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第36話 誇示

 流石に無茶が過ぎた。中級魔法薬はやはり手作業の工程は多いがきちんと材料を揃えて作った方が普通の魔法薬士にとっては消耗が少ない。結局『できる』というのは魔術師だからこその理論であって、レイのように『無茶しなきゃできない』はできるに入らない。  レイは空いている椅子に座って、遠くからゼミ生の調薬を見ていた。机に付けた右耳がひんやりとして気持ちがいい。指の先まで熱かったのに、今ではもう体の中と頭だけなので、魔力回路の熱はもうそろそろ下がるはずだ。マスクも取ってしまいたい。マスクの中の熱い湿った呼気を吸い込むのが苦しい。そろそろとってもいいだろうか。いや、まだダメか。 「息苦しい」 ぽつりと呟いて、頭を反対に向ける。先ほどまで頭を付けていた机の面はすっかり熱が移っていて温い。レイはひんやりするところを探して少し頭をずらした。そんな様子をみてバネッサが呆れたように声をかけてきた。 「応急処置するって言ったのに」 「バネッサさんはあくまで護衛なんですから、いいですよ。あ、それとも護衛しづらいとかですかね。それだったら――」 「いや、むしろあなたの場合は動けないほうがいいかもしれない。無茶されたら困るから」 ばっさりと切られて、レイはその清々しさに笑った。 「もしかしてアイツに何か聞きました?」 誰が効いているかわからないので、クラウスの名前を出さずに声のトーンを落としてレイが聞くと、バネッサは意味深に笑って見せた。あぁ、これはなんか言ったなアイツ。そう思いながらレイはため息をついた。 「今、アイツなにやってるんですか?」 「貴方の彼のことを言ってるなら、国王と昨日の裁判について話してるわね。すごく怒ってたもの、鉄仮面のくせに」 「……怒ってた?」 レイが頭を持ち上げると、バネッサは難しい顔をしながら声を潜めて話し始めた。 「“尊顔直視の許し”よ。あんなの、敵にしてみれば面白くないに決まってるじゃない。余計な火種になりかねないことをするなって」 「え、そんなことして大丈夫なんですか!?」 国王相手にそんなことをするなんて、アイツはいったい何してるんだ。例え直属の上司だからって、やって良い事と駄目なことぐらいあるだろう。レイは魔力回路の発熱以外で汗をかいた。バネッサは「あー」と少し迷って隣に立っているオリンを見るが、当のオリンも口の端を持ち上げるだけで何も答えない。 「……ま、そんなことより。マスク取れば? 暑いでしょ」 と無理やり、話を逸らそうとバネッサがレイのマスクに手を伸ばす。レイは身を引いてその手から逃れながら断った。 「いや、大丈夫です」 「良くないでしょ。魔力回路の発熱は、普通に発熱してるのと一緒で息苦しいのに、そんな特殊マスクしてたらしんどいでしょ」 「あの、いや、なんというか……」 バネッサが更に手を伸ばしてくるので、レイはその手をそっと掴んでしどろもどろになりながら答える。 「アイツが……なんか、怒るので。……発熱中の顔見せるの」 そう言うと、バネッサの手が止まった。じっとマスクをしているレイの顔を覗き込み、ため息をついた。 「…………難儀な」 「すみません」 「いや、どっちの立場も分からなくないから、ちょっと、うーん……でも医者としては推奨しづらいわよそれ」 そう言って、バネッサが医療魔法を行使したのが分かった。およそ数秒の医療魔法。バネッサの手を包んでいるレイの手から、ひんやりとした感触が体の中に流れていく。体の中が冷え始めて、レイはほっと息を吐いた。 「ご迷惑をおかけしました」 「いいもの見せてもらったお礼よ。あなたの調薬、かっこよかったもの。何より、楽しそうだったわ」 バネッサがニッと歯を見せて笑ってきた。もう唇は切れていないようで、レイもつられて笑った。そのまま立ち上がって自分の状態を確認する。脈も正常、ふらつきも無し、暑さなし。 「うわ、楽……」 驚くほど楽になって、思わず感嘆の声が漏れた。その反応を見て、バネッサが更に得意げににんまりと笑って胸を張った。 「私だって、やるときはやるのよ」 「前回うまくできなくて勉強したんスよね」 「余計なこと言わないでいいのよオリン」 表情を変えずに姿勢良く立っているオリンの言葉に、バネッサが表情を変えずにどすの効いた声で凄んだ。