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第59話 真意

「まさか、クラウスが先輩の部屋を訪ねていたとは思ってなかったな」  帰り道を走る馬車の中で、レイは独り言ちた。  夕食前の時間帯にこっそりと窓を叩くと、カーテンを開けたフォルトンは、にこりと微笑みながら窓からの訪問者を迎え入れてくれた。乾燥エルヴァンローズを使用した昏倒剤については、ねちねちと厭味を言われたものの、結果として丸く収まったことを手放しで喜んでくれた。また、デリンのことをフォルトンが知っていたことにもレイは驚かされた。経緯を聞くと、なんとも、いろいろと『持っている』男だなという感想にしかならなかった。  呟いた独り言を、クラウスが微笑を浮かべながら拾い上げた。 「レイの知り合いを、私は多く知らない。その中でも、私とレイのことを応援していると言ってくれた者は、フォルトン氏しかいなかった。君を探す上で、訪ねるのは当たり前のことだと思うが」 「いや、だとしても日中大学に行くでしょ。というか、オリンが来たって先輩も言ってたし」  馬車の中に置いていたかつらを指で弄びながら、レイはそう返した。しかし、しばらく間をおいてもクラウスから返答がないので、疑問に思って顔を上げると、クラウスが口元を押さえてそっぽを向いているのが見えた。 「……何」  視線は合わないが睨みつけるようにそう言うと、クラウスが口元を押さえていた手を離しながら下を向いた。さっきまで隠れていた口元が緩んでいるのが見える。 「君の……その、話し方が……ルミアに向けるような砕け方で、少し、嬉しかった」  言われて、レイはかつらを落とした。気を付けていたはずなのに、この男にそんな話し方をしてしまったのかと思うと、顔から火が出そうだった。それを知ってか知らないでか、クラウスがそっとレイの頭に手を回し、自身の肩に寄せてきた。 「誤解が無いように言うが、レイが普段私に使う話し方も、好きだ。どちらがなくなっても、きっと私は寂しい。ただ、先ほどの口ぶりは、君が少々拗ねているように感じて、余計に甘く響いた」  クラウスの肩から感じる体温と降り注ぐ言葉に、レイは悶絶しながらも口を開いた。 「……お前はそう歯が浮きそうなことを、よく平然と言えるな?」 「素直になることの大切さを、君から学んだだけだ」  その一言は、レイを完全に撃沈させた。何も言わなくなったレイを見下ろしてクラウスは微笑むと、そっと銀灰色の髪にキスを落とした。 「そう言えば」  クラウスがレイの頭を撫でながら、ぽつりとこぼした。 「フォルトン氏との別れ際、何を受け取っていた?」  その一言に、レイは眼鏡を直しながら体勢を整えた。――この男、やはり目ざとく見ていたか。嫉妬深いクラウスが見ていたならば、例え相手が信用しているフォルトンとはいえ、レイが何かを受け取ったことに対して何も言及しないとは思っていなかったが、それが今となるとは思わなかった。 「……内緒」  仕返しと言わんばかりに、レイはクラウスににっこりと微笑んで返した。  休暇二日目は、時間がかかると思われていた通信魔法機器が届いて驚いた。届けに来たオルディアス王国の魔法技術部に所属しているというフェイラーという男が、レーヴェンシュタイン家の応接室にやってきたレイの手を掴み、ランランと目を輝かせるまでは、クラウスの機嫌も非常によかった。 「見せていただきましたよミスター・ヴェルノット! ぜひ将来は魔法技術部へおいでくださいませ!」  振り解こうと上下に動かしても、しっかりと握られた手は解放されない。レイはフェイラーの圧に完璧におびえながら、震える唇を開いた。 「な、なにを?」  挨拶よりも自己紹介よりも先に、本題に入る。いい加減離してもらわないと、自分の後ろで魔力をわなつかせている男の機嫌がますます悪くなる。