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06 再会 (後編)
リネアの耳が、ピクリと動く。
その敏感な聴覚が、地響きにも似た、無数の馬の蹄が地面を叩きつける音を拾った。
城門に砂埃が上がる。
その向こうから、鋼の鎧を着た騎士たちが濁流のように流れこんできた。
隊列の先頭にいたのはイアンデだった。目の前で手綱を引いて軍馬の背から飛び降りると、驚いたゾーデルの前に立ちはだかった。
ゾーデルの手が振り払われる。リネアの視界いっぱいに、イアンデの大きな背中が広がった。
「ゾーデル。何か用か?」
「ガーディエ公! これはこれは……こんなにも早く戦を終えられ、城に戻られるとは……さすが、王国一と名高い〈グリムヴォーデンの牙〉でございますね」
「質問に答えろ。もう、用はないのだな?」
「…………はい。もう済みましてございます」
「では一体何をしている? ここにいる者たちが怯えているのはなぜだ?」
イアンデからは、汗と、そしてかすかに血の匂いがした。
その生々しい匂いから、イアンデが戦いを終えてすぐに戦地から駆けつけてくれたことが伝わってくる。
イアンデが戻ってきてくれたことに、ほっと安堵の息を吐く。
けれどイアンデは今、敵意剥き出しだ。今にも足を踏み込んで、ゾーデルに掴み掛かりそうな勢いだった。
止めてくれただけで十分だ。せっかく王妃の来訪を無事終えたのに、ここで無意味に争いを起こして欲しくない。できればこのまま穏便に済ませたかった。
リネアは斜め前にすっと移動し、威嚇するイアンデに並び立つ。
そしてゾーデルに向けて、にこりと満面の笑みを向けた。
「ゾーデル様。お心遣いありがとうございます。でも本当に、何のことかわからないのです。なので、ご心配にはおよばないかと」
リネアの笑みを受け止めたゾーデルは、イアンデにチラ、と視線を向ける。しかしすぐさま、ヒクッ、といびつな笑みを浮かべ「左様でございますか」と蚊の鳴くような声で頷いた。
そして馬丁が引いて来た乗用馬に慌ててまたがると、配下と共に逃げるように城門を飛び出して行った。
(あの男……要注意人物だ)
目的はわからないが、リネアに疑念を持っていることは確かだ。
あの時イアンデが来てくれていなかったらと想像し、背筋が少し寒くなる。助けてくれたイアンデにお礼を言おうと見上げたものの、いつの間にか隣のイアンデは消え去り、隊列に戻ってしまっていた。
リネアは使用人たちと連れ立って城の中に戻った。エントランスホールで立ち止まると、心配して集まって来てくれたロジェールやオリバー、それにメイドたち一人一人に笑みを向ける。ひとりひとりに、一仕事終えた労いの言葉をかけた。
そうするうちに、イアンデが扉を開け、城の中に入って来るのが見えた。
イアンデはぴたりと立ち止まると、城内をぐるりと見回す。そして呆気にとられたまま、じっとリネアを見つめた。
はっ、と何かを察した使用人たちが、リネアをぐいと前に押し出し、そそくさと城の奥に戻っていく。
「あ、えっと、みんなどこ行くの? なんで……?」
イアンデの鋭い眼差しに射抜かれたリネアは、逃げる隙を完全に失った。
イアンデが一歩、また一歩と近づいて来る。
――ええと、どうしよう。なんて、声をかけるべき?
久しぶりの再会だ。言わなければならないことはたくさんあった。お礼? 労い? 一言目には、一体なんて? この場に一番、相応しい言葉は……?
どぎまぎすること鼓動ひとつ分。リネアはピンと閃いた。
無言で近づくイアンデを見上げ、にこりと笑顔を向ける。そしてとっさに思い浮かんだ、その言葉を口にした。
「おかえりなさい。イアンデ様」
イアンデはビクリと震え、その場に固まった。驚いたようにリネアを見つめ、金の瞳を大きく見開く。イアンデの纏う空気が、一瞬で変わるのがわかった。
何かまずいことを言ってしまったのだろうか……?
急にこんなことを言って、もしかしたら馴れ馴れしかったのかもしれない。リネアの胸に、一気に不安が押し寄せる。
「あの……なにか……?」
少し首を傾げて問いかけたものの、イアンデから返事はない。見たことのない感情を湛えた眼差しが、静かに自分に降り注ぐ。
重苦しい沈黙に耐えかねて、リネアは堪らず声を上げた。
「……あのっ、西の国境の戦いは、終わったんですか? お怪我などは、ありませんか?」
「……あ? ああ。何もない。急いで帰って来たが、遅くなってすまなかった。王妃は問題なかったか? ゾーデルの奴も、何かしようとしていたようだが」
「あ、はい。大丈夫です。わざわざ急いで帰ってきてくださったんですね。お手数をおかけしました」
「あいつは出禁にする」
イアンデはフッと目を逸らすと、ハタ、と一度尻尾を揺らす。そして気まずげに顔をしかめ、言いにくそうに声を絞り出した。
「…………今日は……助かっ、た」
リネアは一瞬、耳を疑う。
けれどそれが、イアンデにかけられた初めての感謝の言葉だと気づくと、不意に嬉しさが胸の奥から溢れ出しそうになった。顔が緩むのをぐっとこらえ、漏れ出た気持ちを慌てて体の中に押し込める。
「それは……お役に立てて何よりでした。費用について早期にご理解いただき大変助かりました。それにロジェールや、オリバーや、メイドたちが、とても頑張ってくれたんです。彼らのおかげですね」
「……もちろん、それもあるだろうが……」
イアンデは気まずそうに、城の中によろ、よろ、と視線をさまよわせた。
そして何かを決意したように、じっとリネアを見つめると、大声で叫ぶように言い放つ。
「……とにかく……感謝するっ!」
そう吐き捨てて、逃げるように去って行く大きな背中を、リネアは呆気にとられながら見送る。
(……なんだろう……? 最後の、あの、態度……)
こんな人だったっけ? と疑問が浮かんだ。
けれどまだ、イアンデがどんな人かなんて全然知らないのだった、と思い直す。
声を交わしたのは、まだ2度目。リネアがノースエンドに初めて訪れて以来――10日経ち、初めてのことだったのだから。
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