バネッサがふと時計を見て、真剣な面持ちでオリンに語り掛ける。 「少し外すわ。大丈夫ね? オリン」 無言で頷くオリンを見て、バネッサはため息をついて研究室を出て行った。バネッサの背を見送ってから、オリンはレイの斜め向かいの席にどかりと音を立てて座り、レイの顔をじっと見てきた。――またこれか。レイはそう思いながらオリンに声をかけた。 「……何か、俺に言いたいことがあるんですよね?」 昨日今日の態度で、レイはバネッサが席を外す瞬間を待っていた。きっとそれはオリンも同じだったのだろう、机の上に頬杖をついて、態度悪くレイに言った。 「わっかんねぇな。なんでクラウスさんはこいつを選んだんだ」 突然の悪態に、レイは不敵に笑ってみせた。 「……『自分じゃなくて』?」  レイは他人からの好意には疎い自覚があった。ただし、過去に色々あったことによって「やっかまれる」ことが多かったために、他人からの悪意には敏くなった。――特に、色恋については。  オリンの目がキッと鋭くなる。肯定以外の何物でもないその反応に、レイはため息をついた。クラウスがオリンについて話す雰囲気と、オリンのレイに対する態度との乖離を見ても、レイに対する悪感情は確実だとは思っていた。ただそれが、クラウスに対する羨望なのか、恋心なのか、判断で来ていなかったが、どうやら当たりだったようだ。クラウスがもしオリンの気持ちに気付いているのであれば、護衛につけさせたりはしないだろう。アイツも人のこと言えないじゃないか。  レイはオリンの頭を見ながら、呟くように言い放った。 「髪を染めたのも、彼の真似か? その割には……黄色いな」 「ほっとけ!」 機嫌悪そうに言うオリンに、レイは肩をすくめるしかなかった。もともとの色が鮮やかな赤色なので、一度髪の色を抜かないと綺麗な発色にはならなそうだ。これは流石に自分じゃ手に負えない。  レイはフォルトンの方を見た。ちょうど最後のゼミ生が調薬をしようとしているところで、それをフォルトンが注意しながら見ている。レイは立ち上がって、最後のゼミ生の調薬を後ろから見ようと静かに近づいた。 「お、もういいのか?」 「えぇ、バネッサさんのおかげで」 調合台から目を離さずに、二人して会話をする。話をしたことで、レイが後ろに来たことを悟られ、最後のゼミ生の背中がこわばったのが見えた。調薬魔法に少し乱れを感じる。やはり自分がいるとプレッシャーなんじゃないか。どこが慕われているというのか。フォルトンの言葉を思い出しながら、レイはフォローに入るために調薬魔法の構成式を頭で整えた。  調合台の上でパリッと音を立てながら光が走るが、光がなかなかまとまっていかない。凝縮過程に戸惑っているようだ。このままだと先に魔力が枯渇して、調薬物が暴発する。  フォルトンが「落ち着いて、できるから」と優しく声をかけているが、なかなか復帰できそうにない。レイは周りで心配そうに見ているゼミ生に一歩下がるように手振りで指示を出し、自分は調薬中のゼミ生の隣に立った。   「集中しながら聞いて……凝縮のイメージは、いつもどうしてる?」 フォルトンに倣って、レイもなるべく優しく声をかけてみたが、内心これがプレッシャーにならないか肝を冷やしていた。ゼミ生は困ったように眉を寄せている。 「……ないか。いつもの調薬でも、濃縮するの、大変そうだもんな。イメージがなかなか持てない人と言うのもいるが、そう言う人はコツさえつかんだら、コンディションが悪くても安定して行使できるから正直羨ましい……手伝うか?」 レイが声をかけると、そのゼミ生は悔しそうに頷いた。レイは「触れるぞ」といってゼミ生の手の上に自身の手を重ね、ゼミ生の魔法に添わせるように展開した。 「分かるか?」 ゼミ生が頷いたのを見て、レイはそのままゼミ生の魔法を邪魔しないように魔法を絡めて展開し、調合台の上で広がろうとしている光を少しだけ押さえ込んだ。 「外側から押さえて凝縮するとき、魔法にもう少し“厚み”が欲しい。俺の魔法に合わせて……そう、上手」 凝縮過程が安定したのを見て、レイはゼミ生から手を離して自分の魔法を解除した。ゼミ生がそのまま自力で凝縮を施していく。