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番外編3 義兄の話(下)

 もしかしたらデートなのかもしれない。そんな浮ついた考えを持った自分を土に埋める手段はないものだろうか。  騎士の中でも短い部類に入る程の髪の長さでは、セットのしようもない。私用の服もない。誂える時間も既製品を揃える時間もない。むしろアルだって仕事のはずだ。そんなに長い時間の外出になるはずもない。ならば、めかし込む必要だってないはずだ。……そんな言い訳で武装した自分を迎えたのは、もちろん執事服に身を包んだアルだった。肩透かしを食らったような、妙な気持ちのまま馬車に乗せられ、行き先を聞いても教えてもらえない。出鼻をくじかれたような気持ちも相まって、苛ついてしまったのは仕方がないことではないだろうか。  だが、馬車が通っていくこの道は、非常に馴染み深かった。……まさか、そんなことがあるはずもない。あの場所に、あの人がいる場所に、アルが自分を連れて行くなど、本来ならあってはならないはずだ。  目的地に着いたとき、自身の勘がこんなに外れて欲しいと思うことはなかった。  国の重要人物が長患いした時に使われる、秘匿された医療施設。その施設は、まだ建物が見えないような離れた場所で、高い塀に囲まれており、唯一設置されている門を通って行かねばならない。その門番にアルは通行許可証を提示して、そのまますんなりと馬車を進めていった。 「……お前が、代わりをしてくれていたのか」 「私ごときにディートリヒ様の代わりは――」 「下手な謙遜は要らん」  アルの言葉を一蹴すると、馬車の中は吸音加工がされた石畳を歩く馬の、微かな足音だけが響いていた。  もともと、あの人が呪いに侵されていた頃から、夢現(ゆめうつつ)に話していたのはクラウスの名前だったのだ。結局、自分もクラウスの代わりであったし、その代わりすら務まらなかったのだ。 「……ディートリヒ様の苦しみは、分かっておいででしたよ」  かけられた言葉に、自然と目がアルの方を向く。眉が寄り、視線を手元に落としながらも、アルはそのまま話を続けた。 「……『不甲斐ない自分が招いた結果を、ディートリヒに被らせてしまった。あの子は、責任感が強すぎた。あの子が壊れる前に、どうにか手を打たなかった私の落ち度だ』……そうおっしゃっていました」 「そんな都合のいい嘘を信じると――」  苦々しく呟く。だが、今度はアルが非難じみた目をこちらに向けてきた。 「貴方が逮捕されたときに、当主様へ報告したのは、誰だとお思いで? 家族と疎遠になっておられたクラウス様が、わざわざ当主様の病室を訪ねるとでも? クラウス様にとっては、『実の兄に殺されかけたので逮捕しました』なんて報告することになるんですよ?」  アルの強い反論に、呆気にとられた。まさかアルが自分に口答えしてくるなど、露にも思っていなかった。  無言でいると、アルはそのまま続ける。 「『独りで頑張り過ぎるきらいがあるから、クラウスと共に協力するよう伝えようとしても、なかなかそれを受け入れようともしない。クラウスもクラウスで何年も顔を合わせていないし、無事なのかどうかも分からない。ディートリヒだけが頼りだった。だが、それがかえってあの子を歪ませる結果に』――」 「ハッ! なにを今更!」  聞くに堪えない絵空事をほざくアルの言葉を遮るが、アルは冷静に首を振った。 「……『出来のいい兄弟を持つと、辛いのは分かっていたはずなのに』と」  淡々と呟かれたアルの言葉に、肺がひきつるような感覚を覚えた。  父である現レーヴェンシュタイン公爵には、兄がいた。表向き公表されている兄は、若くして事故で亡くなった。それにより次男であった父がレーヴェンシュタイン公爵を継ぐことになったのは事実だ。だが、その兄が優秀だったかどうかなどは知らない。本当のことを知らないアルは、公爵が言った言葉はその兄に向けられた言葉だと解釈しただろう。だが、公爵には“公にできない兄”が二人もいる。オルディアス王国にて知らない者はいない、第十三代国王ケイジンと、その弟ケイデン。この二人の手腕は、語る必要などない。  馬車が降車場に入る。