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21 一番いい方法
「お久しぶりでございますリネア様!」
そう言って眩しいほどの笑みをリネアに向けたのは、ルーンバールの外交官・兎獣人のラウルだった。
ラウルは応接室でリネアの正面のソファに座り、キョロキョロと周りを見渡した。彼に会うのは、リネアがノースエンドに訪れた日以来、はじめてのことだった。
「ノースエンド城は、この1ヶ月で見違えるように美しくなりましたね。しかもリネア様まで、随分と肌艶 が良いではありませんか! まるで内側から輝くようで」
ニコニコと微笑むラウルに、リネアも笑みを返す。そして密かに、彼の笑顔の裏にある意図を探った。
ラウルはなぜ、わざわざノースエンド城まで来たのだろう? エリク王子の復縁を成功させた謝意を伝えるために? けれどそのためだけに、手間と時間をかけてこんな遠方の地まで来るだろうか? リネアは疑念を抱きながら、少し体を強張らせて身構える。
「リネア様、お見事でございました! エリク様とイルヴァ様の復縁を、こんなにも早く実現されてしまうなんて。ルーンバールの外交官一同、リネア様には感謝してもしきれません」
「本当に良かったね。イルヴァ様とエリク様はどうしている?」
「それはもう、見ているこちらが恥ずかしくなるくらいに、それはそれは、仲睦まじいご様子でお過ごしです」
「本当? よかった……」
リネアは心から安堵すると共に、胸いっぱいに喜びが広がる。仲の良い二人の姿を想像しただけで、思わず頬が緩んだ。
ラウルはそんなリネアを眺めながら、鞄から2通の書簡を取り出した。
「エリク様とイルヴァ様からです。お二人ともリネア様に大変感謝されておりました」
「わあ、ありがとう。あとで読ませてもらうね」
「結婚式を終えたら、お二人揃ってリネア様に会って直接お礼を言うのだと張り切っておいででした。……で、それはそうと、実はリネア様に内密のご報告なのですが」
急にラウルはヒソヒソと小声になった。
リネアは不思議に思いながら、兎獣人にしか聞こえないほどの、その小さな声に耳を傾ける。
「この度の狼獣人の王族との婚姻の成功で、王太子をレンナート様からエリク様に変更する話が、ほぼ確定となりました」
「え…………?」
「実はレンナート様とロザリー様は、あまり上手くいっていないのです」
リネアは驚いて目を見開いた。ラウルは言葉を続ける。
「しかもレンナート様は長子といえども、前々から王としての資質に欠けるとの懸念がありました。リネア様が王妃としてレンナート様を補佐されるのであれば話は違ったかもしれませんが、妃はあの少女のように天真爛漫なロザリー様。それに加えて、今回のエリク様とイルヴァ様の復縁が重なりまして、国王陛下がご決断を」
「そうなんだ……」
リネアは驚きながらも、王が現状を見て冷静な判断を下したことに感心した。グリムヴォーデン王の愛娘であるイルヴァを未来の王妃とすれば、狼獣人の国との同盟はより強固となるだろう。それだけルーンバールの王は、グリムヴォーデンとの関係を重視しているということだ。
リネアは最後に見た、婚約式での王の冷たい表情を思い出す。思えばレンナートが公衆の面前で、王が選んだリネアではなくロザリーを婚約者とした時点で、レンナートのことを見限ったのかもしれないと思った。
――レンナート様はもう、王太子ではなくなるのか。
虚栄心の塊のようなレンナートは、周りが手をつけられないほどに激しく憤慨するだろう。
リネアは心配になった。
レンナートのことではない。彼の地位に取って代わる、エリク王子とその妻イルヴァのことをだ。
「レンナート様はどうしている? 報復が心配だ」
「はい。リネア様のおっしゃる通りです。レンナート様とロザリー様は今、離島に“仲直りのバカンス”に優雅に行かれております。王のご意向で、レンナート様ご夫妻はそのままそちらの離宮で暮らしていただくことになりました。お二人はまだ、ご存知ありませんが」
「そのまま暮らす? じゃあもう、王都には帰って来ないってこと?」
「そういうことになりますね。もうこの先その島から、出ることは叶いませんので」
リネアは思わず背筋が寒くなる。これは実質的な表舞台からの追放ではないか。
けれど不思議と、元婚約者のレンナートに対して、リネアの胸には何の感慨も湧いてこなかった。憎しみも、喜びも、悲しみも、そういった感情のすべてが。彼に対する情は、リネアが捨てられた婚約式のあの瞬間に、もしかしたらすべて消えてなくなってしまったのかもしれない。
黙り込むリネアに、ラウルは言葉を続ける。
