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07 狼たちの宴 (前編)

 イアンデが帰って来たその日の夜、ノースエンド城で戦勝祝いの宴が催されることになっていた。  おおよそ100人の狼獣人の兵たちが、大広間にやって来る。  どうやら戦いの後はこのような宴を催し、兵たちを労うのがこの国の習わしらしい。ロジェールや料理長は「いつものあれね」といった調子で慣れた様子だ。大勢の兵を迎えての酒席は、元居た王都の兵舎でもたびたび行っていたので、と張り切っている。 「我々に全て任せて、リネア様はたまには休んでいてください!」  そう言われて、自室に押し込まれてしまったリネアは、一人窓辺にぽつんと座っている。  せっかくの機会なのでその言葉に甘えることにして、この城に来て初めての休息を満喫することにした。  ――つまり私は、この城の辞めない家令、みたいなものになるのかもしれない。  窓の外に広がる庭園を眺めながら、この先の自分の生活に思いをはせた。  家を守り、使用人を取り仕切り、時には問題の矢面に立ち、粛々と責任を持って対処する。  それならば、今まで実家でやってきた事とそう変わらないかもしれないと、リネアは密かに安堵した。  イアンデが自分に向けた、冷ややかな視線を思い出す。この結婚にまるで乗り気でないあのイアンデから愛され、そして子を成し……なんてことは全くもって想像できなかった。  けれど頭を使う仕事だけであれば、むしろ自分の得意分野なのでは? と前向きな気持ちになる。  夜の宴には、リネアも出席するように言われていた。けれどリネアは、かつて出席したことのある故郷ルーンバールの王宮での戦勝祝いを思い出し、ずん、と心が重くなった。  初めこそ王の乾杯で厳かに始まるものの、時間が経つにつれ、あまり上品とは言えない言葉が飛び交うようになる。騎士たちは貴族の夫人や令嬢がいる場ではある程度節度を持った振る舞いをするのに、いなくなった途端に遠慮がなくなった。  リネアは酒を飲むこと自体は好きだが、あの独特な雰囲気があまり得意ではなかったことを思い出し、気が滅入った。他の種族より奔放と言われる、兎獣人ならではのものだったと思いたい。 (狼獣人の宴って、どんなことをするんだろう?)  不安な気持ちになりながら、外から聞こえてくる音に耳をすます。  階下から聞こえてくる話し声や足音。目を閉じれば、どこで誰がどんな仕事をしているのかが、兎獣人のリネアにはわかる。ここ数日ですっかり見慣れた使用人たちが働く光景を思い浮かべると、心が幾分か落ち着き、ふう、と深く息を吐いた。  陽が沈み暗くなり始めた頃、城の外から聞き慣れぬ声が聞こえてきた。  ひそひそと囁き合う色めきたった女性たちの声。  少し後には、賑やかに声を交わす男たちの声が。  それらの声が途切れた頃、使用人に声をかけられたリネアは、緊張しながら一階の大広間へと向かう。  大広間のドアの前には、イアンデが立っていた。  リネアの姿を目にすると、ファサ、と一度、白い尻尾が揺れる。  イアンデは無表情のままリネアに近づくと、流れるような所作で手を取った。 (……え?)  初めて触れた、ゴツゴツした大きな手。  イアンデは自らの太い腕にリネアの手を組ませると、躊躇いなく大広間に足を踏み入れた。  リネアは頭が真っ白になり、石のように体を硬直させたまま、イアンデについて行く。  大広間にひしめく大勢の男たちをかき分けて、公壇上に立つや否や、イアンデはよく通る声で宣言した。 「この者はリネアという。俺の婚約者だ」  その瞬間、男たちの野太い歓声が上がり、大広間を震わせる。  リネアはぎょっとした。  他の者に聞こえぬよう、イアンデにコソコソと小声で話しかけた。 「あの? これは……?」 「ちょうどいいだろう? これで皆に紹介できた」  自信満々に言い返されて、リネアは唖然とする。こんな大勢の前で発表するなら、せめて一言くらい前もって言ってほしかったのに、と頭が痛くなった。  イアンデが酒杯をかかげ「王に」と乾杯の音頭をとると一同は杯をあおった。  