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第15話

 ぼくは麻野のうちを出たその足で、成瀬のうちに来ていた。呼び鈴を鳴らすと少しして、いつみが顔を覗かせた。いつみは成瀬妹によく似て、割とかわいらしい顔をしている。その割にがさつで、男を怖がらせる術を実の兄で編み出したという恐るべき15歳だ。成瀬妹が着ていたニットのワンピースを纏っている。 「成瀬はいる?」  ぼくが尋ねると、いつみは「ちょっと待って」と言って、玄関から家の中に向かって成瀬を呼ぶ。 「啓、啓! ちょっと降りてきて!」 「相変わらずがさつな女だな。顔は可愛いんだから、おしとやかにしろよ。足閉じろ、足」  言いながらいつみの足を軽く蹴ると、いつみはぼくを睨み、べっと舌を出してみせる。家の中から成瀬の声が聞こえると、いつみは「もうっ」と焦れたように言った。 「啓、早く! 集が来てるの!」   いつみが家の中に入りながら大声で成瀬を呼ぶ。寝ていたか、漫画でも読んでいたかのどちらかだろう。ぼくは成瀬が出てくるのを待った。  少しして、どたどたと騒々しい足音が聞こえてきた。 「有川!」  玄関のドアを張り開けた成瀬の目に、涙が浮かんでいるのが見えた。 「心配したんだぞ、どこ行ってたんだよ!」  人目も憚らずに成瀬が抱きついてくる。 「お、落ち着け、玄関先だぞ」 「いいんだよ、ここはウチの敷地内だ。なにしてたって構うか」 「どういう理屈だよ」  妙な理屈を言う成瀬に呆れながら、肩を押す。成瀬は涙目をそのままに、玄関のドアを開いた。 「入れよ」 「いや、いい。聞きたいことがあって来ただけだから」 「聞きたいこと?」  成瀬が不思議そうに尋ねてくる。 「行島たちの溜まり場、わかるか?」  ぼくのセリフに、成瀬が目を見開いた。渋い顔をして腕を組む。ぼくが成瀬を呼ぶと、成瀬は小さく首を横に振った。 「ダメだ、また痛い目に合う」 「うるさい。ぼくの気が済まないんだ」 「今度はマワされるだけじゃ済まないかもしれないぞ。行島は佐和くんにまた役を取られたみたいだし」 「それはアイツが三流役者だからだろう。麻野は関係ない」  いいから教えろと言うと、成瀬は困ったように息を吐いて、玄関のドアに凭れ掛かった。 「嫌だ」  成瀬がとがり声で言う。 「あいつら、おまえの動画を仲間内で見せ合ってたんだ。そんな卑劣なヤツのところには行かせられない。佐和くんにばれたら俺が殺される」 「それはないな」  成瀬は少し眉を潜め、首を傾げた。 「もう別れた」 「はっ?」 「聞こえなかったのか、別れたんだ。教えないならおまえとも縁を切る」 「ちょ、有川」 「ぼくは本気だ」  成瀬は困ったように眉を潜めたが、「あーもうっ」と短く言った。 「東川美術館の近くに寂れたライブハウスがある。そこは行島の仲間の一人が所有しているところだから、よくそこで溜まっている」 「わかった」 「わかったって、おまえ極度の方向音痴なのに一人で行く気か!?」 「これがある」  ぼくは携帯を取り出した。ぼくの携帯が新しくなっているのを見て、成瀬は「ははーん」と言ってあごに手を当てた。 「なるほど、ナビか。それでウチにも迷わず来れたってわけだな」 「そういうことだ。敬遠していたが意外に便利だった」  そう言うと、成瀬はははっと笑った。 * * * * *  ぼくは成瀬に教えてもらったライブハウスに来ていた。ドアを開けると、行島の笑い声がした。 「麻野に吠え面かかせてやってすっとしたぜ。あいつ、マジでやめやがった」  手下と思われる男の声もする。ぼくはライブハウスに入り、行島たちに近づいた。 「楽しそうだな」  行島たちの視線がぼくに集まる。仲間の一人がひっと引きつった声を上げたが、行島はにやりと笑った。 「一人で来たのか、有川くん。もしかしてまた犯されたくなった?」  行島の隣にいた男が、青い顔をして行島の腿を叩く。行島は迷惑そうにそいつを睨んた。 「なんだよ」 「やめとけって、またあの化け物みたいなのが出てきたらどうすんだよ」 「あれは麻野の兄貴だろ。手ぇ出さなきゃなんもしねえだろ、からかっただけさ」  淡々とした口調で言って、行島が足を組みかえる。行島に抗議をしたヤツは、明らかに顔を青くさせて苦い顔をした。雪弥さんがどれだけ暴れたのか、そちらに興味が湧く。 「犯されに来たんじゃないなら、なにしに来た?」  別の男が言う。狐目の男――中村だ。この顔にはなんとなく見覚えがある。 「情状酌量の余地があるかを確かめに来た」 「ああ、謝って欲しいの? 有川くんの大事なところを甚振っちゃってごめんね」 「行島」  一番背が低い男が尖り声で行島を呼んだ。行島は舌打ちをして、そいつを睨んだ。 「なんだよ、河合。おまえ、あんなヤツの脅しを本気で信じてるんじゃないだろうな?」 「お、脅しじゃないぞ、あれは。殺し屋の目だった。あいつは普通じゃないって。あのエアガンの使い方見ただろ、どう見ても殺し屋だよ」 「法治国家の日本にそんなのがいるわけないだろうが。で、その情状酌量の余地とは、具体的になにをさせたい?」  