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02-1.大公の暴走

 呆れたようなアーサーの顔を見て、カイルは首を傾げた。それから身に付けている腕時計を見て驚愕する。朝から仕事を開始したのにも関わらず、時刻は18時を示していた。 「おかえりなさい、アーサー。出迎えができずにすみません」 「ただいま、カイル。それはかまわないが」 「なにかありましたか?」  カイルはアーサーの浮かない顔を見て心配する。 「ダリアの非礼を詫びる」  アーサーはメイド長から事前に事情を聴いていたようだ。  ……事実を捻じ曲げられたか?  カイルは懸念する。  メイド長はダリアの母親だ。ダリアのことを庇う発言をしてもおかしくはない。 「アーサー、メイドの教育に力を入れるべきでしたね」  カイルは淡々と返した。  実家ではありえない洗礼を受けた気分だった。 「そうしよう」  アーサーはカイルの髪に触れた。 「カイル。ダリアは解雇することにした」 「そうですか」 「驚かないのだな」  アーサーに言われ、カイルは頷いた。  ……目をつぶれと言われなくてよかった。  実家ならば即解雇していただろう。そもそも、主人に対してそのような振る舞いをすることは許されない。  そのような環境で育ってきたカイルにとって、ダリアが解雇されるのは当然の流れだった。 「驚きませんよ。大公として正しい選択をしたと思います」 「……そうだな」 「なにか思うことでもありますか?」  カイルは問いかける。  両親を若くして亡くしたアーサーにとって、乳母であるメイド長は母親代わりだった。その娘であるダリアも平民でありながらもアーサーの兄妹のような幼馴染として育てられていた、それが災いしたのだろう。  アーサーはダリアを解雇するのに戸惑いがあった。  結婚もしていない女性を引き取ってくれるところは少ない。 「アレは妹のような存在だった」  アーサーはカイルの目を見てはっきりと言葉にした。 「メイドだというのに、甘やかしていた」 「そうですか。大公として良くない態度でしたね」 「そうだな。それを指摘する人がいなかった」  アーサーはカイルの髪から手を離した。 「食事をしよう。カイル」 「わかりました」  カイルは否定しない。  それから、用意させていた軽食がおかれたテーブルの前のソファーに座る。向かい側には座らず、二人で横並びに座った。 「紹介状を書こうとしたんだ」  アーサーは優しい。  番に水をかけた相手の就職先が困らないように、紹介状を書こうとしたようだ。 「でも、書けなかった」 「なぜですか?」 「カイルを害した相手の褒めるところなんてなかった」  アーサーの紹介状を書く手は止まってしまったようだ。  軽食を掴み、口の中に入れる。  ……アルファの本能か。あの女が使えない不良品だったのか。  カイルはどちらだろうかと考える。 「情けない」  アーサーは後悔していた。 「カイルを害する人間を放置していたなんて」  アーサーはなによりもカイルを優先する。  それ以上にカイルのなにもかもを自分だけのものにしたかった。大切に囲って、誰よりも幸せにする義務があると考えていた。その目論見が外れつつあった。 「しかたがないでしょう」  カイルはあまり気に留めてもいなかった。  ダリアのやり方は幼稚すぎる。水は汚れたものではなく、綺麗なものだった。わざわざ、カイルに水をかける為にバケツで用意をしたのだろう。 「オメガへの偏見は強いですから」 「しかし、保護されるべきだ」 「貴族にとってはそうでも、平民にとってオメガは疎ましい存在のままですよ」  カイルは書物で学んできた。  オメガの歴史は差別の歴史だ。  優秀なアルファの子どもを産む為だけの存在だと書かれている書物まであったほどである。それらの書物を読んできたカイルにとって、今回のダリアの行動は想定内のことだった。 「俺は保護を望みません」 「なぜ?」 「大公夫人としてアーサーの隣に並ぶと決めましたから」  カイルのはっきりとした言葉にアーサーは目を逸らした。  ……閉じ込めるつもりだったか。  外には行かせないつもりだったのだろう。  どちらにしても、騎士団の仕事がなければ、ほとんどを邸宅で過ごさなければならない。  ……独占欲は元々か?  アーサーは恋が叶うと思っていた。  そのやり方は特殊なものではあったものの、結果として恋は実った。しかし、かなり強引なものであった。 「いっそのこと」  アーサーはカイルに視線を向けた。 「監禁したいくらいだ」  アーサーの言葉は脅しではない。本気だ。  それを悟り、カイルは笑ってみせた。 「監禁のようなものでしょう」  カイルはどこにも行けない。  騎士としての資格はない。アルファとして矜持もない。  実家に足を運ぶことさえも許されはしないだろう。  それは監禁と同じようなものだった。 「社交界にはでます。アーサーも夫人のエスコートが必要でしょう?」 「社交界は嫌いだ」 「そうは言ってはいられません」  カイルは否定した。  アーサーの社交界嫌いは知っていた。 「大公として社交界に出席するする義務があります」  カイルは言い切った。  社交界は貴族にとって情報収集の場だ。王弟の息子であるアーサーは社交の場を得意としていないのは、有名ではあるが、結婚をした以上は避けては通れない。  ……義務を果たさなければならない。  貴族として当然のことだった。

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