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19 ノースエンド城の朝
満月の夜が明けた朝。
リネアの侍従の兎獣人・オリバーは、主人の部屋に朝の支度にやって来た。
「リネア様おはようございます! 体調はいかがですか?」
カーテンを開けて部屋を見渡す。けれどリネアの姿はどこにもなかった。
オリバーは、さあっと顔を青ざめさせた。
リネアはいつもきっちり同じ時間に朝の支度をする。いないなんてあり得ないことだった。
満月の夜に、何かあったのか?
どこかで倒れているのか? 何者かに攫われたのか? いずれにせよ、何か大変なことが起きたに違いなかった。
「リネア様がいなくなった!」
他の狼獣人の使用人たちにも慌てて声をかけた。全員が「なんてことだ」と悲壮に満ちた悲鳴を上げる。
ここの使用人たちは皆、リネアにメロメロだ。接するときはバレないようにすましているが、ひとたび離れれば「今日もかわいかった」だの「ちっちゃくて癒される」だの。まるで小動物と触れ合った後のような感想を言う。
オリバーもリネアと同じ男の兎獣人だが、主人であるリネアをかわいいと思う気持ちはなんとなく理解できた。
リネアは大柄な種族で知られる狼獣人に比べて小柄なのは当たり前だが、自分のような男の兎獣人に比べても骨格が小さめで華奢だ。中性的な顔立ちをしていることに加えて頭の回転が早く、くるくると表情が変わるので見ていて飽きない。
そんな雰囲気とは裏腹に、指示をする時はドキリするほどの風格を漂わせる。
リネアは昔、没落貴族の孤児だったオリバーを、大人たちの反対を押し切り雇い入れることを決めてくれた。
だからオリバーは、その日からずっと、自分の主 はリネアだけだと決めている。狼獣人の国に輿入れする際も、リネアの「何が起こるかわからないから」との反対を押し切り、無理やりついてきたのだ。
狼獣人の使用人たちも最初は、異国の貴族が来ると聞いて震え上がっていたらしい。しかしやって来たのはにこにことした小柄な兎獣人で、完全に毒気を抜かれてしまったようだ。
狼獣人の見た目は少し怖いが、実は優しく面倒見が良い。オリバーに対してはみんな遠慮なく、用もないのに顔や頭を撫で回してくる。「長い耳がぴょこぴょこ動くのがかわいい」などと言われたこともあった。仕事の話をしている時に目ではなく耳に視線がいっていることもあって、集中できているのか心配になる。
けれど困っていればすぐに助けてもらえるし、なにかと気にかけてもらっていて、オリバーは同僚たちの優しさをありがたく感じていた。
向上心の塊のような彼らは、さまざまな知識を授けてくれるリネアを心から尊敬していた。少しでも主人の役に立つのだと、日々力を尽くしてくれる。だから自分が教える使用人の仕事のひとつひとつを、目を輝かせながら着実に身につけてくれたのだ。
そんなわけなので、リネアがいなくなるなんて一大事だった。
使用人たちは慌てて城内あちこちを探し回った。執務室も、応接室も、地下墓所も、庭園まで。
しかしリネアは、どこにもいなかった。
オリバーは泣きそうになりながら必死で探した。
ふと、昨夜突然、王宮からイアンデが帰って来たことを思い出した。もしかして何か知っているかもと、急いでイアンデの部屋に向かう。
ドアをノックしようと手を上げた、その時だった。
ドアがガチャリと開く。
開いたドアから現れたイアンデを仰ぎ見た。朝日を背にした腕の中に、大きな何かを抱きかかえている。
その人物が誰かに気づいた瞬間、オリバーは瞳が溢れんばかりに大きく瞼を見開いた。
それは、オリバーが探し求めていたリネアだった。横抱きにされたまま、イアンデの首に腕を回している。なぜかその腰には、毛皮の上掛けがぐるぐるに巻きつけられていた。
リネアはオリバーに気づくと、ラベンダー色の瞳をまん丸に見開いた。瞬く間に、その顔が真っ赤に染まる。
その衝撃的な出来事は瞬く間に城中に広がり、使用人たちは騒然となった。
人目がある場では、どこかよそよそしい二人。けれど二人きりでいる時は、何やら甘い雰囲気が漂い、ゆっくりと距離を縮めているらしいことは使用人たち全員が感じていた。
そんな初々しい主人たちを、心の中で密かに応援しながら、温かい目で見守っていたのだ。
――そんな二人が、ついに結ばれた。
「ちっ……ちがうから……! そんな、オリバーが思うようなことまでは……」
リネアは、イアンデにそのまま部屋まで運ばれた。イアンデが去りオリバーと二人になると、リネアは顔だけではなく、普段薄桃色の耳の中まで真っ赤に染めながら否定した。
オリバーはその言葉が全く信じられなかったが、表向きは「そうなんですね」と納得したそぶりを見せておいた。リネアがそういうことにしておきたいなら、いくらでも望み通りに振る舞おうと思う。
リネアに仕えてからもう10年が経つ。朝に湯浴みをしたいだなんて初めて言われて、準備のために部屋を出た。なんだか勝手に顔がにやけてくる。
(よかったですね。リネア様)
オリバーは足を速めながら、リネアのことを考えた。他人の気持ちには人一倍敏感なのに、向けられる好意にはどこか鈍感な、愛すべき主人の幸せを心から願いながら。
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