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18 満月の夜 (後編) ※
イアンデの部屋に明かりは灯されていなかった。
部屋の中を照らすのは、淡い満月の光だけ。
けれど夜目の効く兎獣人であるリネアは、暗がりに浮かび上がる輪郭をはっきりと感じることができた。
部屋の広さ、調度品の形、寝台を覆う天蓋の高さ。
そして、自分を見下ろすイアンデの姿を。
イアンデは狼獣人だ。
きっと彼の微細な光すら拾うことができる眼球も、この光景を些細に捉えているに違いない。
リネアの乱れた髪も、シャツしか纏っていないみすぼらしい姿も、裾から伸びるむき出しの腿も。
(恥ずかしい……)
これまでリネアはきっちりと服を着込み、極力肌をみせないよう努めてきた。イアンデに、自分が男の体であることをなるべく感じてほしくなかったからだ。
けれど無駄な足掻きだった。もうこれで、イアンデはすべてわかってしまう。
不安で背筋が凍りついた。顔から血の気が引いていく。全身が強張り、ガタガタと小刻みに震え始めた。
その時、イアンデの腕が回されて、逞しい体に全身が包みこまれた。そのあたたかさに、涙が出そうになる。
「ごめんなさい……こんな風にご迷惑をおかけするつもりは、なかったんです……」
「迷惑なんかじゃない。遅くなってすまなかった」
リネアは必死に涙を堪 えていた。けれど優しい言葉をかけられて、張っていた虚勢が緩んでいく。じわじわと視界が滲んでくるのを感じた。
本来の自分であれば、もっときちんと感情を抑えることができたはず。
しかし発情しているせいだろうか。感情が波打ち胸の中がぐちゃぐちゃだった。取り繕うことが全くできなかった。
「……こんなことは初めてで、どうしたらいいのか、わからないんです。なぜか今回だけ、薬が全く効かなくて。体がおかしくて……」
自分はやはり、淫乱な兎獣人に過ぎなかったのだと嫌でも思い知らされる。
ここから離れなければと、頭ではわかっているはずだった。けれどそんな思いとは裏腹に、目の前の強い雄の存在に体中が悦びに震えていた。心の奥底で、この人に抱かれたいと、もう一人の自分が叫ぶかのようだった。
戸惑い、苛立ち、そして何よりイアンデへの申し訳ない気持ちが混ざり合う。すべてが涙となり溢れて、ぽろぽろと頬にこぼれおちた。
「……うっ……うぅ……」
イアンデは腕の中で震えながら涙を流すリネアの背中を、慰めるようにゆっくりと手のひらで撫でた。
「リネアは、こんなに強く発情するのが、はじめてなんだな?」
イアンデの気遣わしげな声が耳の奥で響く。染み込んでくる優しさに気持ちが緩んで、正直に、こくりと頷いた。
イアンデはリネアの頬を濡らす雫を拭って、両手ですっぽりと頬を包み顔を上向かせた。
「苦しいのだろう? 今から、リネアの発情を和らげる手助けをしたいと思うが、大丈夫か?」
「……そんなこと……していただいて、いいのですか?」
「ああ、もちろんだ」
「嫌では……ないのですか?」
「嫌なわけがないだろう。俺たちは、もうすぐ結婚しようというのだから」
胸の奥に、そっと温かな光が灯ったように感じた。
イアンデの言葉に、ほっとした気持ちが込み上げる。再びじわじわと涙が溢れてきた。
イアンデの顔が近づいて、唇が触れた。
おずおずと反応を窺うように優しく喰まれてから、きゅ、と少し強く押されて、ゆっくりと離れていく。
それは久しぶりに、イアンデと交わした口付けだった。
「リネアは、嫌ではないか?」
「はい。なんだか、ふわふわします。柔らかくて、温かくて」
「続けても、構わないか?」
「……はい」
唇と唇とが、再び重なる。
先ほどより少し強く、繰り返し角度を変え、形を、感触を、そしてぬくもりを、確かめるように。
イアンデにこんなことをさせて申し訳ないという気持ちが、リネアの心をじわじわと苛 む。けれど口付けを交わすたび、イアンデへの想いがどうしようもないほどに溢れて、こぼれ落ちてしまいそうだった。
もっと触れたい。触れて欲しい。息が止まるくらい強く、抱きしめて欲しい。
「イアンデさま…………」
伝えられない言葉の代わりに、溢れる想いに乗せて名を呼ぶ。
まるでその声すべてをのみ込もうとするかのように、イアンデの口がリネアの唇を隙間なく塞いだ。
少し開けた口の隙間から、熱い舌先が入り込む。上顎を、歯列を、頬の裏を、愛おしむように舐め上げられた。初めての深い口付けに、リネアは呼吸もままならず溺れるようだった。
「っ……ふっ…………」
いつの間にか、仰向けのまま敷布に押し付けられ、のしかかるイアンデに口の中を貪られていた。まるで獣が食いつくかのように、舐められ、噛まれ、時折じゅうと強く舌を吸われる。牙が粘膜に当たる少しの痛みすら心地が良くて、触れた場所すべてがとけてしまいそうだった。
体が感じている悦びと、自分のせいでここまでのことをイアンデにさせているという罪悪感が、リネアの中でせめぎ合う。それなのにイアンデを貪ることをやめることができずにいる卑しい自分自身が許せず、再び涙があふれた。
「……っ……ごめんなさい……こんな、ことまで」
「もう、謝るな」
唇を合わせながら、リネアの下腹部をイアンデの熱い掌が這う。するするとその手は下り、リネアのシャツの裾に手を掛けた。
リネアは今、下に何も履いていなかった。イアンデがしようとしていることに気づき、のしかかる肩を強く押して体を起こす。慌ててシャツの裾をぐいと下に引っ張って、腿まで肌を隠した。
潤んだ瞳でイアンデを見上げる。その金色の瞳の奥にある、イアンデの気持ちが知りたかった。
「……イアンデ様、今夜は、どこまで……するんでしょうか……?」
リネアの心は今、狂おしいほどにイアンデに抱かれたがっていた。しかしもう一人の自分が、その気持ちを押し留める。
――イアンデ様は、どう思っているんだろう?
