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第25話
ああもう、本当にわけが解らない。
ぼくは成瀬の頭を掴んで、頭突きをした。
「いてっ!」
成瀬の悲鳴が上がる。ぼくは続けて2,3回頭突きを食らわせた後、成瀬の頭をぐぐぐっと両手で押さえた。
「成瀬、おまえはぼくを混乱させたいのか、助け舟を出しているのか、麻野との関係を完全に断ち切らせたいのか、どれなんだ? おまえのそのわけのわからない助言と情報屋とやらの言っていることの整合性のなさがぼくの頭を未だ嘗てないほどオーバーヒートさせていることが何故わからない。麻野が養子だからいますぐ仲直りしろというその根拠と理由は一体なんなんだ。話の辻褄が合わなさ過ぎて吐き気がする」
ごんごんと頭を打ちつけながら言うと、成瀬は痛い痛いと泣きそうな声を上げて、ぼくを引き離した。
「ひどい、有川。俺がこれ以上馬鹿になったらどうしてくれるんだよ!?」
「それ以上馬鹿になったら潔く退学しろ。ぼくはもうおまえの補習に付き合う気力が一切合財なくなった」
「う、うわあああっ、それだめっ、それはやめて! 神様仏様有川様!」
完全に思考停止してしまった頭を抱えながら背もたれに凭れ掛かったぼくに、素っ頓狂な声を上げて成瀬が謝ってくる。いつものぼくならば周りの視線がどうのこうのと止めに入るのだが、そんな気は一切起こらない。もうどうにでもなれと投げやりになっている自分がいた。
「有川なら、解ると思ったんだけど」
少ししょげたような顔で成瀬が言う。
「おまえよりも数倍スペックが上のぼくの頭でも処理しきれないことがあるのだよ、成瀬。その少ない脳みそでぼくの辛労辛苦がどれほどかを少しは考えてみろ」
成瀬がムッとしたように唇を尖らせた。
「もう限界だ、吐き気がする。三日貫徹明けでジェットコースターに乗ったあのときよりも気分が悪い」
ぼくは背もたれにもたれたまま目を閉じた。考えすぎで頭が痛い。思考能力も想像力もゼロだ。アメーバよりも性質が悪い。そのままぼくは「あーっ」と声を出して足をばたばたさせた。
「あのさ」
少しの間を置いて、成瀬が声を掛けて来た。
「なんか、似てない? 佐和くんと有川」
ぼくはその発言を受け、成瀬を見た。
「有川だって、俺と仲良くなるまではずっと一人だっただろ? お父さんもお母さんも仕事で忙しくて、いつも鍵っ子だったじゃない。
有川は俺と違って精神的にも自立しているから、俺とは少し感じ方が違うだろうから、俺のそれとは意味が違うかもしれないけど、有川はときどき、お父さんやお母さんが帰ってこないのが不安で、窓辺で泣いていたじゃないか」
「そ、それは小学校のときの話だろ? しかも低学年のときだ。いつの話を引っ張り出してきているんだよ」
昔のことを言われて、ぼくは顔が赤くなるのを感じながら反論する。しかし成瀬は、「それだよ」と言って、また人差し指を立てた。
「あのとき、どうして泣いていたか、覚えてる? すごく昔のことだからうろ覚えかもしれないけれど、俺が言いたいことの答えはそれだ」
「覚えているもなにも」
ぼくはしどろもどろになりながら、あのときのことを反芻した。
成瀬はぼくが小学生になりたての頃、道路を隔てた向かいの家に引っ越してきた。親と一緒に挨拶に来たときのことを今でも覚えている。人懐っこい笑顔を向けて挨拶をしてきた。でもそれに触れるのが怖くて、ぼくは知らないふりをした。仲良くなったのは、それから二ヶ月位してからだと記憶している。
