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01 完璧でない者
リネアは「完璧な王妃」になることを目指して生きてきた。
王太子の婚約者に抜擢されたのは、王が自分の正妃と同じように「息子にも男性の妃を」と求めたためらしい。リネアは男だが子が産める。男同士の番から産まれるのは必ず男児だ。王が求めたのは、息子の確実な後継者だった。
それに加えて、王家と釣り合いのとれる名家の長子であること。王太子と歳が近いことなど、リネアの持ついくつかの条件が、たまたま王家の希望にピタリと合致したに過ぎなかった。
「完璧でありなさい。何事も人より優れ、感情を抑え、冷静に」
大人たちーー両親、教師たちは繰り返しリネアに言った。
リネアは21歳になる今日まで、過酷ともいえる王太子妃教育をこなしてきた。
知識、外国語、王族として相応しい身のこなし。
それは全て、未来の王太子妃となるためだった。
そしてそんな王太子との婚約式が、3ヶ月後にせまったある日のこと。
兎獣人の国ルーンバールの王宮では、王太子の弟エリクと、狼獣人の国グリムヴォーデンの王女イルヴァの婚約式が盛大に執り行われていた。
婚約式とは、恋人たちがプロポーズする瞬間を祝う儀式のこと。
そして今日は、両国の王族が初めて結ばれようという記念すべき日だった。
緑溢れる王宮の庭園で、王族の証しである銀髪を靡かせながら、兎獣人の王子エリクは跪く。
目の前に立つ純白の髪と耳を持つ狼獣人の王女――イルヴァを見上げた。
「心から愛しております。私と、どうか結婚してください」
王女が微笑み、ふさふさとした尻尾を嬉しそうに揺らす。「はい」と頷いたその瞬間、会場から割れんばかりの大きな歓声が湧き上がった。
二人は手を取り合い、まばゆいほどの笑顔を浮かべる。
婚約式は、何もかもが完璧だった。
美しい王子と王女。晴れ渡る空、花々が咲き乱れる庭園、祝福する民衆。並び立つ煌びやかな王侯貴族たち。
――こんな風に私も、式を挙げることができるだろうか?
リネアは未来の自分の婚約式に想いを馳せる。
相手は隣に立つ婚約者――王太子レンナートだ。リネアは微笑みを浮かべ、銀髪の背の高い兎獣人の王太子を見上げた。
「レンナート様。エリク様とイルヴァ様は、大変お似合いですね。お二人とも、とても幸せそうで」
けれど、レンナートから返事はない。おそらく煩わしさからか気乗りしないからなのだろう。彼は意図してリネアを無視することがよくあった。
遠くを見据えたままのレンナートの横顔を見て、リネアはチクリと胸の痛みを感じながらも、エリクとイルヴァに視線を戻す。
歴史上初となる兎獣人と狼獣人の王族の婚約。それに相応しく、この婚約式はどの光景を切り取ってもまるで名画の一部のように素晴らしいものだった。
婚約式が終わりしばらく経っても、リネアは美しい二人を思い出すたびまるで夢の中にいるような気分になったものだった。
そしてこの婚約式に魅せられ「あのようになりたい」と強く願ったのは、自分だけではなかったと思い知ることになる。
それは最悪なことに、エリクたちの婚約式から3ヶ月後、自分の婚約式になるはずだったその日に訪れた。
(この光景は、一体なに……?)
緑鮮やかな王宮の庭園で、リネアのラベンダー色の瞳には、自分の婚約者――王太子レンナートが跪き、結婚の申し込みをする様が映っていた。
「どうか私の、妃になってほしい」
しかし今、その熱のこもった視線の先にいるのは自分ではない。王太子のプロポーズを受けているのは、リネアの異母妹のロザリーだった。
真っ白な長い髪を持つ白兎獣人の妹は、まだ16歳になったばかり。煌めく赤色の瞳を大きく見開き、蕾が花開くような笑みを浮かべると、長い耳を嬉しそうに下げ、丸い綿毛のような尻尾を揺らしながら答えた。
「はい」
この瞬間、王太子レンナートとロザリーの婚約は正式に成立した。
リネアはその光景をただ呆然と見つめていた。今日あの場でプロポーズを受けるのは、自分のはずだった。
しかし先ほど親族の集まる場でレンナートはロザリーを一目見ると、見えない糸に引き寄せられるように、彼女の手を握りしめた。
「……やっと見つけた。はっきりとわかる。そなたが私の、ずっと探していた番 だ……!」
王は顔を顰めた。けれど“番”という、獣人にとって特別な意味を持つ言葉を持ち出されては、何も言えなくなったのだろう。王の許しをその場で得ると、レンナートの婚約者はそのままロザリーになった。
周りの貴族たちは祝福しながらも、婚約者が変わったことに戸惑いが隠せないようだった。ちらちらと不躾な憐憫の視線をリネアに投げかける。婦人たちは扇を広げ、口元を隠しひそひそと何やら囁き合っていた。
レンナートは昔から移り気なところがあった。しかしまさか婚約式の当日に、別の人――しかも自分の妹に心変わりするなんて信じられなかった。
その上レンナートは「やっと見つけた」と言っていた。リネアとレンナートの婚約式はここ数年何かと理由をつけて先送りされていた。リネアはその度仕方のないことだと受け入れてきた。
しかしなんてことはない。時間の許す限りレンナートは探していたのだ。先を越された弟の婚約者を凌ぐほどの、若く美しい純白の兎獣人を。
思わずじわりと涙がにじみかけたものの、口をきっと引き結び感情を抑え込む。
リネアは気づいていた。地味な黒兎獣人の男の自分では、エリクやイルヴァのような美しい婚約式には決してならないことを。
しかし選んでもらえるものと思っていた。長年血の滲むような努力の末に〈完璧な未来の王太子妃〉と呼ばれるまでになり、その力を磨いてきたから。
(けれど私は、選ばれることができなかった)
リネアは周囲から向けられる纏わりつくような視線を振り払うように、その場を後にした。
王太子妃になるために必要と言われてきたこと。
政 のための知識、外交のための複数の言語、貴族たちを掌握する観察眼、優雅な身のこなし。
これまでリネアが苦労して身につけてきたすべてが、必要のないものだった。
――ただ、レンナート様の愛さえあればよかった。
美しい婚約式は、リネアが望んでいたように何かもが完璧だった。
けれどその日、ひとつだけ完璧でないものがあった。
それは他でもない、自分自身だった。
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