しかしフェイラーはこちらの気も知らないで、なおも声高に距離を詰めてくる。 「ミスター・レーヴェンシュタインとの戦闘ですよ! お見事でしたよ! 結界破壊とは!」  レイは思わず半歩引いて、真後ろにいるクラウスに背をぶつけた。クラウスがそっとレイの両肩を持って支えてくれたが、触れる魔力はフェイラーへの殺気で煮詰まっていた。 「フェイラー」  声音だけはいつもと変わらないクラウスが彼の名を呼ぶと、やっとクラウスの存在を認知したかのようにフェイラーはパッと手を離した。 「やぁミスター・レーヴェンシュタイン。いたのか」  ここ、レーヴェンシュタイン家ですけど? と言ってしまいたくなる発言に、レイはクラウスの顔を見上げた。相変わらずの鉄仮面がそこに張り付いている。 「いくら魔法技術部が裏で諜報部と繋がっていると言っても、許可なく私の恋人に触れる愚行を見逃してもらえると思うな」 「えー? いったん振られたのに? 元鞘に戻ったの? ミスター・ヴェルノット、いいんですか? 諜報部の鉄仮面ですよ?」  鉄仮面だというクラウスにさえ飄々と話をするこのフェイラーという男を見る。終始にこやかな表情をしているこの男の瞳の奥が、クラウスを見るときだけ妙に冷めている。過去二人に何があったのかは分からないが、二人が険悪なのであれば早めに話を切り上げるに越したことはない。 「通信魔法機器を届けてくださってありがとうございます。注意点があれば教えてください」 「……おや、嫌われちゃったかな?」  彼の問いに応えなかったことで、フェイラーはそう言いながら首を傾げ、笑顔を浮かべた。レイも同じような笑みを浮かべてフェイラーを見る。 「好きでも嫌いでもないです」 「そういう素直なところは、好感が持てますね」  フェイラーが両手を静かに合わせてから、握手を求めてきた。 「申し遅れました。フェイラー・ド・クォントルムです。以後よろしくお願いします」  レイは、先ほどよりも少し冷静な声音で発せられた家名にびしりと固まった。――侯爵家じゃないか! 先に言えクラウス!  冷や汗を背中にかきながら、レイはその手を恐る恐る握った。 「礼を欠いてしまい申し訳ありません。レイ・ヴェルノットです。よろしくお願いいたします」 「お気になさらず。私はまだしがない後継者にすぎません。、どうということはありませんよ」  そう言ったフェイラーからは、いの一番に手を握ってきたときの表情とは打って変わって、貴族らしい笑みが浮かんでいる。レイはその一言に、フェイラーという人物の底意地の悪さが透けて見えたような気がした。いや、むしろこれが貴族の世界なのかもしれない。  子爵位については、レイもディートリヒへ訴訟を起こす時に初めて知った事実だった。いつの間にか、ルミアからゼーハンを飛ばしてレイに爵位が継承されており、これは、マルキオン教授が依頼した弁護士が調べて分かったことで、レイはルミアから聞かされてもいなかった。新聞にもヴェルノットとは書かれていたが、子爵とは書かれておらず、わざわざ調べない限りまだ世に出ていない情報だ。ルミアも、人には大事なことはきちんと言えという割には、全くレイには伝えないのだから困ったものだ。 「ご存じでしたか」 「貴族社会は情報戦。知らないと足元を掬われます」  まさに今それを実感したレイには、耳が痛い話だった。そう思うと、初手のフェイラーの気安さも罠だった可能性を感じる。  握手を終えると、フェイラーは応接室のローテーブルの方に足を向けた。クラウスがそのタイミングでそっと耳打ちしてくる。 「魔法技術部の部長補佐だ」  ――だから、言うのが遅いって。レイは青筋を立てながら笑顔を貼りつけ、クラウスを見上げた。 「では、さっそく本題に入りましょうか」  声の調子を戻して、フェイラーはにこにことローテーブルの上に置かれた箱を開いた。