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第60話 露見

 レイは、クラウスの部屋に通信魔法機器が入った箱を持って戻ろうとした。荷物を持とうとしたクラウスに丁重に断りを入れると、渋々ドアを開けてくれた。そのまま腰に手を添えてエスコートし始めるので、「助平心か?」と聞いたら、「今は腕をとってはくれないだろう?」と返された。  先日増設されたテーブルの上に箱を置いて、通信魔法機器を取り出す。椅子に腰かけながら魔力を流すと、容易に起動したそれはレイの魔力を読み取ってレイ宛ての新着メッセージを表示し始めた。溜まりに溜まった新着メッセージに辟易しながらも、レイはルミアにメッセージを送った。  ――通信魔法機器をもらい受けました。そして、できれば早急に相談したいことがあります。ご連絡ください。  送信した後に、少し他人行儀過ぎたような気もしたが、気を取り直して新着メッセージを古い順で表示した。一番上に表示されたのは、行方不明になったことを心配するフォルトンからのメッセージで、本当に迷惑をかけてしまったなと思いながら、通信魔法機器が復活したことと、改めて謝罪を送信した。 「……レイ」  おずおずとクラウスが後ろから声をかけてきて、レイは振り向いた。少し寂しそうな藍色の瞳に、レイは「ん?」と手を差し伸べた。手を取りながら、クラウスが近寄ってくる。 「先ほどの件なんだが」 「元婚約者のレディ・クォントルムのことか? あぁ、もう結婚されているんだったら、その呼び方も違うか」  レイの言葉に、クラウスはそっと頷いた。だが、それ以上を言及しようとしないクラウスに、レイは意地悪く聞いた。 「それが、どうかしたのか?」  普段なら「気にしていない」と言葉を添えてやるところだが、今回ばかりはそうしてやらなかった。クラウスはレイの気を害してしまったのではないかと考えているようだ。元恋人なのか元婚約者なのか、実際のところどうだったのかは知らないが、レイは全く気にしていなかった。むしろ、フェイラーのことを早く伝えてくれなかったことに対して、怒っていた。  クラウスは小さく唸った。先回りしてこちらの気持ちを伝えることで甘やかしてきてしまったから、自分の感情を言うことに不慣れになってしまったのかもしれない。 「……気に障っただろうか」  繋いだ手から、クラウスの魔力が腕に這いあがってくる。嫌わないでほしいと伝えてくる魔力に、この素直さが何故口から出てこないのかと思ってしまう。これをこの男が無意識にやっているのだから、レイにはそれが可愛くて仕方がなかった。 「いや、全然?」  すっぱりと言い切ると、クラウスは一瞬肩透かしでも食らったような顔をした。レイは肩をすくめて、クラウスに言う。 「過去のことだろう? そもそも婚約は破棄されているということは聞いていたし。貴族社会ではいつか直面する事態だろうとは思っていた。まぁ、別段知りたかったわけではないことを知った、その程度のことさ。……お前だって、別に俺の元カノのことを知りたいとか、そんなふうに思ってな――」 「元カノ」  その一言ともに、レイの腕にただまとわりついていただけのクラウスの魔力が、ぎゅっと腕に巻き付いた。明らかにコントロールされている魔力の動きに、レイは啞然としながらクラウスを見た。 「……そこ、拾う?」  呆れたように言うと、クラウスは固い表情のまま眉を寄せた。 「君のことを、私はあまりにも知らなすぎるから……他人に誠実であろうとする君が、何故別れてしまったのかが気になる」  クラウスの言葉からは、過去の女と同じ轍を踏みたくないという意思が感じられ、ただの興味本位ではない切実な願いであることが分かった。  レイは苦い顔をしながら、耳の後ろを掻いた。 「……過去『付き合った』のは3人。全員後輩で、すでに卒業している。告白されて一度は断ったが、試しに付き合おうと押し切られる形で始まり、調律ができないことを知ると、あっさりと振られたよ。皆、三か月続いていない」  淡々と話すレイに、クラウスの眉が更に寄った。クラウスにとっては、調律ができなくて振られるという経験がないだろうから、腑に落ちないのも無理はないと思う。  クラウスはレイの向かい側の席に座り、じっと顔を覗き込んできた。 「……まさかと思うが、私との約束の期日を三か月としたのは」 「過去からの判断」  腕に巻き付いた魔力が解かれ、レイは悪びれもなくそう言った。  居心地の悪い沈黙が下りる。クラウスはじっとレイの通信魔法機器を見ながら何かを考えているようだった。放っておくと、この男の中ではいろいろとこじれてしまいやすいので、レイはため息をつきながら立ち上がった。 