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第80話 線引き

 人込みを避けるように、レイは塔の玄関ホールの壁際に寄った。もうそろそろ、クラウスとマルキオン教授も降りてくる頃だろう。ここで待っていれば、問題なく合流できる。  レイは辺りをぐるりと見渡した。玄関ホールは二階まで吹き抜けになっており、六本の太い柱が並んで上階を支えていた。高い天井から吊るされた大きな時計が、音もなく動いている。高い技術力がないと、ここまでの静音性は保てないだろう。これが、塔が建設された当初から時を刻んでいるのかと思うと、エルフの魔法技術は途方もなく感じる。  午後の二コマ目を拝聴するためにせわしなく移動する人と、塔を出ようとする人の波が、玄関ホールで行ったり来たりしているのを見ながら、レイは眉を寄せた。ザルハディア王国の平均身長と、オルディアス王国のそれでは、およそ五センチ程ザルハディア王国の方が高い。つまり、人の波が普段より高い。先ほどマルキオン教授に言われた「人に跳ね飛ばされるな」という言葉を思い出し、レイは少々機嫌が悪くなった。 「あ、あの」  不意に声をかけられ、そちらに目を向ける。そこには、顔色が悪く、マルキオン教授と同じぐらい身長が高い黒髪の男性が立っていた。どこかで見たような気がするが、全く思い出せない。その男性はもじもじと指を擦り合わせつつ、視線を彷徨わせながら緊張した面持ちで話しかけてきたが、おどおどとした態度を見せたまま続きを話そうとしない。 「……どうかしましたか?」  レイは思わず話を促した。男はびくりと肩を震わせ、深呼吸をしたあとに、まるで勇気を振り絞ったかのように声を上げた。 「ああああ、あの! せ、先日! た、た、たす、たすけて……」  緊張のあまり、どもりが酷い男の声が、段々と尻すぼみしていく。手がまるで凍えているかのように震えているのが見え、かわいそうになってきた。どうやらレイが彼を助けたらしいが、全く身に覚えがない。あまり人と間違えられた経験はないが、誰かと勘違いしている可能性すら考えてしまう。 「人違い、では?」  生まれて初めて使う言葉が、まさかザルハディア王国の言語で話すことになるとは思ってもみなかった。しかしながら、男は食い下がる。 「あ、の……水牢……」  ぽつりと呟かれた言葉に、レイは目を見開いた。合点は行ったが、レイは安堵と共にどうしたものかと内心慌てた。  ザルハディア王国へ降り立った昨日、会場の下見のためにこの継智の塔へやってきたレイ達が、偶然居合わせてしまった自殺未遂現場。この継智の塔の展望台から落ちたお騒がせ男こそ、目の前にいる人物だ。水牢魔法で本人をずぶ濡れにしたせいで、この男だとすぐに気付けなかった。関わって時間を取られるのを回避するため早々に現場から立ち去ったが、どうやら助けた本人にはバレていたらしい。  レイは肯定するか否か迷った。肯定したところで、面倒な未来しか見えなかった。ここでお礼を言われたところで、レイだけの手柄というわけでもない上、何故助けたのかと詰られても困るし、助けたんだから最後まで責任を持てと居直られたら、それこそ対処しようがない。 「ありがとう……ございました……」  ぽつりと落とされたお礼の言葉と、肩を丸めて俯きながら今にも泣き出しそうな男の姿を目にして、レイは観念して息を吐いた。 「……眠れていないのか?」  背の高い男が俯いたところで、男よりも二十センチメートルは背の低いレイには見えてしまう。この顔色の悪さは、恐らく充分な睡眠がとれていないことによる疲労だ。  まさかそんな言葉がかけられると思っていなかったのか、男の視線が一度泳いだ後、こくりと頷く。  彼がパトロンに捨てられたのが、どのタイミングなのかは分からない。