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第33話

 行島の計らいで劇団の練習風景を見学することが出来たおかげなのか、美術室に戻ったらアイデアが湯水のように浮かんできて、朝までには着色するだけの工程まで出来上がっていた。ほぼ不眠不休での作業だったせいで、集中力が切れた途端にどっと眠気が襲ってくる。ぼくは眠い目を擦りながら、美術室を出た。  ふらふらと廊下を歩き、文化棟を出る。渡り廊下脇の購買で菓子パンと紙パックのコーヒー牛乳を買って、中庭のベンチに腰を下ろした。太陽の光がやけに眩しい。目がしぱしぱする。ぼくは眉間を右手の親指と人差し指で摘んだあと、溜息を吐いた。  徹夜で絵を描いたのなんて久しぶりだ。それこそ、数年前に展覧会用の大きなパネルを作ったとき以来だった。そういえばあの時は、成瀬と瀬尾も一緒だったなと思い出したときだ。ポケットに入れていたぼくの携帯が鳴った。携帯を開いて、ディスプレイを確認する。成瀬からの着信だった。 『おはよう、課題済んだ?』  妙に明るい声だ。ぼくが「ああ」と短く返したとき、後ろからいつみの声がした。 「成瀬は?」 『そろそろ終わるよ。いつみが有川の絵が見たいって言うんだ。見に行ってもいい?』 「いい、けど。いま美術室に置いているし、着色がまだ。終わったらべつにかまわないけど」 『あ、ホント? じゃあ、終わったら教えてよ。いつみ連れて見に行くから』 「わかった」  ぼくと成瀬の会話はいつもこんな感じだ。大抵用件だけで済む。今日もそうだろうと思っていたのに、電話を切ろうとしたぼくの耳に、慌てたような成瀬の声が聞こえた。 「なんだ?」 『昨日、どこに行ってたの?』 「美術室にいた。構想を練るのに苦戦していたから、教授に頼み込んで借りていたんだ」 『佐和くんが心配してたよ。美術室を覗いてもいなかったって』  成瀬が言う。ぼくはコーヒー牛乳を啜りながら、それを聞いていた。  そういえば、麻野に行島と出かけるという連絡をしていなかった。ぼくが美術室にいると思って、様子を見に来たんだろう。ぼくは「ちょっと出てた」と言うだけにとどめた。  麻野に言うと、きっと面倒なことになるだろう。そう思うが、言わなければ猪突猛進癖が出て、行島に特攻するかもしれない。ぼくは行島と舞台見学に行くことを麻野に知らせなかった自分を恥じた。 「でも、おかげで気持ちが晴れた。どこに行っていたかは、自分で麻野に言うから」 『そのほうがいいよ。たぶん、拗ねているし』 「そうだろうな。麻野は基本的にすぐ拗ねるから」 『それだけ佐和くんは有川のことが好きってことだろ』  成瀬が楽しそうに笑うのが解る。ぼくは「気のせいだ」と返して、電話を切った。  軽率だったと思いつつ、メール画面を立ち上げる。麻野に突っ込まれるよりも先に手を打っておかなければ、拗ねているのならなおさら面倒くさい。ぼくは『昨日はわざわざ覗いてくれたのにごめん。行島と舞台見学に行っていた。気分転換が出来たおかげで課題がもう少しで終わるから、終わったら出かけよう』とメールを打ち、送信した。最後の出かけようをデートしようにするかどうかをかなり迷ったのだが、デートイコールエッチと結び付けられると面倒だから、出かけるという表現のほうが妥当だと判断した。ぼくは携帯を閉じて、菓子パンをちぎりながら頬張った。 * * * * *  その日の夜、無事に着色作業も済み、あとは仕上げだけだというところまで終わった。自分にしては珍しく時間が掛かっているように思えたが、ほぼ眠っていない為、集中力が落ちているのだろう。ぼくは自分の頬を軽く2回叩いたあと、成瀬が差し入れてくれたコーラを飲みながら、濡れた髪を拭いていた。  教授のシャワー室を使ったからだろう。教授と同じフレグランスの香りがする。行島がつけているものとなんとなくにおいが似ている。香料の配分が似ているのだろう。そんなことを考えながら、服のにおいを嗅いでいた。 「集」  麻野の声がした。ぼくはじろりと麻野を睨んだあと、髪を拭いていたタオルを机に投げた。 「メールくらい返せよ。無視した挙句に来るとか、信じられない」  非難するように言ったが、麻野はなにも返さない。本当に拗ねているのなら、2、3倍にして返されるはずだが。不思議に思い、麻野を呼ぶ。麻野はなにも言わずに美術室のドアを閉めた後、鍵を掛けた。  麻野の足音が近づいてくるのを聞きながら、ぼくは麻野の煮え切らない態度に少し苛立ちを覚えていた。