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「んん〜? 何だこれは。……糸くず? それがどうかしたのか?」
「はあ? どう見てもおまえの陰毛だろ。俺の枕に落ちてたんだけど?」
「いんも〜う?」
訝しげな口調で繰り返し、結月は一際難しい表情を浮かべてまじまじとそれを観察した。ややあってぱっと目を見開いたかと思うと、打って変わった軽い声を発する。
「ああ! 言われてみれば、そんなふうに見えないこともないな! ――で? それがあんたの枕に落ちてたって?」
悪気なさそうに訊き返してくる結月を、晃大は無言で見返す。本来なら気まずくなりそうな沈黙にも動じることなく、結月はなおもあっけらかんとした調子で口を開いた。
「いや〜参った参った! たんぽぽのワタ毛よろしく、風で飛んでったってか? って、それじゃちんぽぽのチン毛だっつーの! わざわざ返しにきてもらって悪いな!」
よっ、と腕を伸ばして結月は晃大の手から陰毛を摘みとる。次の瞬間、ふっと息を吹きかけて、その陰毛が宙を舞った。
「なっ、ちょ……っ」
自分めがけて降り注いできたそれを避けるように、晃大は慌てて後退る。右へ左へと舞い落ちたそれが爪先のすぐそばに落ちたのを見届けるなり、晃大は低い声を出した。
「おまえなぁ……」
ピクリと、華奢な肩が跳ねる。一拍を置いて、晃大は続けた。
「片付け、苦手なのはわかるけどさ。せめてゴミくらいはちゃんとゴミ箱に捨てろよ。おまえ一人で生活してるわけじゃないんだからさ」
このままいけば、魁斗が言っていた『肩に陰毛がついている』という冗談が冗談では済まなくなる日も必ずやってくるだろう。部屋が汚い分には我慢できても、それが外の付き合いにまで影響を及ぼすとなるとさすがに放ってはおけない。
「……」
いくら図太い結月でも、今回ばっかりは笑って済ませられるような空気ではないと察したのだろう。打って変わった萎縮した態度で、俯いて口を噤んでしまう。
……これだから、嫌だったのだ。ただでさえ見下ろすほどの身長差があるうえ、年下の相手となると、少し注意しただけのつもりでも必要以上に相手を怯えさせてしまう。
重い空気にうんざりとして、晃大は浅いため息いとともにぽりぽりと首筋を掻いた。
「……ま、俺もしょっちゅう夜中に出入りして迷惑かけてるし、人のことばっか言えないけど。お互い、気をつけて直ることはちょっとずつでも直していこうぜ」
極力威圧感を与えないよう注意して、晃大は口にする。
しばらく黙り込んだ後、結月はぽそりと呟いた。
「……ごめん」
素直な態度に、わずかな罪悪感が胸を掠める。たかが陰毛ごとき、もっと寛容に受け流してあげてもよかったのではと今さらながらに思ってくる。
しかし今日は、どうにも虫の居所が悪かった。理由はわからない。これでもかというほどエヴァンとヤッしたあとなのに。いや、あるいはそのエヴァンとのやりとりにこそ、引っ掛かりを覚えている気がしなくもないが……
すっと目を逸らし、晃大はカバンを手に取った。少し早いが、これ以上この部屋にいたのでは気が休まらない。俯く結月に背を向けて、無言で玄関へと足を進める。
もし相手が女の子だったなら、キスの一つでも交わしながらキツく言い過ぎてごめんと謝るところだが、ここはれっきとした男子寮。相手は自分と同じ、チンコが生えた男だ。謙ってご機嫌を取る理はまずない。……大前提として、他人に向かって陰毛を吹きかけてくる女の子などまずいないだろうが。
次帰ってくる頃には、果たして部屋は片付いているのだろうか。それはそれで妙に気まずい気もするが、これを機に少しでも結月のだらしなさが改善されるならそれに越したことはない。
散らかった靴の中から唯一きちんと揃えて置かれた某有名ブランドのレザースニーカーに足を通し、晃大はしんとした空気の立ちこめる四〇二号室を後にした。
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