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第29話
「4ヶ月くらい前、うちの周りを康介がうろついていたって、明さんが言っていた。おれ、その頃に一回暴れてるでしょ? それ、康介にされたことを思い出して、制御できなくなっちゃったんだ」
「なんで早く言わないんだよ、この馬鹿!」
「だ、だって、なにかされたら怖いし、今度は明さんにまで迷惑が掛かっちゃうかもって思ったら、言えなかった」
麻野はイライラしたような表情で前髪を掻き上げると、くそっと吐き捨てた。
「おまえが早く言ってたら、行島たちが集に手を出さなかったかもしれないだろ!?」
「でも、うろついていただけなのに、なにもできるわけないじゃない! 明さんに手を出したとか、押し入ろうとしたとかだったら、佐和に言っていたかもしれない! おれのせいにしないで!」
「誰もおまえのせいにしてねえだろうが!」
「してるよ!」
「二人とも落ち着いて。お兄ちゃんの言うとおり、その時点ではなんの規制もできないから、しょうがないよ」
成瀬が助け舟を出す。麻野は舌打ちをして、腕を組んだ。
「お兄ちゃんが言ったとおり、たぶん、佐和くんのお母さんがおれと同じ人に依頼したんだ。偶然ね。それで全部が繋がったってわけ。
ま、この件は解決ってことで、いいんじゃね? 兄弟ゲンカはよそでやれよ、せっかく事が片付いて、真犯人は逮捕されるんだから」
「逮捕? それって、もしかして雪弥や集があいつになにをされたのかが世間に晒されるってことか?」
「逮捕は別件。ストーカーだよ。余罪を桑島がどこまで認めるかにはよる。ただ、もしそういう供述をしても、“傷害罪”として扱ってもらえるように手配してある」
ぼくはなぜ成瀬がここまで自信満々なのかに気付いて、思わず溜息をついた。
「じいちゃんか」
「そゆこと」
成瀬がにっと笑う。成瀬のじいちゃんは警察官だ。それもかなり位が上なのだと聞いている。ぼくは成瀬の余裕に腹が立ってきて、成瀬に詰め寄ったあと、胸倉を掴んだ。
「おおっ!? な、なんだよ有川。それが恩人に対する態度か?」
「ぼくはお前を常々馬鹿だと思っていたが、ここまでの真性馬鹿だとは思わなかった」
「ひどいな。解決したんだからいいじゃん。結果オーライだよ」
「なにが結果オーライだ、おまえは自分がなにをしたかわかってるのか? 下手したらおまえがそいつに狙われていたかもしれないんだぞ?」
直接麻野に手を下せないからと言って、間接的にぼくを犯すよう指示をするような奴だ。もしかすると優菜やいつみにまで手を出していたかもしれない。桑島という男はそういう下衆なことを平気でやってのけるようにしか思えない。
「それもあって早めに解決したかったんだ。あの野郎、うちの周りをごそごそ嗅ぎ回っていたからな。優菜やいつみにまで手を出されるまえに手を打っておかなきゃ」
「だから馬鹿だと言ってるんだ。やるならじいちゃんに任せておけばよかったんだ、なにもおまえが協力する必要なんて‥‥」
「言ったろ? 桑島は用心深いんだ。佐和くんたちの家族構成も知ってる。見たこともない、しかも屈強なおっさんや兄ちゃんたちが出入りしていたら、それこそ一発で捜査していることがバレちゃうじゃん」
「でも成瀬が狙われたら元も子もない」
「そりゃないね。あいつは自分よりも弱い奴しか狙わない。もし俺をやるとしたら、金さえ渡せばなんでもするような奴を雇うよ。
それよりさ。桑島って奴は相当ヤバいね。お兄ちゃんがうちに来るようになってから、うちの近くに越してきたみたいなんだ。近所のおばちゃんネットワークでは、おにいちゃんがうちに来る日以外は一歩も外に出ないんだって。どう考えたって怪しいだろ?」
ありゃ完全なるストーカーだねと成瀬。ぼくはなんだか頭が痛くなってきて、もういいと成瀬を解放した。
「たしかに、昔の雪弥はまんま天使だからな」
麻野は複雑そうな顔をして、呟いた。
「いまでもかわいいでしょ?」
雪弥さんが言う。たしかに、雪弥さんは25歳だとは思えないほどの童顔だし、かわいらしい。麻野は雪弥さんの変化に気付いたらしく、ガシガシと頭を掻いた。
「よかったのかよ? あんなこと、人に話して」
麻野の言葉を、やはり雪弥さんは理解していないらしい。きょとんとした顔をして、首を傾げた。
「あんなこと?」
「だから、あいつのことだよ!」
焦れたように舌打ちをした麻野が語気を強めて言う。雪弥さんは「ああ」と言ったあと、眉を下げて静かに笑った。
「おれも、真犯人が知りたかったもん。行島くんたちじゃないって思いたかったんだ。あの子、意地は悪いかもしれないけど、芝居が好きなんだって伝わってくるようなすごくいい表情をしてる。だから、佐和が目立って腹が立つっていう理由だけで、集くんにあんなことするかなあって、考えてたんだ」
