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自分の気持ち 3
「寝た…?」
顔の近くで花の香りがする。以前“宮子“の髪から同じ匂いがしたことがあるため、おそらくヘアクリームか何かだろうと予想をつける。
でもなんで今それがここに…?薄く目を開けば、雅の手が目の前にあった。ちらり、と手の主の方を見れば、浴衣から私服に着替えた雅がいた。
すぐに起き上がり腕を掴めば雅が声にならない悲鳴をあげて倒れ込んだ。
「お、起きて…っ」
「今起きたんだよ。で、なにしてるんだ」
「……」
雅はバツが悪そうに裕司から目を逸した。顔にはメイクもしっかり施されていて…どうやら帰る気だったようだ。
旅館まではかなりの長い山道を通っている。部屋にかかっている時計を見ればもう時間は深夜だった。この暗い中どうやって帰る気だったのか。だんだん怒りが湧いてくる。
「なに考えてるんだ。ここまでの山道のきつさは知ってるだろ。こんな深夜に行ったところでなにかあったらどうする気だ」
「なにかって、なんですか」
「レイプされたり…」
「私は男です!どうせそんなこと起こらない!」
腕を振り払われる。その腕をもう一度掴み、目の前まで持ち上げる。
「そんなの起こらない?この細い腕でどうやって男を倒して逃げる気だ!」
「そ、れは…」
視線を逸らす雅。自分の体のことは自分がよくわかっているだろう。
雅は細い。いくら男だといってもこの細さでは逃げるには不利だ。それに男は穴があればなんでもいいタチの悪い奴もいる。それをわかっていないのか。
視線を感じて見てみれば、雅は目に涙を浮かべて裕司を睨んできていた。
せっかくメイクした顔を歪ませて、雅はもう一度手を振り払おうともがく。
「お、俺…やっぱり別れ話とかしたくないの。思い出は綺麗なまま取っておきたい…お願い相良さん、離して…もう帰らせて!」
癇癪を起こしたかのような雅に裕司はため息をついて彼を抱きしめた。
「あーもう…」
「な、なにするの。離して!」
「わかった、わかったから。別れ話はしない!」
「なんでそんな、」
「その代わり!」
いきりたつ雅より大きい声を出し止めさせる。
「君がこうなった理由を聞かせてくれ」
最初こそなにってるんだと暴れていた雅だったが、裕司が本気で聞こうとしてるとわかるとおとなしくなった。
二人で座椅子に移動する。
昔の話なんてしても楽しくないですよ、と一言言って雅が話し出した過去はなかなかに酷いものだった。
女の子を望む祖母、ある日突然いなくなった―亡くなった両親、祖父母に引き取られ女として生活する日々。
付き合っても男と分かれば振られ、女として生きれば高飛車だと言われ生きにくい生活。可愛いと言われるのが好きだったこともあって未だに女性でいるべきなのか男性でいるべきなのかわからない自分。未だ監視が続く毎日。
きっと今語られない苦労も多かっただろうと思う。それでも雅は泣きもせず、ただ淡々と過去を話してくれた。
「監視ってのは、どういう」
「一ヶ月に一回は帰ること、二日に一回電話に出ること…最近は監視の目が少し緩んで三〜四日に一回の電話で済んでます。あとは、たまに祖母が来ても必ず家にあげなさいとかもあります」
「拒否することはできないのか」
雅は首をゆっくり振って、そっと上着を肘まで捲り上げる。そこには痛々しいミミズ腫れの痕があった。
「逆らおうとすると、思い出すんです。…知ってますか、割れた茶碗って結構な凶器になるんですよ」
自嘲気味に笑う彼の顔は、当時のことを思い出してか少し引き攣っている。
そういえば“宮子“は決して夏でも短い服を着てこなかった。それは多分…この傷を見られないために。
「もう痛くないのか」
「たまに引き攣れますけど、痛みは全くないです」
「そうか…」
なんていえば良いのか。まさか雅がこんなにもたくさんの秘密を抱えていたなんて知らず、口篭ってしまう。その様子を見た雅は、ほら、楽しくない、と言った。
「じゃあ私、帰るんで」
「は、」
すくっと立ち上がった雅はえらくスッキリした顔をしていた。おそらく今まで溜め込んでいたもの全て吐き出せたおかげだろう。
いやそれよりも、今なんて言った?裕司も同じように立ち上がりまた腕を掴む。
「僕の話聞いてなかったのか?もうこんな時間なんだ、危ないだろ」
「だから、俺は男なんで、大丈夫です」
「ダメだ」
裕司は雅の腕を掴んだまま寝室の方に連れて行くと布団に放り投げた。雅がすぐさま起きあがろうとするためそのままのしかかる。
「なにす、」
「寝ろ」
「嫌です。帰る」
「君、聞いた話だと暴力振るわれることが特に怖いんだろ。もし暴漢にでも会ってみろ、君は動けなくなるだろ」
「それはっ…」
言い当ててしまったようで、雅は視線をうろうろさせて口を開閉しては言葉を探し…最終的にはパタン、と後ろに倒れた。
「…宮子じゃない私なんてもう用済みでしょ…。なんなの、もう」
目を腕で覆い、ブツクサと文句を言う雅。しかし次の瞬間には裕司を押し除けて起き上がっていた。
まだ帰ろうとするのかとおいっと声をかけると振り返って唇に人差し指を乗せてシーっと言った。
「それでなくてもさっきからうるさくしてるんですから。これ以上声上げると誰か来ますよ」
「じゃあ、どこに」
「化粧落とすだけです。…明日肌荒れるのも嫌なんで」
ふいっと顔を逸らすと雅は洗面台に消えて行った。
一人取り残された寝室で、雅の残り香だけがふんわりと香っていた。
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