「何か飲むか?」 「……あぁ、いただけるのなら」  謙虚な返答に、レイは一抹の罪悪感を覚えた。そして、普段なら一緒にお茶を淹れようと立ち上がりそうな男が、ついてこなかったことにも違和感を覚えて、どうしたものかと思案した。  クラウスの部屋には、簡単な炊事台がある。ポットでお湯を沸かす程度にしか使えなさそうな小さな魔力石がついた一口コンロと、飲水ができるぐらいは整った水道が一つ。備え付けられた棚に、ティーポットとレイがブレンドした乾燥林檎とサレッドセージのハーブティーの瓶が入っているが、レイはその瓶しか取り出さなかった。  洗って伏せられているマグカップ2つに水を入れ、その水だけを宙に浮かせた。水魔法と火魔法の応用で水を沸騰させてから、茶葉を上から投入し、茶葉のジャンピングを手伝う程度にゆっくりと水流を作って蒸らす。部屋に広がるサレッドセージと林檎の甘く爽やかな香りを嗅ぎながら、レイは心を落ち着かせた。同じく洗って伏せられていた茶こしを取ってマグカップの上に置くと、こぼさないようにそっと空中で淹れたお茶を注いでいった。  マグカップを二つ持ち上げてクラウスの方を向くと、クラウスが口元を押さえながら肩を震わせていた。何がそんなにおかしいのか分からず、レイはそのままクラウスの前にマグを置いた。  ひとしきり笑い終わって、大きく息を吐くクラウスを見ていると、目尻に溜まった涙を指で擦りながら、クラウスは口を開いた。 「魔法でお茶を淹れる人を、初めて見た」 「…………え、あ、あれ? 皆、しないもんなの?」  レイはまさかの答えに動揺を隠せなかった。ただ羞恥で火照り、上がる口角を必死に隠した。その様子を微笑みながら見つめるクラウスが、マグカップを持ち上げ香りを嗅ぎながら口を開く。 「レイの家では普通か?」 「え、どうなんだろ」  レイの一言に、一瞬クラウスが怪訝な顔をしたが、レイはそのまま続けた。 「少なくとも、ばあちゃんが俺に魔法を教えるときは、こんな感じで日常生活の動作を魔法で行うところから始めたから」 「ルミア仕込みか」  マグカップに口を付けて、「おいしい。ありがとう」と礼を言うクラウスに、レイはため息をついて切り出した。 「……さっきの話に戻すけど」  クラウスの視線がぱっと上がり、目が合った。 「俺はたぶん、そんな誠実な人間じゃなかったんだと思うよ。だから、調律ができないっていう相性の悪さを理由に離れていったんだ。その方が後腐れないし」  レイは熱いハーブティーを一口含んでから、アイスティーの方が良かったかな、などと頭の片隅で考えた。魔法機構により部屋が涼しいから、何も考えずに温かい飲み物を淹れてしまった。 「当時俺も若かったから、誰かといるよりも研究の方が楽しかったし、同じ魔法薬士を目指す立場だったから、分かってもらえてると思ってたんだよ。今思えば、甘かったんだろうな。……あとは、マルキオン教授のゼミに入れたっていうのも、付き合う相手からしたら、『ステータス』としては申し分なかったのかもしれない。あの人のゼミ、一芸に秀でた人しか声をかけられないってもっぱらの噂でさ。実際は、マルキオン教授が『面白そう』って思った人しか周りに置きたくないってだけなんだけどね」  レイは、マグカップの中身が揺れるのを見ながら過去を振り返っていた。普段とは違う話し方というのもあるが、その声音は優しく響き、クラウスの耳には寂しさを内包して届いていた。  クラウスの視線に気付き、レイが自嘲しながらマグカップから視線を移した。 「まぁ、そんな感じ。魔法使いが付き合うなら、結局、調律の相性に収まっちゃうよなって、話。……お互い、過去を探り合ったって、面白くもなんともなかったろ」  また通信魔法機器のログを見始めるレイの手をクラウスはそっと握った。レイが首を傾げてクラウスを見ると、物憂げな顔をしたクラウスがじっとレイを見ていた。レイが見つめ返すと、クラウスが一度しっかり目を閉じ、開くと同時に言葉を発した。 「相性のいい私が、今更何を言ったところで何の慰めにもならないだろうが……ただ、君に出会えた奇跡に感謝している」  突然そんなことを言い出すものだから、レイは「ははっ!」と声を上げて笑った。 「それは、俺もだよ」  レイがそう返した瞬間、通信魔法機器から青緑色の魔法陣が浮き出た。通信魔法機器がテーブルの上で小刻みに震え、レイはクラウスの方を見た。通話に出るように手で促されたので、レイは頷いて魔法陣に手を翳した。  通信が繋がり、レイは応答した。 「はい」 「レイ、とりあえずアンタ、無事なんだね?」  今度はいつもよりも冷静な音量で、魔法陣からルミアの声が流れる。