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たとえ君がなんであろうと 1

   夢を見た。祖母に暴力を振るわれる夢だ。小学校高学年の頃、もう女の子の格好を辞めたいと言った雅に食事中の祖母は激昂し、その場で割った食器で雅の右腕を切り裂いた。  血が流れる光景に祖母はすぐに正気を戻り、ああごめんね、ごめんなさい、と謝る。  けれども謝る理由は雅を傷つけたからではない、女の子の体に傷をつけてしまったからだ。雅は男だというのに。 祖母の異常性を理解した雅はその時に抵抗するのをやめた。  そんな最悪な夢を見て目が覚めた。どうしてそんな夢を見たんだろう、と思い起こしてみれば裕司に腕の傷を見せたんだったと思い出す。  裕司…もう男とわかった雅に用はないはずなのに、なぜか帰ろうとすると怒ってきた。なんでそんなに怒るのか、雅には理解できなかった。  そうそう暴漢なんて出るわけないし…男の雅をわざわざレイプする輩もいないだろうに。でも…確かに未だに暴力は怖い。  そういうシーンのある映画やドラマは見れないほどだ。でもまさか裕司に当てられるなんて思っても見なかった。  そんなことを思いながらゆっくり目を開ければ、目の前に裕司の顔。 「?!」  あまりの近さに驚いて体を起こせば、裕司の手が雅の腕に絡みついている。  そういえば昨日の夜、メイクを落としに行った雅を信用できなかったのか裕司は雅が寝室に戻ってきた時に起きていて、そのまま腕を掴んだまま寝られたのだった。 絶対体凝るのに。 「……」  裕司の寝顔なんて初めて見た。というかお泊まり自体付き合ってきて初めてである。  今までは夜の行為を避けるために徹底的にお泊まりを避けてきた。それも…今回で終わりだ。裕司は別れ話はしないと言ってくれたが、実際は別れることになるだろう。  大好きだった。本気で愛していた。でももうおしまい。  また涙が出そうになって指で拭っていると、裕司が、ん…と声を出して目を開けた。急いで顔を逸らす。裕司が起き上がって、自分の指が雅の手に絡んでいるのを見て頷いた。 「ちゃんといるな」 「…腕掴まれてたら流石に帰れませんから」  憎まれ口を叩いても反応はない。昨日雅の性別を話してから裕司はどこかよそよそしい。それはそうだろう。なにをどう説明しても、所詮は“騙して“きたのだ。  そのことがネックになってきっと裕司は今まで通り雅と接してはくれないだろうことはわかっていた。それに…裕司はもう、雅の名前すら呼んでくれない。 「朝になったんで帰ります。昨日今日とありがとうございました」  昨日から往生際が悪いことはわかっている。でも裕司の口から別れることを告げられたら本気で死んでしまいそうで嫌だった。  もうさっさとタクシーを呼んで化粧して帰ろう、服は着替えたままだし、と立ちあがろうとするとするりと裕司の手が腕から離れてくれた。  深夜中触られていたせいか、そこは軽く痕になってる。普段であれば痛いよもう、なんて軽口を叩くのだが今はそんな状況ではない。  無言でカバンから化粧ポーチと鏡をを取り出しローテーブルの前の座椅子に座る。男の自分の顔を見られるのは嫌だし、なによりもう化粧がないと違和感がある体になってしまった。  この生活からいつか抜け出すことはできるのだろうか。そんな思いでいると、立てた鏡越しに裕司と目が合った。メガネをしていない裕司は物珍しい。 「なぁ」 「なんですか」  まだ何かあるのか…下地をつけながら彼の言葉を待つ。裕司は肩肘をあぐらのかいた足に乗せその手の甲に顎を置いていた。  まるでロダンの考える人の像の格好だ。そして考えがまとまったのか顔を上げ雅を見つめた。 「君、これから帰る以外に予定あるの?」 「ないですけど…一応明日も休み取ってますし」  なんだろう。一日かけて私がこれまで騙してきたことについて説教でもされるのか。それが怖くて振り返れずにいると、裕司が口に出したのは意外な言葉だった。 「それなら水族館行こう」 「は?」  思わず地声が出たのは仕方ないと思う。でも裕司は平然としていた。確かに昨日食事のためにサービスエリアに行った時に話し合って水族館に行くことに決めている。 でも、はぁ? 「い、いやいや、待って。今私たち別れるか別れないかの瀬戸際にいるんですけど。行っても気まずいだけなんですけど!」 「でももうチケット買ってしまったんだ」 「いつ」 「昨日話し合ったあと」 「……」  そういえば食べ終わった後裕司がトイレに行くと言ってなかなか帰ってこなかった。ということはその時にでも買ったのだろう。  スマートに買ってかっこいいと言われたかったのだろうか。当日チケットをキャンセルなんてできないだろうし、行くしかないのだ。この状況で。でも悪あがきはする。 「お金返すんで、行きたくないですって言ったら?」 「…僕は今まで騙されていたわけだ。なのに僕の言うこと聞けないと?」  それを言われてしまえば、言うことを聞くしかできない。雅の罪悪感を利用しているのだろう。    こんな意地悪な部分もあるのだなと初めて知った。 「わかりました…行きましょう。少し待っててください」 「わかった。まだ朝早いしゆっくりでいいよ」  雅は頷き、コンパクトからパフを取り出した。

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