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第6話 遠い昔の御伽噺
「昔々、まだ誰もが草木の声を聞いていた頃のお話です。──星が瞬く北の果て。聡明なエルフが一人、暮らしていました」
ぱらりと捲ったページには美しい星空が描かれていた。
ヴェルシュはそこに記された文字を、優しい声でなぞっていく。
「エルフは一人でしたが、決して寂しくはありません。草木を愛し、囲まれて生きていたからです。
そして何より──エルフが恋をした小さな蕾が、傍にあったからです」
また、ページを捲る。挿絵には小さな赤い蕾がひとつと、その蕾を愛おしそうに見つめる美しいエルフが一人。言葉がなかったとしても、互いに想いを通わせていると分かる絵だった。
「エルフは、幾日も幾十日も蕾が花開く時を待ちました。静かに、そして大切に大切に愛でながら、待ちました。
やがて、蕾はゆっくりと花開きます。エルフとその花は、愛おしい日々を過ごしました。神様がいるのなら、この時よ永遠であれと願いたいと、エルフは思いました。」
ページを捲る音がまた響く。アヴァールはその声音の心地良さに目を閉じ、笑みを浮かべながら話に聴き入っていた。
「……しかし美しく咲いた花も、やがて萎み始めてしまいます。花は、エルフに語りかけました。
『わたしが咲いていられるのは、あと幾日か。醜く枯れゆく姿を、あなたにだけは見られたくない。私がこうすることを、どうか許して』
すると、花は首をもたげ──ぽとりと、自らを枝から解いて落ちました。
エルフは泣きました。
君とともに果てられたらと、声も上げずに涙を流しました。
その涙は、今も湧き続ける湖になりました…」
ぱたん。その本を閉じると、ヴェルシュは柔らかく息を吐いた。アヴァールは閉じていた目を開けるとヴェルシュに声をかけようと起き上がり、そして息を呑む。
「ヴェルシュ、とても…っ!君、泣いているのかい?」
ヴェルシュは己の頬に触れ、自分が一筋の涙を流していたことに初めて気が付いた。
「あぁ…気付かなかった、途中であくびでもしたかな」
「きっと違うだろう、なにか…あるのかい?」
ヴェルシュは言葉を濁して誤魔化そうとするが、アヴァールのその心配そうな態度を前にしてはそれも不誠実だと感じた。そして、ぽつりぽつりと言葉を零す。
「…この話が好きだった友がいたんだ。しかし人間だったからな──もう、この世にはいない。珍しいな、少し思い出してしまった」
そう言うと、ヴェルシュは白魚の手で涙を拭う。本を棚に戻すと、サイドテーブルに置かれたレモン水を口にした。
「昔話をしても仕方がない。明日もお前は仕事なんだろう、寝た方がいい」
月明かりだけが部屋を照らす。ヴェルシュはベッドに入りアヴァールに背を向けると、夜の中に身を沈めていった。
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