リネアの席は城主――イアンデの隣だ、見晴らしのいい高座に着くと、テーブルの前に巨躯の狼獣人の兵たちがわらわらと挨拶をしに集まって来た。彼らの手にはなぜか既に、祝いの品らしき物が握られている。 (いつ準備したの? さっき婚約を、発表したばかりなのに?)  リネアが目を丸くしていると、最初に挨拶してくれたラグナルと名乗った騎士が、ニカッと人の良さそうな笑顔を浮かべ、リネアの疑問に答えてくれた。 「それはですね。ここの連中は前から知っていたんです。城主が前に一言ぽろっと婚約者ができたことをこぼしまして、それでわ――っと一気に噂が広がりましてね。絶対今日発表すると思ってたんで、準備しておいた品を持っていくぞって、みんなで」  満面の笑みで「うちの部族の特産品です」と差し出された見事な熊の毛皮を受け取り、リネアは礼を言う。その後も次から次へと祝いの品が手渡され、あっという間にリネアの周りは大小様々な品々で埋め尽くされてしまった。  最後に声をかけてくれたのは、副官のエドミュアだった。ノースエンドに来た初日に「男の妻なんて」と怒りを露わにしていたのを思い出し、リネアはぎゅっと胸の奥が痛む。 「この度はおめでとうございます。リネア様のようなお方がイアンデ様の伴侶となられること、大変嬉しく思っています」 「え?」  リネアはかけられた言葉に拍子抜けしてしまった。何か嫌味のひとつでも言われるものと思っていたからだ。 「……あの、聞いていい? 私がイアンデ様と結婚するの、反対だったんじゃないの?」 「最初にお会いしたときは、俺の態度が最悪で大変申し訳ありませんでした」 「責めてるわけじゃないから大丈夫だよ。あの、ただ単純に知りたいだけなんだけど、なんで今日はそんな風に言ってくれるの?」 「以前送ってくださった書簡を見て、考えが変わりました」 「書簡?」 「城の改装に必要な費用を前もって送ってくださいましたよね? ロジェールはあんなことに気が回る男ではありません。これはリネア様の差し金に違いないと、俺は心が震えました。嬉しいです。ようやく金の計算ができる人が、ノースエンドに来てくれたんだと」  軍の金庫番も兼務しているというエドミュアは「イアンデ様は戦い以外のことには、てんで興味がなくて」と呆れたように呟いた。けれどそんな言葉とは裏腹に、どこか温かな眼差しで、兵たちに囲まれるイアンデを見つめた。 「それに、イアンデ様がやっと結婚する気になってくれてよかったです。今はあんな感じですけど、小さい頃はよく泣いてたんですよ。自分も他の子たちみたいに、家族が欲しいって」 「小さい頃?」 「はい。俺、イアンデ様とは子供の頃から知り合いなんです。イアンデ様が王宮の兵舎に入れられた時からなので、もうかれこれ15年以上になるでしょうか。イアンデ様は両親はいないも同然だし、帰る家もないしで。兵舎の他の奴らはいいとこの貴族のガキばかりだったんで、わりとキツかったんじゃないですかね」 「……そうなんだ。知らなかった」 「まあ、その頃の事なんてイアンデ様はすっかり忘れちゃってますけどね。だから全っ然、結婚しそうになかったんですけど、王命があってちょうどよかったです。リネア様、今後ともよろしくお願いします」  エドミュアは頭を下げると、仲間たちの元に戻って行った。  イアンデが不遇な子供時代を過ごしていたことを知り、リネアは胸が痛んだ。隣にいるはずのイアンデに視線を移すと、彼はいつの間にか姿を消していた。一際賑やかな男たちの席に移動し、親しげに酒を酌み交わしている。  城主と兵士という立場の違いがあるというのに、皆打ち解けて楽しげで、リネアは感心してしまう。  イアンデが、部下に慕われているのがわかる。  おそらく兵たちがリネアを歓迎してくれているのも、イアンデが愛されているゆえなのだろう。このたくさんの祝いの品も、リネアへというよりは、きっとイアンデの婚約を純粋に祝う気持ちからきているものなのだ。

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