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02.味覚異常を隠せない
「屋敷に籠る生活を改めなければなりません」
「それはできない。主人の意向によるものだ」
カイルは即答した。その様子を見ていたメリーは涙を拭っていた。
医者は薬を処方し、帰っていった。薬もストレスの原因を取り除かなければ効果が出ないと念を押され、次回の診察時にはアーサーを説得するようにと言い残していった。
「カイル様」
「なんだ」
「大公閣下に申し上げましょう。それで外に出る許可をいただくのです」
メリーの提案に対し、カイルは首を横に振った。
「それはできない」
カイルはそれだけ言うと席を立ち、再び、書類仕事を始めた。
* * *
「おかえりなさい、アーサー」
カイルはいつも通りの顔をしてアーサーを出迎える。
「ただいま、カイル」
アーサーはカイルの額に触るだけのキスをした。
仲睦まじい姿を周囲に見せることにより、王族の密偵を暴き出す作戦は続いていた。あの三人だけではない。まだいるはずである。
……アーサーには言えないな。
アーサーは運命の番の件で疲れている。
今日も騒がれたことだろう。
「カイル。運命の番に会いたいか?」
「会いたくありません。俺の番はアーサーです」
カイルは即答した。
……珍しい。
合わせないようにしているのはアーサーだというのに、珍しい質問だった。
「王妃陛下からのお茶会の招待状だ」
「断りました」
「知っている。だから、直接、渡しに来られた」
アーサーの言葉にカイルは眉間にしわを寄せた。
……どうしても、お茶会の話題に欲しいらしいな。
監禁状態になっていることが珍しいのか。それとも、アーサーの番というだけで興味意を持たれたのか、わからない。噂を広めている張本人がわざわざお茶会に誘うのには、なにか罠が待っていそうだった。
行きたくなかった。
「明日、馬車を出そう」
「明日ですか。急ですね」
「急ぎの茶会だと言っていた」
アーサーは胡散臭いと思っているのだろう。
……強引にアドルフ第六王子殿下と会わせるつもりだろう。
引き裂かれた運命の番の仲を取り持ったという逸話がほしいだけだ。それをカイルが望んでいないことなど、王妃には関係ないことだった。
……薬が効けばいいが。
味覚異常を王妃に気づかれてはならない。
すぐに噂として広められてしまうだろう。
「カイル? なにか、心配でもあるのか?」
「いいえ。ありません」
「嘘はよくない」
アーサーはカイルの変化に敏感だった。
……番の影響か?
カイルは隠し通すつもりだったが、難しいと判断をした。
「医者に診てもらいました。味覚異常だそうです」
「元々か?」
「いいえ。急になりました」
カイルは素直に打ち明けることにした。
……原因は不明のままにしておこう。
医者も原因を確定していなかった。
しかし、アーサーにも心当たりがあったのだろう。カイルを抱きしめ、申し訳なさそうな顔をした。
「すまない」
「なぜ、謝るのですか」
「私のせいだろう」
アーサーは自覚があった。
元々室内に籠っていることが得意ではないカイルを閉じ込めるのは、得策ではない。カイルに負担がかかるのはわかりきっていたことだった。
それでも、アーサーはカイルを手放したくなかった。
運命の番を自称するアドルフがいる限り、外に出すのは危険だった。なにが起きるか、わからない。
「アーサーは悪くありませんよ」
カイルはアーサーの気持ちがわかるような気がした。
突然現れたカイルの運命の番に翻弄されているのだろう。
「悪いのは運命の番です」
カイルは運命の番を否定する。
そうすることでしか、アーサーを慰める術を持たなかった。
「俺の番はアーサーだけです。運命の番は必要ありません」
カイルは自分自身に言い聞かせるように、言った。
……惹かれるはずがない。
カイルは自分自身に言い聞かせる。
……俺はアーサーが好きなんだから。
気持ちまでは運命の番とはいえ、変えられないはずだ。
「カイル」
アーサーは諦めていた。
「番の解消を――」
「しません。番を解消するくらいならば、死を選びますよ」
「どうして、そこまでこだわるんだ」
アーサーには理解ができなかった。
伝説とも呼ばれている運命の番がいるのならば、そちらの方が良いに決まっている。
大公としての役割もまともにこなせず、近衛騎士団の騎士団長も形だけのものだ。アーサーが誇れるところはなにもなかった。
それに比べてカイルは将来を有望視されていた青年だった。まだ年齢も二十歳だ。何度だってやり直しがきく年齢だ。
「俺をオメガにしたのはアーサーでしょう」
カイルは涙を流した。
……アーサーの言いたいことはわかっている。
アーサーは自分を卑下にする癖がある。そうすることで王族から目をつけられないようにしてきたのだろう。
……でも、俺はアーサーが好きなんだ。
その気持ちまで否定されたくはなかった。
「責任をとって俺を一生大事にしてくださいよ」
カイルの言葉にアーサーは戸惑っていた。
その資格がないと思っていたのだろう。
「……私にはその資格はない」
アーサーはカイルを抱きしめる。
愛おしくてしかたがなかった。
それを手放さなければならない状況に追い詰められたのは、アーサーが王族から嫌われているからだ。
大切な者を与えておいて奪うのが王族のやり方だ。
それにカイルを巻き込みたくなかった。
「味覚障害の原因は私だろう」
「引きこもりが体質に合わなかっただけです」
カイルはすぐに否定した。
しかし、それは認めているのも同然だった。
「アーサーは悪くありませんよ」
カイルはすぐに否定する。
なにも悪いことはしていないのだと言い聞かせるかのようだった。
「悪いのは噂を流した人です」
カイルの言葉にアーサーは力なく頷いた。
「すまない、カイル。苦労をかける」
「大丈夫ですよ。薬を飲めば治るそうですし、心配はいりません」
「しかし、その間が辛いだろう」
アーサーはカイルを抱きしめた。
抱擁されると心が落ち着く。
「大丈夫です」
カイルは問題はないと口にした。
「元々小食ですから。お茶会程度ならごまかせます」
カイルは自信があった。
いや、自信を持たなければならなかった。
根拠のない自信を胸に虚勢を張る。
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