おそらく調律もしばらくしていないのだろう。触れてもいない男の魔力がざらついているのがこちらにも伝わってきて、肌が痒くなる。 「魔力のコンディションが悪く、精神的不安定状態に慢性的睡眠不足。……貴方なら、どう処方する?」  男の目を見て、レイは問いかけた。視線が合い、今まではウロウロと彷徨っていた視線が、そのまま留まる。レイは男の目の奥に、スッと光が灯ったのを見た。 「……ルーナミント」 「魔力の沈静化による睡眠誘導」  男が呟いた薬草の効果をレイは答えた。 「スウィフリーフ」 「魔力回路の活性化。なるほど、循環を良くすることで気分も上がりやすくなるだろうが、ルーナミントとの相性としてはあまり期待できそうにない」 「では、パーヴァル導脈草」 「魔力のドレス効果。直接作用させる方法を取るか。初手として即効性があり悪くないが、魔力回路に負担がかかる。そこについては?」 「ルーナミントによる睡眠不足の解消ができたら、魔力のコンディションにもいい影響が出る……はず。パーヴァル導脈草の魔力ドレス剤としては、朝一回服用にして、三日分の処方」  先ほどまでとは打って変わり、男の口からはすらすらと言葉が出てくる。レイはにこりと笑った。 「『混合薬にしない』という選択か、いいね。調合を分けなければならないのが面倒ではあるが、対処療法として非常に正しい」  レイの言葉に、男の表情が少し綻んだ。先ほどまでの張りつめて攻撃的なまでの緊張感とは違い、少しの自信と、晴れた顔。そして、自嘲が滲んでいる。 「……それが、私には必要に見える、と言うことですね?」  察しの良い男は、そう言って眉を下げる。レイは何も言わずに、じっと目の前の男の目を見つめた。何も言わない二人の間を、玄関ホールの喧騒が響く。しかし、移動する者の流れが細り始めて、それも次第に静かになっていった。聞こえてくる音が完全に消える前に、レイは口を開く。 「俺だったら、まずはルーナミントだけで様子を見るかもしれない」  意外だったのか、男の目が少し開いた。レイはどう伝えるべきか迷いながらも、所見をそのまま伝えた。 「根本的原因が除去できれば回復するのか、そうではないのか。その人の置かれた環境、交友関係、全てが治療において大事になってくる。食事もね。ただ、話している貴方から受けるただの“印象”としては――ゆっくり眠れたら、立ち上がれる人だと思った。“お守り”としての魔法薬の処方は、俺はあまりしない。そもそもそれが必要そうな人なら、専門医への紹介状を持たせてしまうだろう。むしろ、患者の苦しみを早く取り除くという意味では、貴方の処方の方が患者に寄り添っていると言える。……確かに、俺の処方はザルハディア王国ベースの考え方ではないな。いい勉強になった。ありがとう」  患者として接したわけではない。それが伝わったのか、男は言葉を失っていた。半端に開いた唇からは、音は漏れることはなく、そのまま閉じられる。  レイは眉を上げて小首を傾げて見せた。まだ何かありますか? という仕草に、男の方が小さく息を吐いて微笑んだ。 「こちらこそ、ありがとうございました。失礼します」  丁寧にそう言って、男は去って行った。  塔の出口へ向かって歩いていく男の背中をしばらく見送って、レイは暇を持て余した。マルキオン教授たちが来るのが遅い。大方、寒い外に出るのを嫌がっている教授の説得に時間がかかっているのだろう。待たずに迎えに行ってしまおうか。――そう考えていた矢先だった。 「いやぁ、オルディアス王国の魔法薬士殿は、非常におモテになるようで?」  敵意を隠すことなく、聞き覚えのある声が耳に入った。レイは思わず顔を顰めて声のした方に振り返ると、思い出してしまうのも気が重くなる人物がそこに立っていた。名前だって憶えている。憶えているが思い浮かべることすら嫌だった。