その日はバケツをひっくり返したかのような強い雨が降っていた。雷も鳴って、かなり強い風も吹いていた。いつもなら18時を過ぎると母親が帰ってくるのに、その日は19時を回っても戻ってこなくて、ぼくは窓ガラス越しに道路を見ながら泣いていた。このまま帰ってこなかったらどうしようと、とても不安で、心細かったからだ。
そんなとき、家のドアを誰かが叩く音がした。慌てて玄関に出ると、びしょ濡れの成瀬がいた。いつもどおり人懐っこい笑みを浮かべて、ビニール袋をぼくに差し出してくれた。それは焼きたてのドーナツだった。ぼくはおなかもすいていたし、とても心細くて堪らなかったから、そのまま成瀬に抱きついて泣いたのを覚えている。その日を境に、ぼくと成瀬は兄弟のように一緒に過ごしてきた。
あのとき、「一緒に食べながら待とう」と言ってくれた成瀬がいなかったら、ぼくは両親が帰ってきた深夜まで一人で待っていなければならなかった。そのときのことを思い出して、ぼくはガシガシと頭を掻いた。
「う、うちは共働きで、忙しくしていたんだから仕方がないだろう」
なんだか照れくさくなってきて、ぼくは成瀬から視線を逸らした。
そうだ、成瀬の言うとおりだ。成瀬がいなかったらきっとぼくの孤独は救われなかっただろう。それは麻野に会ってからも同じだ。
なんとなく、成瀬の言いたいことがわかってきた。
「佐和くんもきっと、同じ気持ちだった。養子だから孤独だったとは言わない。佐和くんのお母さんはとても優しいし、理解がある。だけど佐和くんは有川のことを、自分を理解してくれる人だと思っているんだ。でなければあの佐和くんが有川だけにのめり込むなんて有り得ない。そう考えたら、佐和くんと有川が何故惹かれあうのか、理由がわかるだろ?」
ぼくはふうっと溜息を吐いた。
「まさか成瀬に諭される日が来るとは思わなかった」
ぼくが呟くと、成瀬はまた人懐っこい笑みを浮かべ、小さくピースサインをした。
「じゃあ、潔く佐和くんと仲直りしてこいよ。仲直りできたら、お兄さんも含めて四人で叙々苑に行こう。もちろん、有川のおごりで」
言って、成瀬が小さく右手をあげた。ぼくは「割り勘ならな」と言って、その手を叩いた。
***
成瀬と別れた後、ぼくは麻野の携帯に電話をした。麻野は応答せず、繋がらない。まあいままでぼくが散々無視していたのだから、当然といえば当然だ。どうせそうだろうと思い、ぼくは麻野のうちの前まで来ていた。ポーチには麻野の自転車がある。ぼくは迷わず呼び鈴を押した。
少しして、麻野が出てきた。麻野は訪ねてきたのがぼくだと解ると、ガシガシと頭を掻いた。
「入れば?」
言って、麻野がドアを開けてくれる。ぼくはなにも言わずに玄関に入った。
どう切り出そうか、ぼくは迷った。どうして電話に出なかった? というのは、自分が無視しているのだからおかしな話だ。結局のところ、ぼくが無意味な八つ当たりをしたのが悪いのだ。ぼくは自分から謝るのがとても癪に思えたが、自分が悪いのだからとその気持ちを飲み込んだ。
「麻野」
ごめんと言いかけたが、それは麻野に抱きつかれ、阻まれた。ぼくは麻野の背中をぽんぽんと叩いて、溜息を吐いた。
「ごめん、ぼくが悪かった。現実がぼくの頭の容量と想像を凌駕していて、戸惑った。だから手近にいた麻野に八つ当たりをした」
そう言うと、麻野がぼくに抱きついたまま、そっと笑った。
「知ってる」
麻野の体が震えている。これは笑いを堪えているなと解って、ぼくはその背中をどんと叩いた。
「解っていて話しかけてこなかったのか?」
「そりゃそうだろ。話しかけてもおまえは俺を無視するからな」
「当たっているだろう?」と、自信ありげに麻野が言う。強ち間違ってはいない。いや、模範解答だ。ぼくは釈然としなかったが、もう一度「ごめん」と謝った。
「雪弥さんは?」