二つの瓶に魔法薬を収めて蓋をし、安全ピンを刺し終わるのを見届けて、レイはフォルトンに声をかけた。 「先輩、オリンさんの髪の毛なんですけど――」 そう言って歩き出そうとした時に、レイの白衣が後ろから摘ままれた。振り返ってみると、先ほどまで調薬をしていたゼミ生が緊張した面持ちでレイの白衣を掴んでいる。 「あの、ありがとうございました」 「コツ、つかめた?」 ゼミ生の言葉にレイがそう言うと、ゼミ生は何度も頷く。首がもげそうな勢いの上下運動にレイは笑った。 「それなら、よかった。後片付けよろしく。あと、悪いけど俺がさっきトドメさした調合台の修理依頼出しておいて」 レイはそう言い置いてから、フォルトンと一緒にオリンのもとに歩き出した。 「――で、髪の毛なんですけど」 「いや、お前、だから……そういうところだって……お前の彼氏が不安になっちゃうところ……」 フォルトンの言葉の意味が分からなくて、レイは片眉を上げて首を傾げる。その仕草にフォルトンがため息をつきながら、 「もう、いいです。不安に狂わせておきやがれです」 と諦めたように呟いた。  バネッサが戻ってきて、簡単に昼食を取った後に、レイとフォルトンは大学事務局に魔法薬実験設備の使用許可を申請した。あっさり許可が下りたので、念のためマルキオン教授に声をかけたが、昨日までの裁判で疲れたのか午後から半休らしく「事故だけ気を付けてねー! あ、荷物が届いたら受け取って置いて」とだけ言われた。  魔法薬実験設備は、屋外にある。攻撃用魔法薬の威力を試すための設備で、一応上級魔法薬まで対応しているとのことだが、なにぶん老朽化が進んでいるので、正直信用はできない。  ゼミ生たちと長い鉄製の棒が広い間隔を置いて3本並んでいる場所まで歩いていくと、その端の棒から更に離れたところの地面に白線が引かれているのが見える。フォルトンがその白線の上に立って声を張り上げて検証方法について説明を始めた。 「使ったことある奴いるかもしれないけど一応復習なー! 攻撃用魔法薬の初級雷属性については、こっからあの棒に瓶を浮遊魔法でぶつけて、端から端まできちんと帯電すれば合格なー! 映像記録係ー! 聞こえたかー!」 皆が白線の位置に集まっているのを横目に、レイが離れた場所からきちんと画角に全部映るように撮影機を準備して、フォルトンに向かって手を振った。 「一人目、開始ー!」 ゼミ生の一人が浮遊魔法で一本目の棒に、自身が調薬した初級雷属性の魔法薬を投擲した。棒に瓶が当たると、瓶は綺麗に砕け散り、中に入っていた魔法薬が空中に飛散して雷を発生させた。その雷は吸い込まれるように棒に電撃を流すと、棒と棒の間を閃光が走り抜け3本目の棒に当たると同時に火花を散らした。レイが手を上げると、魔法薬を作った張本人がジャンプして喜んでいるのが見える。 「合格! 第二射、続けー!」 フォルトンの号令に合わせて、順々に棒にめがけて魔法薬が飛来する。レイはそれを最後の8人目が終わるまで満足そうに見ていた。全員が終わった時に、フォルトンとゼミ生が撮影機のところに集まってきた。レイが撮影機を止めようと魔力石に手をかざそうすると、フォルトンがそれに待ったをかけた。 「おい、最後の一人、サボるな」 「あ、やっぱり俺もですか」 「当たり前だろ。中級の威力見せてやれよ」 フォルトンの軽口を聞きながら、レイは白線が引いてある場所まで移動した。白衣のポケットから中級雷属性の魔法薬を一本取り出し、浮遊魔法で浮かばせる。 「いきまーす」 声をかけて、浮遊魔法で一本目の鉄の棒に着弾させると、宙に舞った霧状の魔法薬が空気に結びついて広範囲に散布され、バチッ! という轟音とともに3本の太い閃光となった。その閃光は一本目の棒にから三本目までの棒を突き抜けるように走ると、しばらくの間三本の鉄の棒をビリビリと帯電させた。 「これが中級魔法薬ねー! 俺上級はみたことないけど、きっとこれよりすげぇスケールのやつになるからなー! みんないつか作れよー! かいさーん!」 フォルトンが皆に声をかけると、晴れた空にゼミ生の「ありがとうございましたー!」という声が響き渡った。

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