にやついた笑みを浮かべてこちらに声をかけてきた人物こそ、カーレンの元婚約者で現ストーカーともいえる、人の皮を被ったくそ蛆虫腐れ外道だった。  玄関ホールを通る人は既におらず、むしろこの瞬間を狙って声をかけてきたのだろう。単純な力ではこちらが適わないことを知っているからこそ、行動に移した。やはり反吐が出る。 「君の噂はかねがね。ボクの婚約者だけでは飽き足らず、色々な男に粉をかけておいて、恋人が出来た瞬間、あっさり皆捨てたそうじゃないか」  レイは黙って聞いていたが、目の前で得意げに宣う粘着男の主張が全くピンとこなかった。人生二度目の“人違い”という言葉を、こんなに短時間で使う場面に遭遇することになるとは思ってもみなかった。  かといって、ここで反応するのも相手のペースに乗せられたようで気が引ける。レイは重たいため息を一つ吐いて、壁に背を預け、腕組みをしながら無視を決め込んだ。視界に入れるのも憚られ、視線を足元に落とす。  自分が履いているきれいに磨かれた飴色の革靴が光っているのが見える。普段使い用だとクラウスから買い与えられたものだったが、勿体なくて履かずに一週間ほど置いていたら、じっと足元を見られる日々が続き、とうとう折れて履き始めたものだ。  視界の外で、粘着男の「チッ」という舌打ちが聞こえる。その後、踵を鳴らしながら近付いてきて、男の黒い靴が視界に入ってきた。嫌悪感で思わず頬がひくつく。 「君の婚約者は、もしかして男か? オルディアスでは同性婚ができるんだろう? そりゃあ囲われるよりはそっちの方が将来安泰だろうさ。だが、君のような“色狂い”が、生涯一人で満足いくのかなぁ?」  妄想をほざき続ける粘着男の弁は止まらない。そっと音もなくレイの頭よりも斜め上あたりの壁に手を着いて、こちらを見下ろしてきているのが気配で分かる。身の毛がよだつとはまさにこのことだった。  どいつもこいつも背が高くいらっしゃって腹の立つ。男のスーツから香る上質なコロンの匂いにすら虫唾が走った。 「――浮気相手探しで来たなら、ボクが遊んであげてもいいよ?」  ぷつんっ  寛容なレイの中で、張りつめていた糸が切れた音がした。 「生憎」  怒りで口の端が震える。しかし、努めて笑顔を浮かべて男を見上げた。 「――小さいには興味が無いんでね」  そう言った瞬間、男の顔に疑問符が浮かんだ。レイの言葉の意味を理解するのに、一呼吸分の時間を要し、みるみる男の顔に火が入っていく。食いしばったせいか、白い糸切り歯が見えた。 「コイツッ!」  男が手を振りかざした瞬間、レイは頭の中で整えていた構成式を発動した。水魔法と洗浄魔法をアレンジし、男の足元に粘度のある洗剤のような液体を広げた。拳を振り下ろすにしろ、体重移動がある。その軸足をずらした瞬間、男の足がずるりと滑った。  べしゃりと音を立てて顔面からすっ転んだ男を見下ろし、レイは男の背の上をゆっくりと歩いて玄関ホールの中央に歩み出た。吹き抜けになった二階を見上げるが、まだマルキオン教授たちの姿は見えない。  じゅわりと水が干上がるような音がして、レイは床に這いつくばっていた男の方を見た。先ほどレイが魔法で撒いた粘液状の水分が、熱せられたのかぶくぶくと泡立ち、白い粉状になって床に張り付いていた。怒りに震えながら立ち上がろうとしている男に、レイはやれやれと声をかけた。 「分析・分解ぐらいできるだろう。そんなやり方をしたら、粘着成分が焼き付いて床が変色するかもしれないじゃないか」 「黙れッ!」  男の声が玄関ホールに響き渡った。つんのめりながらも立ち上がった男は、レイに向かって駆けだす。  流石に分が悪い。レイは塔の出口へ向かって走った。こいつは人がいるところでは手を出してこない。先ほど出て行った魔法薬士たちが、もしかしたらまだ近くにいるかもしれない。  出口まであと数歩。その時だった。