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第12話 崩壊の刃
「…アヴァールだろう」
「おや、何故バレてしまったかな」
思いの外早く返事が来るが、その声音はどうしたって怒りを含んでいる。扉を開いてわざとらしく肩を竦めれば、彼は眉間の皺をさらに深くした。できるだけ穏やかな空気を纏えるようにと執り成しながら、私は彼に歩み寄る。
「朝と昼はすまなかったね、そんなに怒らないでくれ」
「俺は気は長い方だが、約束を反故にする奴は好ましくない。そも、先に『食事は共に』と言い始めたのはお前だろう」
「分かった、分かったから…お小言は後で聞くから、夕食にしないか。遅くなってしまったがね」
ヴェルシュの機嫌を損ねているのは痛いほどに分かる。それでも私は、朝と昼に此処へ来られなかった理由を口にするわけにはいかない。
どうにかこの空気を和らげようと彼を食事へ誘えば、彼はため息を吐きながら本を閉じ、ゆっくりと立ち上がった。
「お前が来たということは、準備もできているんだろう。あまり使用人たちを待たせるといけない」
そう言ってヴェルシュが出入り口に近付くのを確認すると、私も後ろをついて食卓へと向かった。
食卓の光景は、異様なものだった。
ヴェルシュに運ばれるスープに薄切りのパン、白身魚のムニエル…。対して私のテーブルには、ポツンと、グラスが置かれるばかりであった。これではいけないと分かりつつも、今はどうにも胃袋に酒以外が入る気がしない。何も口にしないことを心配させるよりまだ幾分かましだろうと思いつつぶどう酒を口にすると、ヴェルシュが声を出した。
「お前、肉が好きではなかったのか」
「肉?もちろん好きさ」
しかし、確かに目の前には好物の肉はない。グラスを揺らしながら口をつけ、少しずつ飲み下していく。
目の前のヴェルシュは白身魚を解し、口へ運ぶ。目元が僅かに緩む様を見るに、どうやら味は良いらしい。昨日の料理は私が味見をして確認したが、今日はそんな余裕がなかった。しかし、それは私に「用意させて良かった」と思わせるには十分だった。
「今日は食べないのか?何故酒ばかりを口にする?」
ヴェルシュの問い掛け。覚悟はしていたものの、動揺はするものだ。私はそれを覆い隠すように身を乗り出して喋り始めた。
「いやぁ参った!面白いことが起こってね、夕方に客人が現れたんだ」
嘘だとばれてしまうかもしれない。そんな緊張感を飲み下すように、また少しぶどう酒を飲む。
「なんでも、自分の店のパンの味を担保に金を貸して欲しいという。アヴァール様もぜひ、なんていくつも食わされたけど、どれも酷い味だったよ。自信があるのはけっこうだが、困ったものだ。もちろん断ったがね」
一思いに喋り尽くすと、グラスの中のぶどう酒を一気に飲み干す。胃がキリキリと痛み始め、もう何も口にするなと警告を出し始めた。しかしヴェルシュがこの部屋に来て、まだ二日目だ。心配をかけるわけにはいかないと、もう一杯使用人に用意させる。
「お前という男は、どこまでも嘘を吐くのが下手なのだな」
「何ひとつ嘘などないが……なんの話だ?」
我ながら、痛々しいとすら思う。しかしそうするしかないのだ、この状況を誤魔化し面白おかしくするには、作り話でもする他ない。
「俺を誰だと思っている?お前より永くを生きるエルフだ。騙そうなどと思うなよ」
騙そうだなどと───そう口にしようとした、その時だった。
ぱりん。
力の抜けた手からグラスが滑り落ちた。床と衝突したそれは粉々になり、ぶどう酒の中でギラリと光って見える。私はそれが、刃のようだと思った。この平和な食卓を崩壊させるための、鋭い刃。
使用人を呼ぶために立ち上がったその瞬間、目眩に襲われた。
「…おや、すまない。もう酔ってしまっ、た、か──」
瞬間、ヴェルシュと視線が絡む。
嗚呼ヴェルシュ、やっとこちらを見てくれたね。
「っ…!アヴァール!!」
そう思うが早いか、私はがくんと床に膝をついていた。
愛しい君の声が聞こえる。こんなところを見せてしまって申し訳が立たないよ、しかし──限界のようだ。
「おいアヴァール、しっかりしろ!誰か…!──誰か医者を呼べ!!」
ひんやりとした床の感覚に身を委ねたのも一瞬のこと、次の瞬間にはヴェルシュの膝に抱えられているのが分かった。
──私だけのエルフよ、どうか崇高なままで。
その願いだけを胸に、私は意識を手放した。
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