼれ落ちる。泣いちゃだめ、泣いちゃだめなのに。
部屋に雅のひっく、というしゃくりをあげる声と森のざわめきが聞こえる。
裕司はもうなにも言ってこない。
雅は手の甲でメイクが取れるのも気にせず涙を拭き取った。もうここには居られない。雅は自分の荷物の中から出した服をもう一度しまうと、立ち上がって肩にかけた。
その様子を見ていた裕司が、なにしているの、と声をかけてくる。
「っ、帰る準備を」
「誰が帰っていいって言ったの。ってかどうやって帰る気?」
「し…新幹線でも取って」
「今から帰れるとでも?ここ、山奥だよ」
今までの裕司とは違って冷めた声にびくつき出入り口の戸に行く足を止める。
「でも、私男で、裕司…相良さんのことずっと騙してて…こんな私とは一緒にいたくないですよね…?」
「まぁ。確かに騙されてたのはほんとだけど」
裕司が立ち上がって宮子の肩を掴んで自分の方に向けた。裕司は無表情で、宮子の頬を撫でる。
「まさか、別れようとか思ってないよな」
「……」
「図星か」
だって。だって。だって。いろんな言葉が浮かんでは消える。だって、ずっと私は裕司のことを騙してて、と呟きたいのを堪える。これ以上自虐するとまた泣いてしまうかもしれない。
でも、なにか、今までと付き合ってきた人たちと対応が違う。
今まで付き合ってきた人たちは雅が男とわかると騙された、気持ち悪い、と罵り、すぐに別れを切り出してきた。でも彼はまだ雅を罵っていないし別れようとも言ってこない。なんなら別れることを非難されているような気もする…。
裕司は雅の頬から手を外すと、くるりと後ろを向いた。
「とりあえず、風呂入るよ」
「あ、はい…じゃあ、待ってます…」
どうせ帰れないし、帰ったら怒られそうだし、と荷物を畳の上に置く。
しかし雅が言ったその言葉が気に入らなかったのか、裕司が振り返っては?なに言ってんの、と抗議の声を上げてきた。
「君も一緒に入るんだよ」
「……………………………………えっ」
なんで?
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