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五月・カイ「生徒会選挙」

 校舎から百メートルほど先にある学園の正門は、いつも閉まっている。  洒落た文様があしらわれた金属製の門扉で、今は左右に淡いピンクのツル薔薇が咲いているが、この綺麗な花が人目に触れる機会はほとんどないだろう。  学園内の寄宿舎で暮らす生徒達は、長期休みの始まりと終わりにしかこの正門を通過しない。食材などを運んでくる車両は、寄宿舎裏手に直接出る道を使うため、運搬業者もここにツル薔薇が咲くのを知らないはずだ。  俺がこの薔薇に気が付いたのは、昼休みに一人で学園内を探索していたときだ。校則で持ち込みが禁止されているスマホを、誰にも見つからずに使える場所を数カ所確保しておきたいのだ。  結局、正門付近は電波が悪く、俺のリストからは外れた。今のところ睡蓮が咲く温室が最適だ。  俺が帰国子女だと偽ってこの学園に転入してきて、早くも一か月が経った。今のところ授業にもついていけてるし、ボロは出ていないはずだ。  この学園に在籍する生徒は、地元の小学校、中学校に通っていた俺とは、住む世界が違う奴ばかりだった。正直、イケすかない奴もいる。けれど俺が意図的に近づいたユウは、親の権力を振りかざしたりせず、政治家の一人息子として想像するような鼻持ちならない男ではなく、好感が持てた。  彼は普段から生徒皆に笑顔で接し、優しく模範的であろうとしている。教師からの信頼も厚いようだ。しかしそれは、自分の立場を考え、意識的にそうあろうと演じているのだろう。  消灯時間前、談話室で俺と二人、どうでもいい話をしてるときは、少しだけ雰囲気が変わる。校舎内で見かけるときより喜怒哀楽の表情が豊かで、大きな目が雄弁にクリクリと動く。その様子は男の俺から見ても可愛いらしく、共学の高校に通っていたら、さぞ女子にモテたはずだ。  もう少し肩の力を抜いて、いつもそうして笑っていたらいいのにと思うが、ユウの立場ではそうもいかないのだろうか。  それにしても、寄宿舎の部屋が一年生に混じっての四人部屋にされたのは、想定外だった。けれど、同室のカズという一年生が情報通で、とても助けられている。  カズは三人兄弟の三男で、長男は一昨年この学園を卒業、次男は今三年生に在学中らしい。彼は学園の慣習や噂話に詳しく、異例の転入生である俺を気遣って、聞けば色々と教えてくれた。  今月行われるという生徒会長選挙のことも、カズから事前に情報を引き出した。  三年生は大学受験を控えているため、この時期に二年生へと生徒会長の任が引き継がれる。  生徒会長選挙には、二年生のA組、B組から候補者が一人ずつ選出されるが、例年、親の権力が強い者が推薦され、立候補するらしい。A組は誰が出るかで多少もめたらしいが、B組はユウ以外はありえない状況だった。俺には親の職業が、学園の選挙に影響を及ぼすなんて、馬鹿みたいに思えるが……。カズに言わせれば「伝統的にそういうもの」らしい。  もっぱらの噂では、二人の候補者の力関係から、最終的にユウが当選することはほぼ確定しているという。 「だったらさ、最初から選挙なんてやらなくてもいいじゃないか」 「カイ先輩、それは違いますよ。この娯楽が少ない学園で、選挙はお祭りなんですから」 「なんだそれ。俺には理解不能だな。で、システムはよくある普通の選挙と同じなのか?」 「最終的な投票は、全校生徒が一人一票を投じる形で厳正に行われます。でもその前に、盛り上がる前哨戦があるんですよ」 「前哨戦?」 「今度の体育祭です。候補者それぞれが主将となって戦うんです。つまり一年B組、二年B組、三年B組のBチームの主将はユウ先輩なんですよ」  くだらないと笑いたいところだが、確かにそれは娯楽として盛り上がるだろう。  運動なら自信のある俺も、ユウが勝利をつかむ力になれるかもしれないと思うと、「お祭り」が少し楽しみに思えた。  体育祭の目玉は「騎馬戦」「リレー」そして全員参加の「綱引き」だという。競技全てがAチーム対Bチームの対決として行われ、総合得点を競う。  俺は自ら手を挙げ、リレーの選手になった。  