背後から身体能力強化魔法の発動を感知した。レイは驚いて振り返る。男が一瞬だけ魔法を発動し、一気に距離を詰めてきた。いや、違う。この男の魔力量では、一瞬しか行使できないのだ。だがその一瞬さえも、行使に耐えうるだけの魔力回路がこの男にはある。  殴られる。いや、むしろ殴られたほうがいいのか? 今回は浴びせられた暴言を録音するなんてことはしていない。コイツを破滅に追い込むためには、正当防衛を主張するための要素が足りない。  一瞬で脳裏に浮かんだ状況に判断を下し終わる前に、レイは男の怒りの形相越しに、ふわりと黄土色の髪が揺れるのを見た。 「ごふっ!」  身体能力強化魔法でついた勢いのまま後襟を掴まれれば、締まるに決まっている。男が首元を押さえて後ろに倒れ込んだのを見ながら、レイは弾む息を整えた。レイを背に隠すようにして、尻もちをついた男との間に、クラウスが立ちはだかった。  この見目麗しき婚約者は、ホールの吹き抜けであることを良い事に、恐ろしい速度で二階から飛び降りてきたのだ。身体能力強化魔法も使わずに。 「怪我は?」 「ない」  短く問われ、短く返す。平静を装っているクラウスの顔に似合わず、レイに擦り寄ってくる彼の魔力が、「心配」の二文字を背負って揺れているのが見え、レイは安堵と共に小さく噴き出した。 「……何事?」  小走りで追ってきたマルキオン教授が、冷ややかな目で尻もちをついた男を見下ろしている。こちらの味方が多いことを知ると、男は服についた汚れを掃いながら立ち上がった。 「特に何もありません。……そうだろう? レイ」  男から親しげに名前を呼ばれ、背中から登る嫌悪感にレイは身震いした。その様子をマルキオン教授が見ながら、「へぇ」と小さく呟くと、再び男の顔を凝視し始めた。 「……どこかで見た顔なんだけど、会ったことある?」  そう言うマルキオン教授の視線から隠すように顔を逸らし、男が咳払いをした。 「では、ボクはこれで」  そう言って二階へ上がる大階段の方へ踵を返し、去ろうとする男の背にレイが声をかけた。 「カーレンにもうちょっかいをかけるな。彼女はもうお前の婚約者じゃない」  その声に、男がぴたりと足を止め振り返った。 「君こそ、彼女に粉をかけるのは止めたらどうだ? 国にいる婚約者に浮気を疑われても知らないぞ? もっとも、疑いでいいのかが、そもそも疑わしいけどね! ははっ!」  くるりと背を向けてきた男に、レイはまたにっこりと笑顔を浮かべて見せた。 「言うこともやることも“小さい”男には、きっと誰も満足させられないと思うが?」  再び足を止め、肩越しにレイを睨みつけてきた男に、レイは小首を傾げて続けた。 「あ、気にしてた? ごめんな?」 「貴様ッ!」  真っ赤な顔をしてこちらに一歩踏み出そうとする男から守るように、クラウスが一歩前に出た。同じぐらいの身長のクラウスに、ガタイの違いと気迫で負けた男は、ふんっと鼻を鳴らして再び大階段の方へ向かいながら声を上げた。 「そこまで言うなら、君の婚約者は、さぞかし“大きい”男なんだろうさ!」 「え、うん」  思わず口をついて出てきた肯定の言葉に、全員の視線が突き刺さり、レイは視線を泳がせた。 「……困る……ぐらいには……」  そう言った後に、自分で一体何を言ってるんだと思い直すと、ボッと顔が熱くなった。顔が上げられない。クラウスの視線がこちらを向いているのが分かる。どうかお願いだから見ないでもらえないだろうか。  もじもじと指を絡めるレイの姿を見て、男は怒りに肩を震わせたあと、何も言わずに踵を踏み鳴らしながら去って行った。  どうしてくれる、この空気。全部あの短小男のせいにしていいだろうか。……ダメか。流石に。

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