ぼくが行島と一緒にいたことが気に入らないのなら、いつものように詰ればいい。それすらしてこない麻野に焦れて、文句を言おうとしたときだ。麻野に後ろから抱きしめられた。 「気分転換できた?」  言いながら、麻野がぼくの喉を指で撫でる。 「おかげさまでもうすぐ仕上げが終わる」  ぼくはその指を握って、麻野の体に凭れ掛かった。 「行島、案外演技がうまいんだな。ちょっと意外だった」 「一応劇団の看板俳優だからな、あいつ」 「団長さんが麻野に戻ってきて欲しいって」  麻野はなにも言わない。少し体を屈めてぼくの頬にキスをすると、静かに笑った。 「べつに俺がいなくても困らないだろ。体裁とメンツで言ってるんだよ」 「ぼくはおまえのそう言うところが嫌いだな。なにが体裁とメンツだ、本気で心配されてたぞ。行島がぼくがおまえの知り合いだっていうから、子役やお姉さま方から質問攻めにあったんだからな」  そう言ったら、麻野がそれを想像したのか、クックッと笑って、ぼくの体を長机に伏せさせた。まさかここでしようというつもりなのか? ぼくは麻野を睨んだが、麻野はぼくの方を見ようともせず、ぼくのジャージのウエストに手を掛けた。 「邪魔しに来たんなら帰れよ。ぼくはこんなつもりでおまえにメールをしたんじゃない」  麻野がぼくの非難をも無視して、下着とジャージをずり下ろし、秘部に冷たいものを落とした。体にぞくりと悪寒が走り、身を捩ったが、麻野はそれを自分の体で封じた。 「おい、麻野!」  返事はない。「行島と一緒にいたことに対する文句なら口で言え」と非難したが、麻野は無言のまま、ぼくの秘部に指を滑り込ませた。  引きつったような声が上がる。以前麻野として以来、忙しいのもあってなにもしていなかったからだろう。鈍い痛みにうめき声を上げたが、麻野の指がそこから去ることはなかった。粘着質な音を立て、麻野の指がしつこくうごく。かなりしつこく秘部を刺激され、ぼくは思わずつばを飲み込んだ。麻野がそれ以上先に進む気配はない。ただ、入り口に触れたり、少しだけ秘部に侵入したりして、それはまるでぼくの反応を楽しんでいるかのようにも感じた。ぼくは舌打ちをして麻野の脛を蹴ったが、びくともしない。背後で低く笑われ、ぞくりと寒気がした。 「あ、あさ、の? なにやってるんだよ、離せって!」  ぼくは怖くなって、必死に麻野を呼んだ。けれど麻野の指の動きが激しくなるだけで、一言も言葉を発しない。 「行島とは、なにもないからな」  独りよがりな麻野の行動に焦れてきて吐き捨てるように言う。麻野はぼくの後ろで、喉の奥で笑うだけだ。ぼくは自分の息が乱れてくるのを感じながら、もう一度麻野の足を蹴った。 「ふざけんなよ! なんで、なんでこんなことっ!」  麻野はなにも言わない。ただぼくの秘部を縦横無尽に攻め立てたあと、硬いものを押し当ててきた。 「ちょっ‥‥!」  非難の声を上げたが、麻野の指で十分に解されたそこに、少しずつ麻野が侵入してくる。久々すぎて少し痛い。引きつった声を上げるぼくをよそに、麻野がぼくのうなじを噛んだ。 「ふっ!」  びくんと体がのけぞると同時に、麻野がぼくを貫いた。じりじりとそこに熱が帯びてきて、息が整わなくなってくる。いきなりいいところを突かれてイキそうになっているぼくのことなどお構いなしに、麻野が腰を振る。長机が揺れ、ガタガタと音を立てた。麻野はまるで獣のようにぼくを貪り、やがてぼくの中で果てた。 * * * * *  気がついたら、そこに麻野はいなかった。代わりに、下半身に違和感がある。ぼくはその感触の正体に気付いて、舌打ちをした。  こんなことは久しぶりだ。ゲイだと自覚したあの映画を見た次の日以来かもしれない。元々性欲が薄いのもあるが、高校時代にぼくは何人かの男と定期的に寝ていたし、当時付き合っていた男とはほぼ毎日扱きあっていたから、こんな状況に陥るほど性欲を持て余していなかったのかもしれない。  これは麻野のせいだ。ぼくの手の横で眠っている携帯を叩き起こす。『課題が終わったらぐずぐずになるまでヤリ倒してやる』とだけ書かれた麻野からのメールを睨み、ぼくは「誰がするか」と吐き捨て、携帯を床に放り投げた。  時計を見ると、1時を回っていた。長机の上には完全に乾いたバーニッシュ(仕上げ剤)がパレットに乗っている。ぼくはガシガシと頭を掻いて、妙な気恥ずかしさと精液を洗い流そうと、シャワー室に直行した。

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