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第9話 崩壊の足音
次に呼び出されたのは、日が沈んでしばらく経った頃だった。
部屋の灯りをつけて異国の本を読んでいると、コンコン、と軽いノックの音が響いた。
「…アヴァールだろう」
「おや、何故バレてしまったかな」
アヴァールは扉を開けると、わざとらしく肩を竦めて見せた。そして、ヴェルシュにゆっくりと歩み寄る。
「朝と昼はすまなかったね、そんなに怒らないでくれ」
「俺は気は長い方だが、約束を反故にする奴は好ましくない。そも、先に『食事は共に』と言い始めたのはお前だろう」
「分かった、分かったから…お小言は後で聞くから、夕食にしないか。遅くなってしまったがね」
ヴェルシュは朝と昼に来なかった理由も、夕食が遅くなった理由も聞かない。アヴァールも自ら話そうとはしない。僅かな緊張感が二人の間に走っているのを、アヴァールがどうにか解そうとしているのが少し痛々しい。
ヴェルシュは本を閉じサイドテーブルに置くと、立ち上がって出入り口へ向かった。
「お前が来たということは、準備もできているんだろう。あまり使用人たちを待たせるといけない」
そしてアヴァールもこちらへ来るのを確認すると、二人揃って食卓へ向かった。
ヴェルシュのテーブルには、相変わらずあっさりとした料理が運ばれてくる。玉ねぎのスープに薄切りのパン、白身魚のムニエル…。対するアヴァールの方には、ぶどう酒のグラス一つが置かれるばかりであった。
「お前、肉が好きではなかったのか」
「肉?もちろん好きさ」
グラスを揺らしては口をつけ、少しずつそのぶどう酒を飲んでいくアヴァール。
…いつもより勢いがない、とヴェルシュは感じた。
「今日は食べないのか?何故酒ばかりを口にする?」
白身魚をほぐしながら問い掛ければ、アヴァールはよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに身を乗り出してきた。
「いやぁ参った!面白いことが起こってね、夕方に客人が現れたんだ」
話しながら、アヴァールはまたぶどう酒に口をつける。
「なんでも、自分の店のパンの味を担保に金を貸して欲しいという。アヴァール様もぜひ、なんていくつも食わされたけど、どれも酷い味だったよ。自信があるのはけっこうだが、困ったものだ。もちろん断ったがね」
話し終えると、アヴァールはグラスに残った最後の一口を飲み干す。そしてまた昨晩のように右手を挙げて使用人を呼び、二杯目を注がせた。
「お前という男は、どこまでも嘘を吐くのが下手なのだな」
「何ひとつ嘘などないが……なんの話だ?」
目を伏せながら話を聞いていたヴェルシュが口を開く。嘘だと指摘されたアヴァールは、何のことかと首を傾げた。
「俺を誰だと思っている?お前より永くを生きるエルフだ。騙そうなどと思うなよ」
ヴェルシュが食べかけの魚が刺さったままのフォークを皿に置き、アヴァールを睨め付ける。アヴァールはそんなことも気にせずぶどう酒を口にしようとした───その瞬間。
ぱりん。
その音は、ヴェルシュに崩壊を予感させるには十分だった。
アヴァールの手からグラスが滑り落ち、床とぶつかる。グラスは高い音を立てながらその身を粉々にすると、紫色の液体を纏いながら鈍く光った。アヴァールは使用人を呼ぼうと椅子から立ち上がった。
「…おや、すまない。もう酔ってしまっ、た、か──」
一瞬、アヴァールとヴェルシュの視線が絡む。アヴァールは、いつどの時だってヴェルシュを見ていたと、彼は気付いていただろうか。
「っ…!アヴァール!!」
アヴァールが突然膝をつく。驚いたヴェルシュが駆け寄ろうとしたがその時はもう遅く─アヴァールは、床に倒れ伏していた。
「おいアヴァール、しっかりしろ!誰か…!──誰か医者を呼べ!!」
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