「推理小説の読みすぎなんじゃないのか?」
「一番背が低い子が、『だからやめてようって言ったのに』ってずっと言ってたんだ。それも気になってた」
「‥‥河合、とか言ったっけ。たしかぼくが乗り込んだときも言っていたな」
「大学生じゃ買えないような時計してたんだけど、もしかしたら、康介があげたものなのかもしれない。もちろん、報酬も込みで」
雪弥さんがそう言うと、成瀬はうんうんと頷いて、「さすが、お兄ちゃんは大人だけあって物分りがいいなあ」と呟いた。
「情報屋はその線で探ってる。まあ、あんな時計なかなかこっちで売ってないし、すぐに足がつくよ。行島たちが豪遊していたのはもう証拠を掴んでる。だから、ビンゴ」
それを聞いて、雪弥さんが複雑そうな顔で笑う。麻野はそんな雪弥さんを横目に、舌打ちをして、成瀬にクッションをぶつけた。
「いてっ、ひどいよ佐和くん」
「わかったから、とっととあいつを捕まえてこい。雪弥、あいつのコートのボタンは?」
「たしか、おれの机」
「どこだよ?」
「えっと‥‥。集くんがくれた小物入れの中、かな」
麻野が立ち上がった。通りすがりに雪弥さんの頭をぽんぽんと軽く叩いて、部屋を後にした。
「じゃ、俺も証拠受け取って帰るわ。ありがとうね、お兄ちゃん」
成瀬が麻野の後を着いていく。漸く静かになった部屋の中は、ぼくと雪弥さんの二人だ。雪弥さんはほっとしたように大きく息を吐いて、ソファに横たわった。
「大丈夫ですか?」
「うん、平気。話したら、ちょっと、楽になった」
雪弥さんの顔が少し青白い。そのときのことを思い出しているんじゃないかと感じたが、ぼくにはどうすることも出来ない。ぼくは雪弥さんの足側のアームレストに腰を下ろした。
「疲れた」
「いっぱい、話しましたからね」
「うん。佐和、怒るかな?」
「わからない。でも、いつ、誰に打ち明けるかは、雪弥さんが決めることだと思います」
雪弥さんの口元が綻んだ。横たわったまま、雪弥さんが手を伸ばしてくる。ぼくがその手をとると、ぐいっと引っ張られた。
「うわ!」
雪弥さんに覆いかぶさるような格好になってしまって慌てていると、雪弥さんはくっくっと笑った。いつのまにか体勢が変わって、ぼくの背中にはソファクッションが当たっている。ぼくに馬乗りになった雪弥さんは、そのままぼくの頬にキスをした。
「雪弥さん?」
雪弥さんはなにも言わない。ただ笑っているだけだ。雪弥さんがぼくの頬に何度もキスをしてくる。くすぐったくてぼくが笑っていると、リビングのドアが開いた。麻野だ。麻野はぼくにキスをしている雪弥さんを見て、苛立ったような顔で近づいてきて、雪弥さんの頭をこつんと叩いた。
「雪弥、勢いあまって集を食うなよ」
麻野が言ったとき、雪弥さんは一瞬間きょとんとしたあと、ぱあっと顔を輝かせて手を叩いた。
「いいこと考えた! 三人でしよう!」
「は?」
「ええっ!?」
まるで天使のような屈託のない笑顔で、かなりえげつないことを言ってのける。麻野はわけが解らないという顔でぼくに解説を求めてきたが、ぼくは最早苦笑するしかなかった。さすが雪弥さん。立ち直りが早いというか、考えが突飛過ぎるというか、正直掴めない。
しどろもどろになるぼくをよそに、麻野はガシガシと頭を掻いた後、溜息をついた。
「なんだよ、雪弥。俺と集のセックスを見てやりたくなったか?」
「うん。いまならできそうな気がする」
「混ざりたいって」
麻野がストレートに言ってくる。少しは抵抗しろよと突っ込みたくなるほど、ナチュラルに。
「ま、混ざりたいって‥‥」
「俺が集に入れて、集が雪弥に入れる‥‥みたいな。雪弥に入れて、雪弥が集に入れるでもいいぞ」
「いいぞって、そんな軽い問題なのか?」
「今更一人増えようが関係ないだろ、暇さえありゃヤッてるんだし」
ぼくは初めて麻野の貞操観念を疑った。
「雪弥は? どうされたい?」
麻野が尋ねる。雪弥さんは口元に人差し指を当てて少し考えたあと、『集くんに任せるよ』と言って、笑った。
「いやいやいや、ぼくをのけ者にして話を進めるな! おかしいだろ!」
慌てて言ったけれど、雪弥さんはぼくの上で笑うだけで、降りようとしない。麻野に助けを求めたが、麻野は複雑そうな表情で前髪を掻き上げた。
「雪弥、あんまり集をからかうな」
麻野が言うと、雪弥さんは吹き出しそうになるのを堪えながら、ぼくの上から降りた。
「集くん、かわいい」
「え? えっ?」
「からかわれたんだよ、おまえ。まあ、エッチできそうってのは半分本気っぽいけど」
雪弥さんはにこにこと天使のような笑顔だ。そんな顔をしてびっくりするほどえげつないことを言わないで欲しい。ぼくのなかの雪弥さんのイメージが、ガラガラと音を立てて崩れていくような気がした。
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