そのまま馬車の中で待つと言った自分を「返済」の一言で動かして、アルは慣れた足取りで医療施設の中へと入っていった。中央が吹き抜けになっているその施設は、どの病室からでも中庭が見えるようになっていた。吹き抜け部分を覆うように張られた結界は、上から覗いても中庭が見えないような仕組みとなっており、情報漏洩に重きを置きつつも、光を取り入れられるように工夫されていた。  部屋の前に辿り着く。軽くて無機質な病室のドアは、ベッドが通りやすいように大きい割に、スライド式ではなく通常のドアと同じ形をしていた。  数か月前は、週に一度ここに立ち寄るようにしていた。新聞を持って、目が見えづらい父のために、外の世界の動きを教えるためだけに。ただのエゴだった。自分はきちんとできている。だから、レーヴェンシュタインの期待を背負うのは、クラウスなんかではなく自分なのだと、誇示するように。――そして今その役目は、後継者でもないアルが引き継いでくれている。  アルが無言でこちらを見てきた。視線で、入らないのか、と問いかけられる。その視線から逃げるように目を逸らし、壁際で姿勢を正した。ここから動くつもりはないことが分かったのか、そのままアルはノックをしたあと、病室に入って行った。  病室から微かに話し声が漏れ聞こえるが、何を話しているかは分からない。アルの声と、弱っている実父の声を聞き分けるように耳を澄ませながら、白く磨かれた床を見ていた。医療者が集まる区画から離れたこの空間は、驚くほど静かだった。広く長い廊下の外を見ても、遠くに高い塀が見えるだけだ。この景色を病室から見せないために、この施設の外側は廊下で囲うように作られている。確かに、毎日見る景色が遠くに見える塀では、息が詰まるだろう。  少しくたびれ始めた革靴が見える。別段、以前履いていたような高級な靴を履きたい気持ちなど湧いては来ないが、今の自分には、この靴すらも身に余るように思えた。  終身刑のディートリヒ。国から派遣された補佐官ラーディーン。どちらであっても、場違い極まりない。  アルが馬車の中で語った父の言葉を思い出す。父は、その劣等感を受け入れたからこそ、良き領主としていられたのだろう。自分とは違う。自分ならできるはずだと鼓舞し、落胆し、齧り付いてでも後継者の椅子を守ろうとしたのは、領民からの支持という形で満たそうとした、ただの承認欲求だったのではないか。父に認めてもらえなかった自分の傷を、こんなことで傷ついているなんて認めたくないと、プライドだけが一丁前の、ただの道化。それが、ディートリヒ・フォン・レーヴェンシュタインという男だった。  病室のドアが開き、ふとそちらに目をやると、中からスンッと鼻を鳴らしながらアルが出てきた。力なく微笑んで見せた彼の目元が、僅かに濡れているのが見える。  何があったのか。どう声をかければいいのか。逡巡する間、ディートリヒはただアルを見つめることしかできなかった。 「……当主様が、前を向かれました」  ほろりと目尻を流れ落ちていった涙を指で拭いながら、アルは呟いた。 「よかったですね」  穏やかに浮かぶアルの笑顔に、小さく頷き返す。だが、それとは裏腹に、胃が冷えるような息苦しさを感じた。ほっとしたのは事実だった。呪いの根源であった後妻(リーン)の没後、徐々にではあるが体は回復していっていたにもかかわらず、父の心は蝕まれていく一方だった。憐れだと思った。自身が愛した女から死を望まれていたのだから。それが今、立ち直る兆しが見えたのなら、喜ばしいはずのことだった。  置いてけぼりの感情が、後ろ指を指す。――ほら、お前ではやっぱり、救いには足りなかったんだろう。……嗤える。レーヴェンシュタインを裏切っておきながら、誰かの救いになれるとでも?  不意に、アルの指がそっと自分の目尻を撫でた。その行動で、やっと自分の目から涙が流れていたと理解した。 「……昔から貴方は、泣くときに声を上げないですよね」  どこまでも優しい声音が、涙腺を刺激する。奥歯を噛み締めて、震える呼気を抑え込もうとするが、どうにも難しかった。涙の止め方を知っているのなら、今すぐ教えてほしいと思うぐらいには無様だった。  アルが身を寄せて来る。