中からは片手で握れるほどの大きさしかない通信魔法機器と、諜報部がつけている小型の機械が入っていた。通信魔法機器はレイが使っていた物よりも小さく、つるりと丸いフォルムに台座を付けたような形をしていた。 「基本的な使い方については、流通している通信魔法機器となんら変わりません。魔力石は良いものをとリクエストいただきまして、最高級品をお付けしましたよ。いやー流石はレーヴェンシュタインですねー。ご提供ありがとうございますー」  フェイラーが説明をしながら、わざとらしくそう言ってクラウスに視線を送る。しかし、クラウスはただ黙したまま箱の中身を見ており、取り合おうとはしない。話に乗ってこないクラウスに肩をすくめて、フェイラーは話を続けた。 「こちらの小型通信魔法機器は、耳にかけて使用できます。小さめの魔力石が内包されてまして、そこに指でトンと衝撃を加えると起動します。ただこれ、認証された人しか起動できません。そう言った意味ではセキュリティが高いですが、起動後に盗まれたら、動作が停止するまでは使えちゃいますので、お気を付けください。また、音声通信はできますが、文字のやり取りはできません。これは、諜報部の人も使ってますから、ご存じですかね?」 「きちんと説明を受けたわけではありませんので、有難いです」  レイの受け答えに、フェイラーは再びわざとらしく声を上げた。 「わー謙虚! この謙虚さ、見習ってほしーわー! 誰とは言わないけど」  そう言いながらも、フェイラーは小型通信魔法機器を箱から取り出し、レイに手渡してくる。 「では、初回認証を行いますね。やり方は簡単ですよ。一回トンと指で叩いたら音が鳴りますので、音が消えるまで魔力を流してください。それで初回認証は終了です。以降は先ほど言った説明の通りです」  レイは小型通信魔法機器を受け取り、トンと指で叩いた。ピーッという電子音が流れ始めたので、小型通信魔法機器を握るように包み込んでから魔力を流した。流した魔力が小型通信魔法機器の中を通って、レイの方へ戻ってくる。まるで魔力を循環させてスキャンしているかのような流れに、レイは少しわくわくした。  音が止むと同時に、レイは魔力を流すのをやめ、試しに起動してみる。耳に当ててみたが、音は何も流れてこない。 「あ、こちらの方は、一応お渡しはしておくんですけどね。基本的には諜報部内で使う用になってまして」 「なるほど。諜報部から呼び出されたときじゃないと、俺は使えない仕様って感じですかね」  レイが口を挟むと、フェイラーは再びレイの右手を握った。 「わー! 話が早い! やっぱり魔法技術部にきませんか!」 「フェイラー」  クラウスの低い声がレイの後ろから響く。レイは苦笑して、フェイラーの手に左手を置いて押さえてから、そっと右手を引き抜いた。 「有難い話ですが――」 「我々の技術力は、貴方の力になりえませんかね?」  フェイラーの表情は変わらずにこにこと笑顔を浮かべている。レイはフェイラーの話の続きに耳を傾けた。 「魔力回路の外部補助機構研究」  その言葉に、レイは神経が研ぎ澄まされるのを感じた。 「――興味、ありますよね?」  フェイラーの言葉に、レイはまっすぐフェイラーの目を見た。笑顔で細くなった目の奥に、研究者らしい光が宿っている。だが、レイは同じようににこやかな笑みを浮かべて口を開いた。 「……そちらが俺に求める対価は?」  一瞬、フェイラーの目がギラリと光ったのをレイは見逃さなかった。しかし、フェイラーは答えない。まるで、こちらから差し出すのを待っているように。  レイは小さくため息を吐いた。 「残念ですが、渡せません」  静かな拒否に、フェイラーの眉がぴくりと動いた。しかし、フェイラーは尚も続ける。 「おや、まだ何も言ってませんが?」 「そうですね。でも、渡せません」  レイはより口角を上げて伝えた。