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06 再会 (前編)

 日が高くなり始めた頃に、屋形馬車と複数の馬が城の前に乗り付けた。  リネアは使用人たちに混じり、一列に並んで訪問客を出迎える。城主のイアンデが不在の今、城代のロジェールと共に客をもてなさなければならない。 (これから来る王族って、一体誰なのだろう?)  馬から降りた騎士たちの中に、一人だけ見知った顔があった。その男はリネアに気付くと、笑顔で走り寄ってくる。  ノースエンドに初めて訪れた日に会った、赤毛の狼獣人ゾーデルだった。外交官であるはずの彼が、なぜここにいるのだろう?  「リネア様、お久しゅうございます」 「ゾーデル様。ようこそお越しくださいました」 「イアンデ様が戦地に向かわれている最中に訪問し、大変ご迷惑をおかけします。今日は、我が主君が敬愛する、大祖母様の、命日でして」  我が主君?  そう言えば、ゾーデルは前回もその言葉を口にした。そのあと彼は、なんて言ったんだっけ? 記憶の糸を手繰り寄せ、どうにか思い出したその人物の名に、リネアは背筋が震え上がった。  屋形馬車から現れた人物が、ふわり、と軽やかに地面に降り立つ。ただ降りただけだというのに、その所作は見惚れるほどに優雅だった。  ――王妃殿下だ。  狼の王の正妻。この国で2番目に地位の高い狼獣人。イルヴァ姫の母君だ。  金色の髪と尻尾を靡かせてこちらに近づいてくる。墓参りのための黒いドレスが、その隠しきれない煌めくような美しさを一層強く際立たせていた。まるで地上に舞い降りた女神のような神々しさだ。  しかし王妃は、リネアに一瞥もくれずに、風のように目の前を通り過ぎた。リネアたちを完全に無視して、物々しい護衛たちと共に城の中に入って行く。ふわりと華やかな香水の残り香だけ残して。 (な、なるほど……)  リネアは面食らった。挨拶はおろか、目すら合わなかった。  でも、こういう貴族はわりとよくいるものだ、とリネアは思い出した。ルーンバールで付き合いのあった貴族たちが、何人かポンポンと頭に浮かぶ。元婚約者のレンナートもその一人だ。彼らは自分より下の者を、同じ人間とも思っていないかのように、ごく自然に無視をした。  不安げな顔を見合わせているメイドたちに、リネアは肩をすくめて微笑んで見せた。 「もしかしたら王妃様は、お参りを終えた後、ここでは何もせずにそのままお帰りになられるかもしれないね」 「お茶の準備は、いかがいたしましょう?」 「この感じならもしかしたら、必要ないかも」  リネアの予想通り、地下墓所へのお参りを終えた王妃は、そのまま屋形馬車に乗り込んだ。  帰りもやはり、リネアたちの存在に注意を払うことは一切なく。 (本当は、母君である王妃様に、イルヴァ様のことを聞きたかったけど……)  王妃を乗せた馬車が城門へと走り去って行くのを残念な気持ちで見送った。王妃の美しさの裏にある冷酷さを垣間見た気がして、背筋が寒くなる。  どうやら敵になることはあっても、味方にはなってくれる人ではなさそうだ。  そう心の中で呟いて、小さくため息をついた時、すぐ傍から明るい声が耳に飛び込んできた。 「リネア様! この城は、なんとまあ、あの荒れ果てた状態から短期間で見違えましたね? 正直驚きましたよ」  突然大声をかけられて、リネアの耳がキイン、と痛んだ。慌てて顔を上げれば、ゾーデルが顎を撫でながら、にやにや顔でリネアを見下ろしている。いつの間にか、すぐ隣に立っているではないか。 「ゾーデル様。お褒めいただき、ありがとうございます。この城の者たちが、優秀だったおかげです」  しかし主君の王妃はとっくに城を出発したというのに、なぜまだ彼はここに残っているのだろう? リネアはゾーデルの意図を測りかね、曖昧な笑みで応えることしかできなかった。 