談話室でユウにその話をすると、俺だけに聞こえる小さな声で呟く。 「僕、体育祭のノリが苦手なんだよね……。だから少し憂鬱だよ」  ユウにも苦手なものがあるのかと驚いたが「俺が勝たせてやるよ」と嘯けば、「心強いな。期待してる」と笑ってくれた。  体育祭当日。開会式の後すぐ、ユウが「憂鬱」と言っていた理由がわかった。  曇天のグラウンドの東側にAチーム、西側にBチームが陣取り、応援合戦のパフォーマンスからスタートしたのだ。昭和のような長ラン応援団長の衣装を着て、白手袋をはめ、高下駄を履いたユウが、頭に巻いた長いハチマキをなびかせている。 「フレーーー、フレーーー」  腹からの大声を張りあげている姿は、ユウのお坊ちゃんなイメージとは、大きく掛け離れていた。 「これ、やりたくなかったんだろうな」  少し笑ってしまったが、皆の士気を下げないように一生懸命頑張るのがユウの良いところなのだろう。  午前中のハイライトは騎馬戦だった。騎馬を組んで睨み合う両チーム。「はじめ」の合図で一斉に敵陣へ乗り込んで行った。  騎馬が崩れた者から退場するので、段々と数が減ってゆく。「やれ!やれ!」と応援席も盛り上がる。味方の騎馬がユウの乗る大将騎を囲み守ろうとしたが、機動力で優った相手の大将騎に背後からハチマキを取られ、負けてしまう。 「あぁー」  クラスメイトの落胆の声が響く。総合得点では、Aチームが僅かにリードして午前の部を終えた。  昼休憩の食堂でユウに「お疲れ」と声を掛けたかったが、そう思ったのは俺だけではなかったようだ。彼は常に人だかりの中心にいて、俺の出る幕はなかった。  午後のハイライトである対抗リレーは百メートルずつ八人で走る。これに勝てばBチームの逆転という点数差で、足の速さに自信ある俺は、かなりの気合が入っている。準備運動も完璧だ。  俺は七人目の走者で、アンカーのユウにバトンを渡す役割だ。六人目の走者まではAチームに一位を譲って進んできた。俺はバトンを受け取るやいなや、猛スピードで走りだす。自分が風を切る音が聞こえ、獣にでもなった気分だ。応援席の生徒達から、歓声があがっているのが分かる。あっという間に前を走る選手を抜き、さらにその差を広げていった。 「ユウ!」  歓声にかき消されないよう大きな声で名前を呼ぶ。俺の顔を見てコクリと頷いたユウがバトンを受け取るために手を出した。的確にその手のひらにバトンを渡すと、ユウがぎゅっと握り走りだした。俺は息が整わないまま、目でユウを追う。走るフォームは綺麗だ。長い足も無駄なくさばけている。  Aチームのアンカーにもバトンが渡り、ユウの背中を追いかけてゆく。俺が拡げたリードはどんどんと縮められていくが、ギリギリのところでユウがゴールテープを切った。 「やったー!」「勝ったー!」「すごい!」  ユウのところにチームメイトが次々と駆け寄るのが見えた。俺のところにも、何人もが駆け寄ってきてくれ、もみくちゃにされた。  しかし最後の種目の綱引きでAチームが圧勝し、総合的に五点差でBチームは敗北した。閉会式では主将同士が握手をし「正々堂々と生徒会長選挙を戦いましょう」と誓い合い、幕を閉じた。  ユウに勝たせてやりたかった俺は、悔しくて仕方なく、部屋に引き上げてからも自分の枕にボカボカとあたってしまった。カズに「先輩、顔が怖いです」と言われる始末だ。  夕食時の食堂では、ユウが皆に話しかけられる度に「勝てなくてごめん」と謝っているのを目にした。もちろんユウのせいではないし、誰もユウを責めたりはしないけれど、大将としての責任がユウにそう言わせるのだろう。 「大丈夫、選挙は絶対勝てるから、問題ないよ」  何人かがそう言っていたが、ユウはただ気まずそうな顔を返していた。  その日はさすがに疲れているだろうと、ユウを談話室に誘うことは遠慮した。    選挙は、一週間後の学園集会で投開票が行われ、予定調和でユウが生徒会長に決定した。  選挙管理係から断トツの得票数が発表されたのち登壇したユウは、マイクを持って皆の前で話し始める。 「先週の体育祭で勝利を掴めなかったにも関わらず投票してくださった皆さん、ありがとうございました。