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第37話 急襲

 それは、一つの轟音から始まった。音が空気を震わせ、びりびりと窓を震わせる。研究室でサンドイッチをつまんでいた手を止め、皆が一斉に窓に詰め寄った。研究棟の隣の棟の一部分から、細かい粒子の白煙がふわりと立ち上り、きらりと光る破片を一緒に舞い上げていた。その煙は何かが燃えたというよりは、まるで何かの粉のようだった。その粉に混じるように光る欠片は、ガラスのように透き通っていたが、見覚えのあるそれが、結界が砕け散った破片であることにレイはすぐに気付いた。  ほどなくして、緊急事態を知らせるサイレンがけたたましく鳴り始め、避難指示が飛ぶ。レイは全身の血が冷たく流れるのを感じながら、煙の出所を見ようと窓から身を乗り出した。オリンが後ろから「おいッ!」と白衣を掴んでくるが、構わなかった。嫌な予感に、体が震える。――あの場所は、本棟の教授室がある一角だ。 「マルキオン教授ッ!」 レイは叫んで走り始めた。オリンとバネッサが後ろから追いかけてくるが、レイは走るのをやめなかった。学生や職員たちが一斉に階下へ移動し始める中、レイは本棟への渡り廊下を走り、上へと駆け上った。 「待てって言ってるだろ!」 レイは手首を掴まれ、弾む息のまま振り返った。オリンが厳しい表情でレイを見ている。途中で身体能力強化魔法を使われたら、流石にレイはオリンの手から逃れることはできなかった。 「放してくれ!」 「お前を狙った罠だったらどうする!」 レイの叫びにオリンがすぐさま言い返してきたが、そんなことは承知の上だった。マルキオン教授が狙われる理由を考えたら、それはどう考えても裁判に関わっていることだけだ。その裁判を起こす原因となったのは誰だ? レイ以外の何物でもないではないか!  焦りと怒りに入り混じる思考の中で、レイは頭をフル回転させながら、オリンに言い放った。 「ではこのまま皆と一緒に移動して、それに乗じて狙われる可能性は!? 逆に罠と待ち構えていた者たちを取り逃がす可能性は!? 人的被害の規模を考えたら、俺が無関係の人から離れるに越したことはないだろう!」 まさか言い返されると思っていなかったのか、オリンは一瞬ひるんだ。 「なっ! そ、んな無茶苦茶な――!」 そう言いかけている間に、レイはまた走り始めた。「あ、おい!」と後ろから声がかかり、教授室が並ぶ廊下に入った瞬間、後ろから羽交い絞めにされた。 「いい加減にしろ!」 オリンに一喝されながら、レイは廊下を見た。マルキオン教授の内開きのドアが外に外れて出ていて、廊下に白い粉がまき散らされていた。向かいの教授室の扉は開いており、白い粉の上をサルベルト教授が走ってマルキオン教授の部屋へ入ったのだろうと推測できる足跡が見えた。マルキオン教授の部屋から、幽かにサルベルト教授の悲痛な声が聞こえてくる。 「ウィルッ! ウィルザックッ!」 マルキオン教授のファーストネームを呼ぶ声と、濃い医療魔法の気配がする。レイはオリンを見上げた。オリンの顔も険しく歪んでおり、この人もまた、人を助けたい気持ちがあるのだと言うことが伝わってくる。 「オリン!」 「――えぇい! クソが!」 オリンの手が離れ、レイより先に廊下を走りながら、耳に付けた小型の機械でバネッサに状況を報告し始めた。オリンの後を追うようにレイも走って教授室に飛び込んだ。  マルキオン教授の教授室は、爆発の影響か物が散乱し、飛び散った粉によって真っ白だった。真っ白な部屋の隅で横たわるマルキオン教授に、必死の形相で医療魔法による応急処置を施しているサルベルト教授の姿が見える。 「レイ、触るな! 毒だ!」 サルベルト教授がこちらに目もくれることなく指示を飛ばしてくる。オリンが驚いて、腕で口を覆った。レイは白衣のポケットからマスクを取り出して顔につけると、足元の白い粉に浮遊魔法を慎重に行使した。白い粉が舞い散らないように少量掬い取り、宙へ浮かべてから解析魔法に切り替える。レイの掌の上に現れた解析魔法陣の上をくるくると白い粉が飛散しないで乱回転を始める。魔法陣から読み取った情報に、毒のような反応は見られない。料理に使われる一般的な薄力粉だった。しかし、サルベルト教授が毒だと言ったということは、マルキオン教授から毒が検出されたということになる。  レイは解析魔法を解除して、見るも無残なマルキオン教授の部屋を見回した。