イアンデがリネアを大切にしようと努力してくれていることは、これまでの日々の中で感じていた。口付けまではできた。けれど、孕ませる側の性は、体が精神的なものに大きく作用されると聞く。
努力だけでは限界があるはずだ。無理をしているのではと、心配になった。
不安げに見上げたリネアを見て、イアンデの眉尻がすっと下がる。リネアの頭にそっと手を載せると、肩の下へと落ちる髪の流れにそって優しく撫でた。
「大丈夫だ。今日は最後まではしない。安心してくれ」
「では……この後は……?」
「リネアはつらいだろう? 一度溜まった欲を放 ったほうがいい。この中を、自分で触れたことは?」
イアンデはリネアを抱き寄せると、シャツの上からリネアの小さな尻尾を握り込み、付け根の下をスル、と撫でた。
リネアは大きく目を見開いて、首を横にふるふると振る。
その仕草を見て、イアンデが、ふっと表情を緩めた。そのまま頭の後ろに手を添えられて、リネアはゆっくりと寝台に押し倒された。
イアンデの金色の瞳には見たことのない熱がにじんでいて、リネアは思わず見惚れてしまう。
寝転んで二人で見つめ合うと、太い腕を回されて、たくましい体にすっぽりと包み込まれた。
背中に回された手がするすると下がる。尻尾を通り過ぎて、リネアのシャツの中へと潜り込んだ。
尻の谷間に中指を滑らせると、隠された窄まりを探り当て、固い指先がその周りをするりと撫でた。
「……っ…………!」
その初めての刺激に、リネアは堪らず身を捩 らせた。
具合を確かめるように、くに、くに、と優しく穴のふちを押される。発情したリネアのそこは、すでに柔らかく濡れている。指先をそっと沿わせるだけで、今にも中に入り込んでしまいそうだった。
ひくっひくっと怯えるように震える窄まりに、イアンデの指が、つぷ、と入りこむ。
「……っ……んんっ…………!」
初めて異物を呑み込んだ強烈な違和感に怖くなり、リネアはイアンデの背中にしがみついた。
奥への侵入を阻むように、反射的にきゅうぅ、と尻穴を窄める。そのせいで、中に入り込んだイアンデの指の形がはっきりとわかるかのようだった。
自分の内側にイアンデが触れている。そう思うだけで、強烈な羞恥が襲ってきた。
尻尾をピンと立て、震えながら身を強張らせていると、イアンデが耳元に唇を寄せた。
「痛いか……? やめたほうがいい?」
「いえ……あの、すみません。少し怖くなってしまっただけで……」
「そうか? では、もう少しだけ、力を抜けるか……?」
頭を撫でられ、耳を柔らかく噛まれる。
まるで親犬が子犬にするように、温かな舌で顔のあちこちを舐められた。
日々の重ねづけで感じ慣れた、イアンデの歯や舌の感触。とろけるように気持ちが良くて、リネアは、はあ、と深く息を吐いた。イアンデの胸に、甘えるようにすりすりと頬を擦り付ける。
安心し、心と共に体も緩んだのだろうか。
止まっていたイアンデの指が、狭い場所を押し広げながら、徐々に奥へ、奥へと入ってくる。
そして突然、ある場所を、すり、と掠めたとき、その刺激が、確かな快感に変わるのがわかった。
「あっ…………!」
ぞわぞわとした快感が体の中を駆け抜ける。
明らかなリネアの反応の変化をイアンデも感じたのだろう。耳を下げ、何やら嬉しそうに、ふっ、と息を漏らすのがわかった。
「気持ちが好いか? 良かった」
押し広げるように、下からくちくちと漏れた水音が響く。穴の中を丁寧に擦られて、窄まったひだが広げられていくのを感じた。腹の奥に甘やかな痺れが溜まっていく。
奥まで開かれ、指を増やされ、徐々に強まる刺激に未知の感覚が押し寄せる。
「……あっ……んあっ……やっ……」
唇を噛んで必死に耐えていても、自分のものではないような甘い喘ぎが絶え間なく漏れ出る。
イアンデの瞳は、食い入るようにこちらを見つめていた。こんなにも感じてしまっている姿を見られるのが、恥ずかしくてたまらない。
