9 / 24

第9話 崩壊の足音

次に呼び出されたのは、日が沈んでしばらく経った頃だった。 部屋の灯りをつけて異国の本を読んでいると、コンコン、と軽いノックの音が響いた。 「…アヴァールだろう」 「おや、何故バレてしまったかな」 アヴァールは扉を開けると、わざとらしく肩を竦めて見せた。そして、ヴェルシュにゆっくりと歩み寄る。 「朝と昼はすまなかったね、そんなに怒らないでくれ」 「俺は気は長い方だが、約束を反故にする奴は好ましくない。そも、先に『食事は共に』と言い始めたのはお前だろう」 「分かった、分かったから…お小言は後で聞くから、夕食にしないか。遅くなってしまったがね」 ヴェルシュは朝と昼に来なかった理由も、夕食が遅くなった理由も聞かない。アヴァールも自ら話そうとはしない。僅かな緊張感が二人の間に走っているのを、アヴァールがどうにか解そうとしているのが少し痛々しい。 ヴェルシュは本を閉じサイドテーブルに置くと、立ち上がって出入り口へ向かった。 「お前が来たということは、準備もできているんだろう。あまり使用人たちを待たせるといけない」 そしてアヴァールもこちらへ来るのを確認すると、二人揃って食卓へ向かった。 ヴェルシュのテーブルには、相変わらずあっさりとした料理が運ばれてくる。玉ねぎのスープに薄切りのパン、白身魚のムニエル…。対するアヴァールの方には、ぶどう酒のグラス一つが置かれるばかりであった。 「お前、肉が好きではなかったのか」 「肉?もちろん好きさ」 グラスを揺らしては口をつけ、少しずつそのぶどう酒を飲んでいくアヴァール。 …いつもより勢いがない、とヴェルシュは感じた。 「今日は食べないのか?何故酒ばかりを口にする?」 白身魚をほぐしながら問い掛ければ、アヴァールはよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに身を乗り出してきた。 「いやぁ参った!面白いことが起こってね、夕方に客人が現れたんだ」 話しながら、アヴァールはまたぶどう酒に口をつける。 「なんでも、自分の店のパンの味を担保に金を貸して欲しいという。アヴァール様もぜひ、なんていくつも食わされたけど、どれも酷い味だったよ。自信があるのはけっこうだが、困ったものだ。もちろん断ったがね」 話し終えると、アヴァールはグラスに残った最後の一口を飲み干す。そしてまた昨晩のように右手を挙げて使用人を呼び、二杯目を注がせた。 「お前という男は、どこまでも嘘を吐くのが下手なのだな」 「何ひとつ嘘などないが……なんの話だ?」 目を伏せながら話を聞いていたヴェルシュが口を開く。嘘だと指摘されたアヴァールは、何のことかと首を傾げた。 「俺を誰だと思っている?お前より永くを生きるエルフだ。騙そうなどと思うなよ」 ヴェルシュが食べかけの魚が刺さったままのフォークを皿に置き、アヴァールを睨め付ける。アヴァールはそんなことも気にせずぶどう酒を口にしようとした───その瞬間。 ぱりん。 その音は、ヴェルシュに崩壊を予感させるには十分だった。 アヴァールの手からグラスが滑り落ち、床とぶつかる。グラスは高い音を立てながらその身を粉々にすると、紫色の液体を纏いながら鈍く光った。アヴァールは使用人を呼ぼうと椅子から立ち上がった。 「…おや、すまない。もう酔ってしまっ、た、か──」 一瞬、アヴァールとヴェルシュの視線が絡む。アヴァールは、いつどの時だってヴェルシュを見ていたと、彼は気付いていただろうか。 「っ…!アヴァール!!」 アヴァールが突然膝をつく。驚いたヴェルシュが駆け寄ろうとしたがその時はもう遅く─アヴァールは、床に倒れ伏していた。 「おいアヴァール、しっかりしろ!誰か…!──誰か医者を呼べ!!」

ともだちにシェアしよう!