「リネア様。よかったですね?」 「……何がですか?」 「王妃様が、何もおっしゃられなかったので」 「それは、よかったこと、なのですか?」  ゾーデルは尚も笑顔のまま語り始めた。 「この城についてはですね、あの王妃様が、ただ一言も苦言をおっしゃらなかったのですよ。貧乏くさいとか、趣味が悪いとか、どこに行っても、大抵それに近い言葉を口にされるお方なのですがね? いやはやこれは、大変、珍しいことでして。もしかして明日は、初夏の嵐か、雪が舞うのか?」 「……それは……何よりでした」  ゾーデルはさらに一歩踏み込みリネアに近寄ると、ずい、と顔を寄せ、リネアの瞳を覗き込んだ。 「ところでリネア様。ずっとお聞きしたいと思っていたのですが、貴方様はなぜ、ここおられるのですか?」 「はい?」  ゾーデルは笑顔を崩さなかったが、その声色には威圧感が滲んでいた。まるでリネアを、尋問するような。 「どういった意味でしょう? 私は、皆様をお見送りするために……」 「いいえリネア様。私が申し上げているのは、なぜルーンバールは、貴方様を選んでこの国に嫁がせたのか? ということです。貴方様の能力は、明らかにこの地に過剰です。ただ両国の貴族が婚姻を結び、城主の妻として家政を取り仕切る程度であれば、他に相応しいご令嬢がいくらでもいたはず」  なんだかゾーデルの話の雲行きがおかしい。  何かしらの疑いの目を向けられていることに気づき、リネアはそれをやり過ごすため、できる限り柔和な笑みを浮かべた。 「ゾーデル様。私は、そんなふうに仰っていただけるほどの人間ではありませんよ」 「またまたご謙遜を。今のこの城と使用人たちが何よりの証拠です。城の調度品の取り合わせは大変センスが良いですし、ここにいるメイドたちまでまるで別人のようだ。この短期間で見違えるような姿になったのは、リネア様。貴方様のお力によるものでしょう? ルーンバールは貴方様を送り込み、一体何を企んでおられるのです? こっそり私にだけ、教えていただけませんかね? 何か力になれるかもしれません」  リネアはこの外交官がわざわざこの場に残り、自分に話しかけてきた真意にようやく気づいた。  ――探りをいれられている。  リネアがルーンバールから、何らかの意図をもって嫁いできたことを疑っているのだ。実際リネアは、エリクとイルヴァの復縁を目指してこの地に来た。ゾーデルの勘は正しい。  イルヴァ姫のいる王宮に味方はいない。正直彼が持つ王族の情報は、喉から手が出るほど欲しかった。  けれどリネアの胸の奥に刺さった小さな違和感が、チクチクと痛みながら警告を発する。 (この男は、初めて会った時、私を追い出そうとした)  そんな男を、信用していいのか?  少し考えただけで、すぐに答えは出た。  絶対に、この胡散臭い男を信用してはいけないと。  ゾーデルは笑みを浮かべたままリネアの手をとる。グローブをはめていたとはいえ、不意に不躾に触れられて、リネアはぞわりと鳥肌が立った。 「私は役に立ちますよ? リネア様」 「ゾーデル様。私のような者が何かを企むなど、とんでもありません。このようなお戯れはどうか、おやめになってください」  リネアは笑顔を向けながら、掴まれた手を振り解こうとした。けれど狼獣人は力が強く、握りしめられてしまうとリネアの力ではびくともしなかった。  メイドたちが不安げに瞳を揺らし、リネアを見つめている。彼女たちに心配をかけたくなかった。  大事(おおごと)にはしたくない。なんとか、この場を何事もなく収めるには……?  頭の中で思考を巡らせていた、その時だった。

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