体育祭を経て生徒会長選挙というこの学園ならではの「お祭り」で、僕は様々な経験をさせてもらいました。皆で声を出し、汗を流し、力を合わせ、喜びも悔しさも味わいました。せっかく与えてもらった役割を無駄にせず、この一年間生徒会長として努力します」  スピーチするユウは堂々としていて姿勢も良く立派だった。活舌がよく、聞き取りやすく、壇上から全生徒への目線の使い方も上手だ。本人に言ったら絶対に嫌がるだろうが「さすが大物政治家の息子」といった感じだ。  けれど生徒たちのお祭りムードは、予想通りの結果が発表された時点で終わってしまっていた。  多くの生徒の気持ちは、放課後の部活やプライベートな時間の過ごし方へシフトしていて、生徒会長となったユウへ、何か期待を寄せているようには見えなかった。 「ユウ、生徒会長当選おめでとう」  夜の談話室で二人になってから、ようやくお祝いを伝える。夕食時の食堂では、もう誰もその話はしておらず、祝賀ムードもなかった。 「ありがとう。でもこれは僕の実力ではなく、父の立場のお陰だから……」  ユウは少しもうれしそうではなかった。  父親の力だろうとなんだろうと、俺は誰よりもユウが生徒会長にふさわしいと思えたし、もっと素直に喜べばいいのにと感じた。  だから夕食のときにコッソリ残しておいた俺の分のマンゴープリンを「お祝いの品。マンゴー好きだろ?」とプレゼントした。プラスチック容器に入って密封されているものだが、果肉入りだ。 「え?なんで僕がマンゴー好きだって知ってるの?大好物なんだよ!ありがとう」 「あっいや、その。ユウが好きそうな気がしただけだし」  しまった。事前にリサーチ済みだなんて言えない。今後はこういうことがないよう、気をつけなくては。 「よし。今、食べちゃおう」  そう言ってわざわざスプーンを取りに行き「美味しい、美味しい」と目の前で食べてくれるユウは、俺にも気を遣ってくれたのかもしれない。 「それにしても、リレーのときのカイは格好良かったよ。すごい速さで僕のところに走ってきてくれて、僕に一位を取らせてくれた。ありがとうね」  しっかりと目を合わせながら褒められると、慣れない俺は恥ずかしくて「べつに」としか返せなかった。 「お祭り」が終われば日常が戻る。  転入してきたときから毎週、火曜日と金曜日の夕方には、俺の雇い主に定期連絡をすることになっている。電話を掛けられる場所を色々探してはみたが、温室より良い場所は見つからなかった。ここは雨の日にも使えるし、何より静かだ。  でも温室にはユウも時々出入りしているから、気を付けなくてはいけない。池の横に設置されたベンチでウトウトと昼寝しているのを何度か見かけたことがある。  いつでも模範であろうとしているユウがこんなところで昼寝をするなんて、意外だった。寝不足なのだろうか?ベンチに座り、足を組んで腕も組んで、首をグラグラと揺らしながら寝ている姿は無防備で、普段より幼く見えた。  とにかく、俺が電話している姿は、特にユウに見つからないようにしなくてはいけない。  夕方の温室は、睡蓮の花が閉じている。朝咲いて夜には閉じる習性らしい。そして二、三日それを繰り返すと、その花は咲き終わってしまうという。  耳に当てたスマホの呼び出し音を聴きながら明日咲きそうな蕾を目で探す。水の上に浮かぶそれが、明朝から咲く蕾なのか、今日咲いて明日も咲く蕾なのか、もう咲き終わってしまったものなのか、俺には区別がつかない。 「もしもし。俺です。はい。今のところ特に異変はありません。あっ、昨日の選挙で、ユウは無事に生徒会長になりましたよ。はい、そうです。はい。ではまた連絡します」  一分ほどの短い電話を終えたとき、ちょうど温室の扉が開き、運搬用一輪車を押した庭師が入ってきた。いつもと同じモスグリーンのつなぎ服姿だ。  初めて見かけたときから思っているが、この人にどこかで会ったことがある気がする……。けれど今日も思い出せないまま、会釈をして俺は温室を出た。外は今日も雨が降っている。

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