しかし、内容は相変わらずこちらの安否確認から始まるのだから、レイは心配ばかりかけているなと感じた。 「大丈夫だよ、ばあちゃん。ごめん、忙しいのに」 「いいよ。珍しくお前から相談したいことって言われたら、時間を作らないわけにいかないさ……あ、ヴェーゼルゴンもいるが、問題ないかい?」 「問題ないよ。こちらも隣にクラウスがいる」  そう言ってクラウスを見ると、レイの手を握ったまま、空いている方の手でマグカップを持ち上げお茶を飲んでいた。 「で、相談って言うのは?」  本題に入ろうとするルミアに、レイは一度視線を泳がせた。 「相談事は二つあるんだけど、一つはできれば秘匿回線で話したい」  そう言うと、クラウスの眉がピクリと動いた。対傍受用の加工が施されている通信魔法機器を使用していてもなお、秘匿回線を使用したいというレイの意図が、おそらくクラウスには読めなかったのだろう。 「……いきなり、物騒な話だねぇ」  ルミアが呟くように言った。レイは少し唸りながら、 「そうでもないんだけどね、でも、念には念を入れておきたい」 と伝えた。クラウスからの視線はこの際無視して話を進める。 「まず、一つ目の相談事なんだけど……これは、ちょっと懺悔も入ってる」 「懺悔?」  ルミアの声が聞き返す言葉に、レイは一度大きく息を吸った。 「……魔法技術部に、たぶん『例の注射薬』の存在がバレた」  レイは先ほどのフェイラーとの会話を思い出しながら、ため息交じりにそう言った。フェイラーが口にした魔力回路の外部補助機構研究、その対価について敢えて言及されなかったことを踏まえても、恐らくこちらから「リミッター解除剤」という言葉を引き出したかったのだとしか思えなかった。  通信魔法機器越しに、ルミアが息をのんだのが分かった。 「こ……の、バカタレ!」  魔法陣が震えるほどの大きな声が部屋に響き渡った。大音量の追撃に備えて、クラウスがすかさず防音結界を張った。流石にレーヴェンシュタインの使用人たちが驚いてしまう。 「あれほど気を付けろって言っただろう! どうするんだい!」 「マルキオン教授の命には換えられなかった!」  レイも負けじと声を張り上げると、ルミアの声がぴたりと止んだ。しばらく返答が無く、レイはクラウスと視線を合わせた。突然あげたレイの大声に壊れたわけではなさそうだが。 「マルキオンの坊やについては、そうさね……よくやった」  幾分か音量が下がった静かな声で、そんな言葉が返ってくるとは思わず、レイは戸惑いながら続けた。 「……そうなってくると、正直、次の調薬場所が問題になってくる。品質保持ケースは俺の魔力に反応しないと開かないよう封印しているし、無理やり破壊して取り出そうとしたら中身を瞬時に分解するように施してあるから、最悪問題ないと思う……俺が拉致られて拷問でもされない限り」 「そんなことはさせない」  クラウスが強い意思を持って口を挟んできた。強く握られた手に、レイは微笑んで返した。 「あぁ、期待している」  そう言うと、クラウスも微笑んで返してくれた。レイはそのまま通信魔法機器へ視線を戻した。 「正直、もう心置きなく調薬できる場所は、ばあちゃんちぐらいしか思い浮かばない」 「使いな、勝手に」  簡単にそう返すルミアに、レイは肩透かしを食らった。 「は? 自分の研究室だよ?」 「お前なら構わない。何のために私がお前に爵位を継がせたと思っているんだ」  突然ルミアの話が爵位のことに飛躍して、レイは眉を顰めた。 「そうだ、なんで父さんじゃなくて俺? というか言っておいてくれないと驚くじゃないか。自分は大事なことはすぐに言えって言うくせに!」 「お前が通信魔法機器が使えない状態になるのが悪い! ……まぁ、子爵位で領地もないようなしがないものだけど、公爵家とやりあうってなったら、爵位ぐらい持ってた方が割と円滑に運ぶだろう? それに、あの魔法薬店の名義、ヴェルノット子爵家としてるからね。もうアンタのもんだよ」 「それは有難いけど、俺がもし本当にクラウスと結婚するってなったら、子爵位はどうするんだよ!」  言い合っている中で、クラウスが小さく「もし?」と呟いたのが聞こえたが、レイは無視した。  ルミアは一瞬言葉を詰まらせてから、再度口を開いた。 「持ってりゃいいだろう? 結婚しても旧家の爵位を継ぐ者がいない場合は持っていく人だっているじゃないか」 「それは子供が複数人生まれた時に継がせられるからでしょ!? 俺もクラウスも男なんだけど!?」  ルミアとレイがギャーギャーと言い合う隣で、ヴェーゼルゴンとクラウスがそれを静かに見守っていた。

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