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第27話

 成瀬は麻野の部屋に入るなり、なにかを悟ったらしくものすごく嫌そうな顔をした。麻野がなにを言わんとしているのか、そして何故ここに呼ばれたのかをぼくたちの雰囲気で感じとったらしい。雪弥さんが座っているソファの斜向かいに置いてあったクッションに腰を下ろすと、成瀬は目を閉じて腕を組んだ。 「先に言っておくけど、情報屋との仲介はしない。情報屋の正体も教えない。なにがあっても、だ」 「言えよ。言わなきゃ優菜を食うぞ」 「はあっ!?」 「なんならいつみも一緒でもいいけど。こっちには人質が二人もいるんだ。立場を忘れんな」 「麻野、そういうのは冗談でもよくないぞ」 「うるせえな、言ってみたかったんだよ。ガキに興味ねえし、本当にやるわけねえだろうが」  麻野がムッとしたように吐き捨てる。成瀬はあからさまにホッとしたような顔をしたあと、また腕を組んだ。 「成瀬、教えてくれ。雪弥さんの身の安全が掛かっている」 「お兄ちゃんの?」 「イエスかノー、どちらかで答えてくれればそれでいい。協力してもらえるか?」  成瀬は両手を広げて肩を竦めたあと、あごに手をあててなにかを考えるような仕草をした。 「オッケー、有川の頼みなら」 「悪い、恩に着る」 「そのかわり、教えて欲しいことがある」 「ぼくにわかることなら」 「いや、有川じゃない。佐和くんだ」 「俺?」  麻野が怪訝な顔をする。成瀬はうんうんと頷いた。 「3年前、なんで佐和くんたちはこっちに引っ越してきたの?」  成瀬が言う。3年前といわれたとき、雪弥さんがの肩がびくっと震えた。それは成瀬の視界には入らなかっただろうか。あからさまに怯えている雪弥さんに近づくと、雪弥さんはぼくの腕をぎゅっと掴んだ。 「家を建てたからだよ。前に住んでいた家は借家だったし、俺が通う高校に少しでも近いほうがいいからっていう理由もあったけど」 「本当にそれだけ?」 「なにが言いたい?」  麻野が焦れたように言って、成瀬を睨む。成瀬は溜息を吐いたあと、頭を掻いた。 「じゃあ、単刀直入に言うよ。桑島康介がお兄ちゃんに性的暴行を加えたから、じゃないの?」  雪弥さんがぼくの腕を掴む力が強くなる。ぼくは雪弥さんを宥めるように背中を撫でたが、徐々に震えだしたのを成瀬は見逃さなかったようだ。 「ビンゴ?」  麻野はなにも言わない。ただ成瀬を睨んでいるだけだ。成瀬も麻野を見つめたままそれ以上はなにも言わなかった。無言の中、視線だけで争っている。  雪弥さんはぼくの腕を抱きこんで、震えているだけだ。これはきっと、雪弥さんの精神衛生上よくない。ぼくは雪弥さんに声をかけ、部屋をあとにしようとしたが、それは成瀬に阻まれた。 「有川、お兄ちゃんを部屋から連れて出たら、この話はなかったことにさせてもらうよ」 「なにを企んでいる?」 「これは確認だよ。事実関係さえ分かればいい。で、どうする?」  麻野がぼくに視線を寄越す。雪弥さんの気持ちを考えると、ここで言ってしまった方がいい。そう思ったが、ぼくは首を横に振った。 「そっちが情報を出すのが先だ。そっちがどこまでの情報を出すのかがわからないのに、手の内を晒す馬鹿がどこにいる?」  ぼくが言うと、成瀬は舌打ちをして、どんとテーブルを叩いた。 「いいから言えよ! こっちだってギリギリでやってんだ、あともうちょっとで終わるってのに、ちんたらやってる暇はないんだ!」  言った後で、成瀬がしまったという顔をする。 「自ら形勢不利にしてどうする? 情勢はこれでイーブン。その証言が成瀬にとって必要なものだとわかったからには、こちらもきちんと答えてもらえなければ教えられない」  成瀬はガシガシと頭を掻いて、もう一度両手を広げ、肩を竦めた。 「麻野のことを探っていたのは、情報屋の指示か?」 「イエス」 「その情報を欲しているのは行島?」 「それに関してはノーコメント。守秘義務ってもんがあるんだよ」 「わかった。最後だ。その情報屋とは学生ではなく、外部の人間か?」  成瀬はぼくを見た。