そのまま互いが笑顔を貼りつかせ、視線を外したほうが負けといわんばかりに見つめ合った。沈黙がその場に降り、笑顔なのにもかかわらず張りつめた空気が緊張感を漂わせた。  先に視線を切ったのは、フェイラーだった。思い切りソファの背もたれに寄りかかって声を発する。 「なーるほどねー。確かに、こういう意思の強さは我が妹にはないかもねー」  はーあ、と声を上げながら宙を見たあと、フェイラーがクラウスに視線を移す。レイもその視線を追うようにクラウスを見上げたが、そこには相変わらずの鉄仮面が立っていた。ただ、クラウスの魔力がそっとレイの背に添えられて、クラウスの感情を伝えてくる。――信じてほしい、と。 「少しは義理の兄となる予定だった私の気持ちを汲んで、妹の近況を聞いたりしないのかい?」  その言葉で、レイは思い出した。クラウスが諜報部に入る前には、婚約者がいたということを。公爵家と侯爵家、確かに家格としては申し分ない。 「……聞いてどうなることでもないだろう」 「そうだね。そりゃそうだ」  クラウスが重い口を開き、フェイラーはそれに軽く返した。だが、フェイラーはソファの背もたれから体を起こし、ため息交じりに続けた。 「でも、君に婚約破棄された妹が、君に恋人がいるという報道を見て、どう感じたと思う? 彼女はね、君への淡い恋心を、まだ捨てきれていないようだよ」  フェイラーの言葉に、クラウスは表情を崩さずに言い放った。 「……既婚のはずでは?」 「貴族間の結婚なんて、そんなものだよ。ましてや、一度婚約破棄された女性の価値は、下がり切る前にもらってもらわねばならない」  兄として淡々と語られる貴族社会の闇を、レイは黙って聞いていた。これには、婚約者がいたことが無いレイに挟める口はなかった。 「……どう聞いているか分からないが」  クラウスの表情はいまだに変わらなかったが、言葉に諦念がのった。 「私と妹君は、決して深い関係ではなかった。ひと月に一度、家を行き来することはあれど、他人行儀な会話をし、人の目を気にしてプレゼントを贈り合う。それこそ、貴族間のビジネスの一つのようだった。最後のほうなど、会話らしい会話もなかった。婚約破棄にだって、すぐ同意された」 「それは、妹の自尊心を守るための――」  フェイラーの言葉に、クラウスは初めてため息を吐いた。 「フェイラー。ここでその話をすること自体、妹君の自尊心を傷つける行為だと、私は推察する」  クラウスの言葉に、フェイラーの表情が陰った。何も言わないフェイラーに、クラウスは容赦なく続ける。 「妹君の恋心が本当か嘘かなどと、ここで話していても埒が明かない上、仮に本当だったとしても、当時から今に至るまで、私は彼女を愛すことはなかった。それだけが事実だ。ただ、一つ言えることは――」  一呼吸おいて、クラウスの目が伏せられた。 「妹君がレーヴェンシュタイン家に入っていたら、恐らく幸せになることはなかっただろう。……今、彼女が幸せであることを、私は願っている」  レイは、フェイラーを見た。諜報部の鉄仮面が、確かに表情を崩さずに言い放った言葉に、驚きを隠せないでいるようだった。  フェイラーがちらりとレイを見て、時を動かしたように息を吐いた。 「なるほど、なるほどね」  何かを噛み締めるようにそう呟いて、フェイラーは立ち上がった。その表情はどこか晴れ晴れとしており、憑き物が落ちたようだった。 「では、用も済んだことだし、私は帰るとしますか。見送りは結構。勝手知ったる場所だしね」  そう言って、フェイラーは応接室を出て行った。  レイは自分に向けられた視線に気付いて、クラウスに向き直った。その表情は、ばつが悪そうにこちらを窺っており、レイは、ただ笑いを噛み締めた。

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