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第23話 約束の地へ
その日は屋敷中が騒がしかった。
病床に臥せっていたアヴァールが、買ったエルフと共に外出するというのだ。
アヴァールとヴェルシュが乗るための馬車が一台、それから側近と使用人のための馬車、何かあった時のために医者が乗る馬車と次から次にやってきた。
それから外で食事をするためのランチボックスを作る使用人、先に書類仕事を終えてしまう側近に、診察と薬の準備に足りぬものはないかと確認する医者の助手と、外出前の診察をする医者───そのほか、諸々。
身支度と朝食を終えてしまったアヴァールは手持ち無沙汰となり、その嵐のような様子をただ見つめているしかなかった。
「…また俺は何もできないのか」
ぽつりと呟くと、不意に後ろから肩を叩かれた。少しざらついた鱗の感触。振り向けば、竜人の使用人がそこに立っていた。
「アヴァール様の準備が整いました。馬車へ乗るまで、手伝ってはくださいませんか?」
思考を、見透かされているのかとも思った。ヴェルシュは頷くと、アヴァールの寝室に足を踏み入れる。
長らく、立っているアヴァールの姿を見ていなかった気がした。
彼はベッドの傍らに立ち、伏せていた顔を上げるとにこりと笑った。
「やあ、朝食ぶりだねヴェルシュ。外出の準備はできたかい?」
「当たり前だ、お前を待っていたんだからな」
ヴェルシュはアヴァールにゆっくりと歩み寄ると、その肩を抱えた。
「おいおい、何もそこまでしなくてもいい。私は歩けるさ」
「お前の使用人に頼まれたんだ。馬車に乗るまでを手伝ってくれ、とな」
決して自分の意思ではないと強調するようなその語調に、アヴァールの笑みがまた深くなる。嗚呼、こんなにも愛しい言い訳が存在していいのだろうか。
「そうか、それならば確かに仕方がないな。では馬車まで支えてもらうとしよう」
素直にヴェルシュに体を預ける。寝室から出れば、使用人たちが心配そうな視線を向けていた。アヴァールの歩みは震え、今にも倒れるのではと皆が懸念していた。だが傍らで支えるヴェルシュと奇跡のような一歩を歩み続ける様を見れば、誰も間に入ることなどできなかった。
「さあ、馬車まで着いたぞ。乗れるか?」
先頭につけられた馬車。その乗り口までアヴァールと共に歩み、そして問いかける。するとアヴァールは、扉の淵にそっと手を掛け、緩慢な動作で時間をかけながら乗り込んだ。
「ここまででも疲れてしまったよ、一日中寝ているのも体力が落ちていけないね」
「体を回復させるためだろう、仕方がない」
続いてヴェルシュが中に乗り込む。それを確認すると、側近が馬車の扉をそっと閉めた。
「しかしあの時は話に夢中で、楓をよく見ることができなかった。こうして外に出られるのは嬉しいなあ」
ははは、と笑う声にいつもの豪快さはなく、むしろどこか力無い。窓の外を見ていたヴェルシュは、アヴァールの手に己の手をそっと重ねた。
窓の外の景色が移り変わっていく。屋敷の敷地を抜ければ街が広がり、人々の活気が感じられる。野菜売りに果物売り、ミルク売りなどが大きな声で客を呼んでいた。
「少なからずアヴァールの恩恵を受けている人々だろう?…すごいな」
「すごくなんてないさ。私は少し援助をしただけ、あとは彼らの頑張りだ」
街中の風景を眺めるアヴァールの瞳は、キラキラと少年のように輝きつつ、どこか慈愛さえ感じるようだった。
カタカタと音を立てながら馬車は進んでいく。いつしか人里離れた森の中へ入り、周囲も静かになっていた。
「ここは…君と私がかくれんぼをした森だな」
「違う。勝手に姿をくらましたお前を、俺がわざわざ探しに出たんだ」
「ここの山葡萄はおいしかったなあ」
「たまに渋いものに当たっては顔を顰めていたのに、食べることをやめなかったな」
「この草原で何度昼寝をしたことか…その度に君はいろんな話をしてくれたね」
「お前がせがむからだろう。そういうところは、今も変わらないんだな」
────………
やがて馬車は、ヴェルシュの自宅へと到着した。
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