爆発の中心はマルキオン教授のデスクの上だったのだろう。そこから放射状に床や壁に穴が開き、割れた窓ガラスから吹き込む風が白い粉を外へと押し流していた。レイは一番近くの壁に空いた穴に近寄った。直系5ミリぐらいの鉄心のようなものが穴に埋まっているのが見え、幽かに魔力の痕跡を感じる。魔法によるものか、あるいは加工によるものなのか、強化された釘が爆発とともに飛び出したと考えるのが妥当か。  浮遊魔法を行使して釘を引っ張り出そうとしたが、びくともしない。レイは仕方なく魔力を多く練り上げ浮遊魔法を凝縮させ、爆発させるように無理やり引っ張り出す。ズッという音とともに抜けた棒は、模様など一切ない、ありふれた太い釘だった。もし加工による永続的な後付け効果付与だったなら、模様がついているはずだ。で、あるならば攻撃魔法薬の毒属性のものが使われている可能性が高い。これが、マルキオン教授の結界を破壊し、毒を与えた凶器か。  改めて、釘に解析魔法をかけていく。魔法陣の上をスピンするように回る釘からは、強力な悪意を伴った毒が検出された。 「……ヴェノマイト鉱、ナイトヘム結晶、ダーギンフラックス石、スロウィスの根、影蛇の胆液、黒夢蝶の死粉……」 挙げ連ねても足りない程の毒物に、レイは震えながら込められた殺意の塊を冷静に分析する。心が凍り付きそうなほどの悪意を感じながら探っていく。どれが先行して回りやすい毒だ。一番最初に解毒しなければいけない成分はどれだ。  解析を終えて、レイは魔法を解除して釘を床に落とした瞬間、誰かが走ってくる足音が廊下から聞こえてきた。 「レイ君、無事!?」  教授室にバネッサが飛び込むように入ってきた。バネッサがマルキオン教授に駆け寄ろうとした瞬間、先に応急処置を施している人物を見て、立ち止まる。 「ファーレン……」 バネッサがサルベルト教授の名前をこぼした。呼ばれてサルベルト教授がバネッサに目を向ける。 「バネッサ……何故君がここに……」 目を見開いたサルベルト教授の言葉に、バネッサがぎゅっと唇を噛みながらマルキオン教授のそばに座り、サルベルト教授の医療魔法を重ね掛けしていく。 「……傷を治さずに、循環を遅らせてるってことは……毒?」 バネッサが苦々しく言う言葉に、サルベルト教授が静かに頷いた。バネッサは辛そうな面持ちで言葉を紡ぐ。 「――この人……なのね?」 その言葉に、サルベルト教授は固く目を閉じて、再度頷いた。しばしの沈黙の後、バネッサは気を奮い立たせるように一つ息をついた。 「……なら、交代よ。魔力相性のいい方が、体力の補填を担った方がいい。合図で交代よ、準備して」 「バネッサ」 「話はあとよ。患者に私情は関係ない」 バネッサの芯のある言葉に、サルベルト教授の表情が崩れた。 「……頼む……助けてくれ、バネッサ」 サルベルト教授の懇願に、バネッサは力強く頷く。 「当たり前のこと言わないで。3カウントで行くわよ……いち・に・さん!」 バネッサのカウントに合わせて、二人が展開していた魔法陣が変形する。マルキオン教授の眉がぴくりと動き、苦しそうに呻いた。それを見ていたレイに、オリンがそっと近付いて声をかけてきた。 「もうすぐ搬送用簡易転移装置が――っ!?」 オリンが突然、耳についている小型の機械に手を伸ばし、集中し始める。バネッサもおそらく同じ内容を聞いているのだろう。いったい何が起こっているのか分からず、レイは二人の顔を交互に見つめるしかできなかった。 「くそったれ……ここまでやるか」 オリンが吐き捨てるように言うだけで、詳細を語ろうとしない。バネッサは額に汗を滲ませながら、苦い顔で呟いた。 「ファーレン……よく聞いて。大学の搬送用簡易転移装置が破壊されていたらしいわ。他に協力を仰げそうな医療系魔術師は?」 「今、中間考査も終わって長期休み期間に入っている……帰郷したり、教授職も国立病院の方にいるか、学会時期でもあって出払っている。私がここにいたのも、たまたま外来日じゃなかっただけだ」 「……そこまで狙っての犯行だったら、末恐ろしいわね……今、近隣の簡易転移装置をあたっているところよ……それまで、私たちでもたせるわよ」 バネッサの重い一言に、その場にいる全員が息をのんだ。どれくらい時間がかかるかも分からない。もしかしたらまた妨害行為が入るかもしれない。爆発があったのに消防部隊のサイレンの音すらしない現実に、レイはぎゅっと手を握り締め、オリンに向き直った。 「オリン、研究室へ連れて行ってくれ。