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「えー、それ、一回ビシッと言ってやったほうがいいんじゃないっすかぁ? 何事も始めが肝心っすよ、御子柴先輩」  ネオンライトが光るフロアの片隅、DJが奏でる爆音のミュージックに紛れて、一つ年下のバイト仲間――魁斗(かいと)が言う。 「ま、それもそうなんだけどさー。言っても俺、寮には寝に帰ってるだけじゃん? ちっさいことでがたがた言うほうがめんどいかなって」  話題になっているのは、かの小熊結月だ。寮での生活はどんなものなのかと訊いてきた魁斗に対し、最近ルームメイトが変わったのだと打ち明けたのが話の発端だった。 「でも、床にチン毛が落ちてるんすよねー? 女の子のならまだしも、野郎のでしょ? それはさすがにキツイですって」 「いや、女の子のならいいのかよ」  肩を揺らして突っ込んだ晃大に、「オールオッケーっす!」とアホな後輩は首を縦に振る。魁斗に限らず、店員だろうが客だろうがナイトクラブなんかに集まるのは基本的にこういうノリの軽いやつらばっかりだ。晃大ももれなく、そっち側の人間である。 「でもガチ目に、チン毛は何とかさせるべきっすよ。……あ、ほらそこ! 右肩! チン毛ついてるっす!」 「は?」  焦って指の差された箇所を見ると、途端にブッと魁斗が吹き出した。 「うそうそ、冗談っす! やだなー、もう、笑わせないでくださいよ〜」 「おまえなぁ……」  肩腹を抱えて笑う後輩を、晃大はジトッとした目で見つめる。無論、これくらいのことで本気で腹を立てたりはしない。  と、ふいにインカム越しに女性スタッフの声がして、晃大は黒いピアスを装着した耳を手のひらで覆った。 『バーカン奥、赤いジャージの男、隣の席の女性客に怪しい絡みあり。晃大、確認よろ』 「りょーかい」  インカムづてに短い返事をして、さっと意識を仕事モードに切り替える。恵まれた長身を駆使して人混みを掻き分け、指示の入った場所と足早に向かった。  人の目が届きにくいバーカウンターの奥の席、すぐにそれらしい人物を見つけて、笑顔で声をかける。 「すみませーん。お隣のお客さん、少し気分が悪そうなので確認いいですかー?」 「あ? んだよ、だりぃな。いちいち絡んできてんじゃねーぞ」  三十過ぎといったところだろうか。年の割にクソダサいジャージを着て、気持ち悪がられているとも知らずに若い女の子の肩に手を回したりなんかして……  ――ダルいのはおまえだよ、おっさん。  と、抱いた感情はお首にも出さず、「仕事なもんで」と晃大は穏便な態度を貫く。  ちらりと女性客と目を合わせると、震える瞳で見返された。これは、SOSのサイン。 「少し顔色が悪いようですので、休憩室ご案内しますね。――日依(ひより)ちゃん、付き添い頼めるー?」  インカムにて報告をくれ、近くで見守っていた女性スタッフに頼み、女の子を安全な場所へ移動させてもらった。  迅速な対応に、ふと、男がテーブルを叩いて声を上げる。 「おい、ふざけんなよ! せっかく酒まで奢ってやったのっ――」 「店内のルールとして、他のお客様に対する過度な飲酒の誘導は禁止されています。ご理解いただけない場合は、ご退店をお願いすることになりますが……」  くいと、目を細めて首を傾げると、男はうっと口ごもった。 「……ちっ。クソうぜぇな」  捨て台詞を吐いて人混みに消えてゆく背中を見届けながら、要注意人物として男の容貌を頭にインプットする。ああいう『追い詰める形』でしか女と関われないタイプの男は、高確率でまた同じことをやりかねない。そういう性質なのだ。 「……マージ、ダルすぎっしょ」  吐き出した言葉は、騒音に紛れて誰に届くこともなく消えていく。机に置きっぱなしになったグラスを手に、やれやれと晃大はバックヤードへと向かった。

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