そして少し視線を逸らしたあと、口元だけで笑った。 「ノーコメント」  言って、成瀬が立ち上がる。ぼくにしがみつく雪弥さんを見て、成瀬はポケットに突っ込んでいた帽子を取り出し、被った。 「桑島となんかあったってのはお兄ちゃんの反応を見れば判る。でも、証言が欲しい。見立てだけじゃ足りない」 「一体なんのためにそんなことを知りたがってるんだよ?」  麻野が苛立ったように言ったときだ。成瀬は今まで見せたこともないような冷たい目でぼくたちを見た。その目はとても冷たいのに、怒気を帯びているのが一目でわかった。 「悔しくない? 野放しにしておきたくないでしょ、真犯人」  成瀬の言っている意味がよくわからない。震える雪弥さんの背中を撫でていたとき、雪弥さんがぼくの腕を掴んだ。 「そうだよ」  雪弥さんが、震える声で言った。 「3年前、おれは康介に」 「雪弥!」  麻野が雪弥さんの言葉を阻む。ぼくは麻野を見て、小さく首を横に振った。  これはきっと、雪弥さんのけじめだ。逃げるだけの自分と決別しようとしている。そんな気がした。 「康介に、レイプされた。縄で縛られて、抵抗できないようにされて」 「雪弥、もういい」 「いいから。いいから言わせて、佐和」  雪弥さんはぼくの腕から手を離して、頭を抱え込んだ。 「明さんには言わなかった。心配も、迷惑も掛けたくないから。  佐和が部活で遅くなる日や、明さんが当直の日を狙って、あいつは何度もおれを抱いた。ナイフ、持ってて、騒いだら、佐和を殺すって言われて、黙ってた」  雪弥さんの声が震えている。息遣いが荒くなっているのに気付いて、ぼくは雪弥さんの肩に手を置いた。こんな告白をするのが辛くないわけがない。ぼくは成瀬を睨んだが、成瀬は帽子を目深に被っているため、表情が読めなかった。 「あるとき、あいつに首を絞められた。一緒に死のうって。そのとき、佐和が助けてくれたんだ。ナイフ持ってたから、佐和、怪我しちゃって。でも康介を殴って追い出してくれた」 「その手の傷は?」  成瀬が言うと、麻野は諦めたように左手を差し出した。麻野の左手の手のひらには、親指と人差し指の間から小指の付け根にかけて、大きな古い傷痕があった。ぼくはいままで何度も麻野と肌を合わせてきたし、こんなにも長く一緒にいたのに、そんな傷があることを知らなかった。 「そのあとから、桑島康介との接点は?」  成瀬の問いに、雪弥さんは首を横に振った。 「おれは怖くて引きこもっていたし、引越し先のことは明さんが近所の人にも言わなかった。佐和の手の傷も、おれが暴れて割れたガラスで怪我をしたっていうふうに装ったから、特に詮索されていないと思う」 「そのナイフは?」 「え? あ、わからない。引っ越しの時に捨てたか、康介が持って帰ったかだと」  雪弥さんが言ったら、成瀬は顎に手を当てて、ほんの少し俯いた。 「直近の接点は俺のうちに来ることになったときにたまたま見つけたかなにかってことか。  お兄ちゃん。数日前、駅ビルB棟の裏路地で、桑島康介に襲われた?」  雪弥さんが小さく頷いた。 「いきなり後ろから殴られた。逃げようとしたけど追いかけてきて、ズボン脱がされそうになったけど、倒した」 「どこ殴った?」 「えっと‥‥。興奮してたからよく覚えてないけど、右頬と、おなかに二発は入れた。黒いコートを着ていて、たしか、珍しいデザインの時計をしていた」 「それは、これ?」  雪弥さんのセリフを聞いて、成瀬がジャケットのポケットからラミネートされた写真を取り出した。2から4が薄紫、4から8がグレー、8から10が黒、10から2が紫というように、文字盤が4色で彩られている。文字盤に数字はなく、長針と短針の位置で時間を見るタイプのものだ。雪弥さんはそれを見て、また頷いた。 「そんなのだったと思う。気が動転していたから、はっきりとは。あ、そうだ」 「なんか思い出した?」 「ボタン。コートのボタン。もみ合ったときに千切れたの。それ持ってる」  成瀬は嬉しそうに笑った後、ぱちんと指を弾いた。 「ビンゴ」

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