身体能力強化魔法を使った君の足の方が速い」 「は? 何言って」 「良いから!」 レイの言葉にオリンの顔がむっと歪んだが、オリンは舌打ちを一つして身体能力強化魔法を行使し、レイを抱えて窓から飛び出した。レイは慌てて眼鏡を押さえた。オリンは軽々と壁を蹴り、一直線に研究棟に跳躍する。先ほど爆発音が聞こえた時に開いた窓からオリンが滑り込むように研究室へ飛び込んだ。  誰もいない研究室に到着し、レイは素材の保管室の扉に手を翳した。すぐさま魔力が認証されて、保管室の扉が開く。ひんやりとした中の空気が頬を撫で、レイは先ほど解析した毒に対応するための解毒作用があるものを片っ端からかき集めた。そして、調合台に取り付けるために保管されていた新品のB級魔法石も2つ拝借した。  両手いっぱいに素材を抱えて研究室に戻り、調合台の周りに並べ終えると、レイは放置していた自分の鞄から、品質保持ケースを取り出した。 「オリン、頼みがある」 オリンが不機嫌そうにレイを見つめてきたが、レイは気にせず品質保持ケースの封印を解いた。 「今から20分間、俺は調薬に集中する。できたものからマルキオン教授の元へ運んでほしい」 「無理だ。護衛対象から離れるわけに行かない」 「君にしか頼めない。そして、それ以降は、絶対にマルキオン教授に俺を近付けさせないでくれ」 「……? 言ってる意味が」 レイは品質保持ケースから魔力回路のリミッター解除剤を取り出し、自身の太ももに押し付けた。カチッという音とともに、ペン型注射器の先から薬液が体に入ってくる。薬液が全部入ったことを確認して、空になった注射器を品質保持ケースに戻した。  心臓がトクトクと速く打つような感覚がする。目の奥がじりじりと痛み始め、隅々までリミッター解除剤が回ったことが分かった。 「頼んだぞ」 その一言とともに、レイは左右に並んだ調合台を二つ一気に起動し、二台の調合台で調薬魔法の同時行使を開始した。別々の薬剤が宙を舞い、それぞれの調合台で調薬が始まる。 「なんっ!? そんなことしたらお前――ッ!」 オリンが驚愕の声を上げるが、そんなものには構っていられなかった。左の調合台では神経毒に対する解毒薬を、右の調合台では魔法回路に対する解毒薬を調合していく。左の調合台では宙に浮いた2種類の水晶から少しずつ光が抜き取られ、右の調合台では4種類の葉が空中で崩れ、粉末状になって撹拌されていく。 「……うそだろ」 目の前で起こっている光景が信じられないのか、オリンが人知れず呟いた。  レイは両手から液体状の魔力を放出した。左の調合台では水晶から抜き取った光を魔力で包み込んで魔力加工を施しながら、右の調合台ではそのまま撹拌させていく。研究室がいろいろな薬が混ざった匂いで充満していき、オリンは顔を顰めた。  左の調合台の上で魔力に包まれた光が徐々に小さくなっていくにつれ、覆っていた液体状の魔力が光を帯びていく。右の調合台の方では、葉が全て溶け切り、そこに樹液が滴下され、じゅわりと音を立てて液体状の魔力に吸い込まれていく。レイは右側の魔法薬の魔力加工を開始した。濃縮し、少しでも早く全身に行き渡るように加工していく。毒の進行を遅くするため、現在医療魔術で体の循環を遅らせている中で、魔法薬だけが早く満たされるように。  魔力加工を行うときは、いつも沸騰しそうになる魔力回路が、すんなりと働いてくれる。液状の魔法薬が引き延ばされ、折りたたまれながら加工され、調合台で液状に形状固定がなされたあと、とろりと瓶に注がれる。まずは魔力回路毒の解毒薬が完成した。 「オリン!」 浮遊魔法で魔力回路毒の瓶と魔力石を二つ飛ばして、レイは次に出血毒の解毒薬に着手しようとした。 「おい、だから――っ!」 オリンが食い下がる。レイは仕方なく中級結界の構成を整え魔力を練り上げ、自身の周りに展開した。つるりと滑らかな表面の分厚いドーム状の結界が二つの調合台とレイを包み込む。 「これでいいだろ! お前の身体能力強化魔法なら、行って帰ってくる間ぐらい持つ! 魔力石は、二人の魔力補填用に置いてきてくれ! ……早くッ!」 レイの一喝に、オリンは更に怒りを募らせたようだったが、何も言わずに窓から出て行った。それを視界の端で確認しながら、レイは時計を見上げた。魔力回路のリミッター解除剤が切れるまで、あと15分――。

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