両腕を背に回そうとして来たので、弱く首を振って拒絶するが、そんなことすらもお構いなしだった。 「嬉しいときぐらい、素直に泣いていいんですよ」 「……どの面を下げて」  周囲を巻き込んで、結果的に守ることもできずに逃げて傷つけて、どうして良かったなどと言えようか。  子どもをあやすように、背を優しく叩くアルの手は、全てを許そうとしてくれているようで、錯覚しそうになる。 「他の人に見せられない顔ならば、どうぞ私の前でだけお見せください」  そんなことを言い始めるから、ますます訳が分からない。何故アルは、自分のことを好いてくれているのだろうか。困惑する。何故自ら抱え込もうとするのか、理解に苦しむ。 「貴方の罪は、きちんと貴方が背負っておいでです。貴方は許されたくないかもしれませんが、許したい人たちがいるということを、どうか忘れないでくださいね」  都合がよすぎる。現実はそう甘くはない。しっかりしろと気を張って、力を込めてアルの肩を押すが、アルの体はびくともしなかった。こちらが手加減すると分かってるのだから手に負えない。つけあがらせていることが分かって苛ついてしまう。 「甘やかそうとするのも大概にしろ。そんなだから、下の者が育たないんだ」 「……それは貴方がきちんと皆の仕事ぶりを見ていないからそう思うだけです。やるべきことはきちんとこなしておりますし、向上心のある者ばかりですから。……全体的に若いせいで、落ち着きがないところは玉に瑕ですが」  最後にこうしてちくりと刺してくるのも、いつものアルだ。レーヴェンシュタイン公爵家に入り込んだ第二王子陣営を排除するために、取り込まれた身内諸共切らざるをえなかったとはいえ、年長者を解雇したのはディートリヒだ。 「そうだ。『今度ラーディーン卿も含めて、みんなでお茶をしよう』とレイ様がおっしゃっていましたよ」  突拍子もなくそんなことを言ってくるアルに、先ほどまで出ていた涙も引っ込んでしまう。 「……断る」 「クラウス様もご了承済みです。諦めてください」  そこまで言うと、やっと背に回された腕が解けた。いつもより少し意地悪そうな笑みを浮かべるアルは、幼少の頃の表情そのものだった。 「貴方が一人になろうとすればするほど、私は貴方のそばにいますからね。お覚悟を」  口調だけは一線を引いている癖に、言っていることはなんとも重苦しい。思わず眉間に皺が寄るほどに。 「……やはり解雇するべきか」 「返済期限は、たっぷりありますので。……ここはひとつ“取り立てのつもり”で、いかがでしょう?」  今度は普段通りの穏やかな笑みに見えるのに、どうにも胡散臭い。気持ちを伝えたからといって堂々と居直られても、こちらとしては応える気もないのにどうしろと言うのだ。そんなことで絆されると思ったら大間違いだ。 「お前は甘ったるくて胃がもたれる」 「貴方が辛口なのですから、ちょうどいいではありませんか」  そんな軽口を叩きながらも、アルは踵を返した。 「では、主治医のところに行ってまいります。こちらで待ちますか? 寂しくて泣かないでくださいよ?」 「さっさと行け」  つぶさにそう言うと、アルは気にもしていないのか、軽く笑った後、姿勢を正して颯爽と歩いて行ってしまった。後ろ姿の揺れる執事服の裾を見ながら、ディートリヒは小さくため息を吐く。まだ明るい外の景色は無機質な塀が見えるだけだが、秋の深まりを感じる明るい日光が廊下に差し込んでいた。 「……忙しくなるな」  そう呟いた言葉は、自分でも驚くほどに明るく、苦しかった胸のつかえがとれたようだった。けして、自分が犯した罪が消えたわけではない。贖罪の日々は、まだ始まったばかりだ。だが、悲観するだけではどうにも終わりそうにない。  再び、視線がアルを追う。医療者が集まる区画の様子を窺うアルが小さく見える。何かを医療従事者に言づけて、そのままその場で待っているアルが、ふとこちらの方を向いた。遠くからでも、アルが今どんな表情をしているのか、手に取るように分かる。 「まったく……面倒な奴に好かれたものだ」  独りごちて、ディートリヒは緩んだ口元を隠した。

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