行島が芝居がかった口調で尋ねてくる。ぼくは「そうだな」と前置きして、腰に手を当てた。 「殴らせろ」 「はあっ!?」  行島たちが一斉に声を上げた。 「それからぼくの動画や写真が入った媒体をすべて渡せ」 「調子に乗るなよ」  行島が立ち上がり、ぼくの胸倉を掴んだ。ぼくはそのまま行島を睨み、ふんと鼻で笑った。 「できないなら、訴えるまでだ」 「訴える?」 「おまえら三人にレイプされたと、刑事訴訟を起こす。証拠はぼくの携帯だ。三人のなかの誰かの精液が付着している。DNA鑑定をすれば一発で誰が犯人か分かるんだ。しらばっくれても無駄だぞ」 「やってみろよ、おまえは自分が犯されたことを知られることになるんだ」 「馬鹿か。その覚悟なくして単身乗り込んでくるわけがないだろう」  ぼくがそう言うと、河合と呼ばれていた一番背の低い男が立ち上がって、ごそごそと行島の鞄を漁り始めた。 「おい、河合!」 「お、俺はごめんだ。だから嫌だって言ったんだ!」  泣きそうな声で言って、河合はぼくにピルケースのようなものを渡した。 「マイクロSDに入ってる。これでチャラだろ?」 「携帯」 「え?」 「携帯も渡せ。データが残っていたら困る」  河合はポケットから自分の携帯を取り出し、データフォルダをぼくに見せた。 「俺の携帯にはない」 「渡せといっているのが聞こえないのか?」  河合がしぶしぶぼくに携帯を渡す。ぼくはそれを床に落とし、踏みつけた。 「なにすんだ!」 「シークレットフォルダに隠されている可能性を排除したまでだ。あんたはどうする?」  中村に声を掛ける。中村は一度行島を見て、携帯の中のマイクロSDと携帯をぼくに手渡した。ぼくはそれを無言で床に叩き付けた。 「いい加減にしろよ、有川」 「それはこっちのセリフだ。そもそもおまえがぼくに手を出さなければ、携帯を新調するハメにならなかったし、麻野のお兄さんに目をつけられずに済んだんだ」 「そ、そうだよ、行島。さすがにあれはやりすぎだったって」  河合が行島の機嫌を取るように言う。行島は河合に蹴りを食らわした後、ぼくに殴りかかってきた。 「馬鹿が」  電撃音と行島の悲鳴が交じり合った。行島はぼくの前で倒れこみ、ビクビクと体を跳ねさせる。中村と河合が短い悲鳴を上げるのを聞きながら、ぼくは雪弥さんから渡されたスタンガンを眺めた。こんなにも電圧が高いものだとは知らなかった。というよりも、何故こんなものを持っているのかが謎だ。  ぼくは倒れた行島から携帯を奪い取った。行島の鞄の中のタブレット端末を立ち上げ、データを確認する。やはりそのなかにも動画があった。ぼくがじろりと河合を睨むと、ひっと短い悲鳴を上げた。 「し、知らないよ。そもそも中村が計画したことなんだ!」 「なっ、おまえだって気持ちよかったって散々言いふらしてただろうが!」 「うるさいな、大体俺は手軽にやらせてくれるヤツがいるっていうから行ったのに、ぜんぜん違ったんじゃないか!」  河合が中村に涙声で怒鳴る。こんな馬鹿にいいようにされたのかと思うと怒る気が失せた。ぼくはタブレット端末のなかの動画をすべて消し去り、河合を見た。 「行島はパソコンを持っているのか?」 「い、いや、これだけ」 「あんたらは?」 「あるけど、データは入れてない。本当だ」 「あるなら家に帰って消せ。拡散したらただじゃおかない」  そう言った後、ぼくは中村の腹を思いきり殴った。うめき声があがり、床にうずくまる。その様子を見た河合が逃げようとする。ぼくは河合のシャツの裾を引き、足を払い、床に背中から押し付けた。ぐえっと声が上がる。やめてくれと言いかけた河合の腹に蹴りを入れた。  行島は完全に伸びている。せっかくだからと行島にも二、三度蹴りを入れた後、ぼくは中村の前に立った。 「な、なんだよ。殴らせてやっただろ」  怯んだように中村が言う。ぼくはスタンガンを取り出して、中村に向けた。 「話が違う!」 「誰が一発と言った? そもそもおまえはぼくを何度も殴った挙句、汚いものを銜えさせただろ。性病にでもなったらどうしてくれる」 「あ、あれは、ノリで‥‥」 「そうか、ノリか。だったらこれもノリで済ませられるな」  言って、ぼくは逃げようとする中村にスタンガンを押し付けた。中村の悲鳴が上がる。床でビクビクと体を跳ねさせる中村を見て、河合は震え、涙目になっていた。 「悪かったよ、もうしない! 許してくれ!」  まるで命乞いでもするかのように、河合。ぼくはふんと鼻で笑って、床に投げたふたつの携帯を拾い上げた。 「これでチャラだ。復讐のつもりでぼくやぼくの周りの人に手を出してみろ。今度こそ訴える。行島に言っておけ」  ぼくは必死に頷く河合に睨みを利かせ、ライブハウスを後にした。  連中はやはり馬鹿だ。DNA鑑定は可能だろうが、精液が付着したままの携帯を一か月以上保有しているわけがない。タブレット端末のデータをUSBに移し変えたし、行島の携帯に入っている写真や動画が十分な証拠になる。楽勝だなと心の中で呟いて、ぼくは家路を急いだ。

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