潤む瞳で縋るようにイアンデを見上げる。
その瞬間、頭の後ろを掴まれてかぶり付くように口付けられた。
イアンデの喉から、ぐるる、と野生の獣のような低い唸りが上がる。リネアが噛み締めた唇はこじ開けられて、無理矢理に舌を挿入される。乱暴に口の中すべてを舐め回されて、ぞくぞくとした痺れが全身に広がった。
イアンデの匂いが濃い。
その匂いを嗅いでいるだけで、欲望で頭がおかしくなりそうになる。
尻穴が指をさらに奥まで呑み込もうと、きゅうきゅうと食いしめるいやらしい動きを止めることができない。
イアンデの指が、リネアの敏感な膨らみを捉え、くりくりと刺激し続けている。
何かが漏 れそうな感覚がじわじわと込み上げて、リネアはそれを必死でこらえた。
けれど指の動きは止むことがない。逃れようともがいても、リネアの中の最も気持ちの良い場所にあたり続ける。
撫でて、擦 って、押し潰して。そんな刺激を、繰り返し、繰り返し……。
「……っ、あぁっ……んん……っ!」
もう限界だった。熱い何かが込み上げて、声を抑えることができなかった。
リネアは足をピンと伸ばし、体をぎゅっとこわばらせてビクビクと痙攣した。視界が白く染まって、目の端に光の粒が飛んだ。
「はあ……はっ……、はあ……」
快感の渦が過ぎ去ると、全身から、どっと力が抜けた。ずるりと指が引き抜かれ、中の圧迫感が消え失せる。どろ、と熱い液体が漏れ、尻を伝うのがわかった。
イアンデに強く抱きしめられる。熱い体を押し付けられると、再びビクビクと弱く達した。
大きな手に頭から頬にかけての輪郭をなぞるように撫でられると、泣きたくなるような感情が込み上げた。
リネアはふわふわと浮き立つような感覚に包まれて、イアンデの胸に頬を擦り付ける。
結婚をしたら、もしかしてこんなふうに、イアンデに触れてもらえるのだろうか?
そんな未来を浅ましく期待し始めた自分がいて、ドキドキと高鳴る胸を抑えることができなかった。
――もしもそうなら、幸せだろうなあ。
発情が徐々に落ち着き始め、正常な思考が戻ってくる。けれど代わりに、とろとろとした抗い難い睡魔が押し寄せてきた。
ぼんやりとしはじめた頭の中に、ふと、ひとつの疑問が浮かんでくる。
「あの……、イアンデ様は、いいんですか……?」
冷静になって今の状況を見てみれば、イアンデはシャツとズボンを身につけたままで、ボタンひとつ外していない。
それなのに自分だけが、顔を火照らせ、シャツははだけ、両足はむき出しのままで。
こんなにも乱れて、高められたというのに、イアンデは自らの欲望を全く散らしていない。
その事実に、ようやく気付く。
イアンデはリネアに腕を回し、耳から頭にかけてを優しく撫でながら答えた。
「俺はいい。リネアはもう、疲れただろう?」
「でも……」
「眠いのだろう? ゆっくり休んでくれ」
「……そうですか? すみません。私だけ、こんな……」
発情する相手が目の前にいれば、獣人は少なからず、その発情にあてられるはず。
こんなにも強く発情している自分がすぐそばにいるのに。なにより今夜は、満月の夜なのに。
(イアンデ様は、なぜ、大丈夫なんだろう……?)
どうして……?
どうして、だろう……?
いい、って、何……?
睡魔が連れてきた靄が、じわじわと頭の中を覆っていく。その中で、リネアはどうにか、考えた。
けれどその思考は、ぴたりとその場で歩みを止めた。その先のことは、まだ知ってはいけない。
そんな予感がした。
背中に回された大きな手が、幼子を寝かしつけるようにポン、ポン、と一定のリズムを刻む。その手は、どこまでもあたたかく、優しい。
なのに、リネアの胸に、凍えるような寂しさが押し寄せる。
その想いに蓋をするように、リネアはぎゅっと、瞼を閉じた。そして真実が顔をのぞかせる前に、濃いまどろみの中へと逃げ出したのだった。
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