ぼくが訪ねると、麻野は二階を指差した。
「不貞寝。ケンカした」
「ケンカ?」
「俺のカーディガンに穴を開けていやがったから、殴ってやった」
麻野がぼやくように、「高かったのに」と言う。麻野がよく着ていたアーガイルのカーディガンのことだろう。ぼくが苦笑を漏らすと、麻野は「甘やかすと付け上がるからな」と言って、ぼくを自分の部屋へと案内した。
「誰か来ているのか?」
玄関に見慣れない靴があったのを思い出し、麻野に問う。麻野は「ああ」と短く答えた。
「単身赴任をしている父が一時的に戻ってきているんだ」
「じゃあ、下で話したほうがいいんじゃないのか?」
「いい。さっきまで話していたし、そんなに話したいこともないし」
そう言って、麻野はぼくの隣に腰を下ろした。ソファのスプリングが軋んだ音を立てる。麻野はぼくの鼻先にまで顔を近づけたが、なにか思い出したように身を引いた。
「キス、するんじゃなかったのか?」
「禁止令」
「は?」
「忘れたのか? おまえが言ったんだぞ、キスは禁止だってな。俺はそれを律儀に守っただけだ」
「なにか問題でも?」と、麻野が嫌味ったらしく言ってくる。ぼくはムッとしたが、自分が言ったことには違いない。
「問題大有りだ。仲直りのキスができないじゃないか」
麻野はきょとんとした後、眉を下げて笑った。
「笑うな、ぼくは本気だ」
くっくっと笑う麻野の胸倉を掴んで、触れるだけのキスをする。一旦離すと、麻野がぼくの後頭部に手を当てて、続きを促すように唇を触れてきた。啄ばむだけがキスを何度も、何度も繰り返される。なんだか焦れてきて麻野の唇を舌で舐めたら、麻野の舌が押し入ってきた。
「っふ」
久しぶりの感覚に、鼻に抜けるような声になった。ちゅっちゅっとリップ音があがり、麻野のキスがだんだん激しくなる。麻野の舌がぼくの舌を器用に撫で、感じるところを的確に刺激し、キスだけだと言うのに体が震えてくるのを感じた。きちんと鼻で息継ぎをしているのに、息苦しい。ぼくが麻野の腕を叩こうとしたとき、濡れた音を立てて、麻野が離れていった。
「いい感じ?」
麻野がにやりと笑う。ぼくは自分の顔が真っ赤になっていることに気づいたが、唇を手の甲で拭いながら頷いた。
「いい、感じだった」
麻野は満足そうな顔をして、ぼくの首筋やあごを撫でてくる。ぼくは猫かと突っ込みたくなるような触れ方だ。しかし麻野はそれ以上ぼくに触れてこなかった。リビングにお父さんがいる状況下では、さすがの麻野も暴挙に出ないらしい。明さんがいるときには余すところなく頂かれたが。
「雪弥に会いに来たんだ、あの人は」
ぽつりと麻野が呟いた。
「俺はついで。どうせ時々会うし、いまは雪弥のことが気懸かりなんだろう」
麻野が突然言うから驚いた。成瀬が言っていたことを反芻する。ぼくは麻野に謝りに来たんだ。養子かどうかを確かめに来たわけじゃない。ちらつき始めた疑問を振り払って、麻野の腿を跨ぎ、腰を下ろした。
「なんだよ、やる気か? でも今日は勘弁して、佐和くんは腰痛がひどいのよ」
「腰痛? なにしたんだよ?」
「雪弥に蹴られた。あの野郎、自分が悪いことを棚に上げてプロレス技をかましてきやがった。だから痛いの。勘弁」
集が動いてくれるなら別だけどと、ぼくの耳元で麻野が言う。ぼくは麻野の胸をドンと叩いた。
「べつに、してやってもいい」
麻野が驚いたような顔をした。けれどすぐに少し嬉しそうに笑って、「親父が帰ったらな」と言った。ぼくは素直に頷いて、麻野の唇にキスをする。久しぶりの麻野だ。こうしていると妙にホッとする。
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