「私ども外交官も、未来の王と王妃になられるエリク様とイルヴァ様をお守りするため全力を尽くします。……と、いうわけで、エリク様とイルヴァ様の婚姻の儀は、両国の総力を挙げ盛大に執り行うことが決まりました。私ども外交官もやることが山積みで、嬉しい悲鳴を上げる日々でございます」
「忙しいんだね。でも今日は、わざわざノースエンドまで来るなんて、どんな用件なの?」
「前置きが長くなり申し訳ありません。ここからが本題になるのですが、リネア様に直接お伝えしなければならない重要な話があるのです」
ラウルは、ごほん、と咳ばらいをして、カチリと表情を固くする。
「昨日グリムヴォーデンの王宮で、外交官と会談を行いました。その際、先方から緊急を要する要望があったのです」
「どんな……?」
「リネア様とイアンデ様の婚約を、取り消したいと」
「え?」
リネアは目の前が真っ白になった。頭をガンっと殴られたような衝撃を感じ、激しい痛みで息が止まる。そんな話だなんて、思ってもみなかったからだ。
「お二人の縁談は、元々両国の王族同士の結婚を将来的に実現するために、こちらから提示したものでした。しかしこの度、エリク様とイルヴァ様の婚姻が実現直近となりましたので、リネア様とイアンデ様との婚姻は、本来の目的を失い――」
「それはもう、結婚するな、ということ?」
リネアは思わずラウルの言葉を遮った。唇が震え、顔から血の気が引いていくのを感じた。
必死な様子のリネアを見て、ラウルは驚いた表情を浮かべる。
「実は、リネア様に喜んでいただけるものと思い、この婚約解消の話をお持ちしました。もしかしてリネア様は、イアンデ様との結婚のご意思がおありでしたか?」
「そのつもり、だった……のだけど……」
「それでしたら、ルーンバールといたしましてはこのままお二人に婚姻を結んでいただくことは何の問題もありません。ただ、グリムヴォーデンは、少々事情が違うようです」
「どういうこと?」
「イアンデ様は、おそらく今頃、同じ通達を王宮で受けておられることでしょう。それに加えて、イアンデ様はこの度の王宮内部の粛正の功績により、王が今後も重用したいとのご意向を示されたそうなのです」
ラウルはリネアの様子を伺いながら、視線を逸らすことなく言葉を続けた。その表情が一層険しいものに変わっていく。
「王がイアンデ様を実の息子として正式に認め、王族に迎え入れることが決定したそうです。王位継承権が発生するため、“箔”をつけるために、新たな婚約者候補をあげるとあちらの外交官が言っておりました」
「私とは別の人と、イアンデ様は結婚するということ?」
「はい。お相手が誰かまでは聞いておりませんが、王族に連なる名家の狼獣人のご令嬢になるだろうと……」
リネアは自分の顔から、みるみる血の気が引いていくのを感じた。
自分との王命がなくなり、イアンデには別の王命が下るのか。
「そうなの…………」
俯いて言葉を途切れさせたリネアを見て、ラウルはリネアの真意を察したのだろう。深刻な声色で問いかけた。
「リネア様のご意志を確認してからと、一旦返事を保留しております。リネア様のご希望とあらば、グリムヴォーデンの要求を拒否して婚姻の継続を願い出ますが、いかがいたしましょう?」
「……でももう、あちらの意向は、決まっているのでしょう?」
ラウルの鋭い眼差しが不意に柔らかくなり、気遣わしげなものに変わる。口の端にかすかに笑みを浮かべると、穏やかな口調でリネアに語りかけた。
「リネア様は、エリク様とイルヴァ様の復縁を実現してくださいました。十分すぎるほどに、立派に使命を果たされたのです。ですので我々は、当初お約束した通り、リネア様の望まれる『自由』を、何としてでも叶える義務があります。それがこの地に残ることであるならば、我々はどんなことだっていたします。どうかご遠慮なさらず、リネア様の本当の望みをお聞かせ願えませんでしょうか?」
ラウルとはこれまで何度も顔を合わせてきたが、こんなに優しい声を聞くのは初めてだった。
リネアがこれから希望する内容次第では、多忙な外交官たちにさらに面倒な仕事を増やしてしまう。グリムヴォーデンからの要求を拒否するなんて、心象を悪くし、関係を悪化させてしまう可能性すらあった。
それなのにラウルは、リネアの気持ちを尊重し、何でもしようとまで口にしてくれている。
リネアの望みどおりにしたところで、ルーンバールにはなんの利益ももたらさないというのに。
「…………少し、考えてもいい?」
「承知いたしました。ただなるべく返答は早い方がよいかと存じます。決まりましたら、また書簡にてご連絡いただけたらと」
ラウルはそう言うと、恭しくお辞儀をした。
話を終えたラウルが馬車に乗り込むのを見送った後、リネアはその場に立ち尽くした。
車輪に巻き上げられた砂埃が、徐々に風に溶けて消えていく様を、ただぼんやりと眺める。
城の中に、全く戻る気になれなかった。
迷った挙句、リネアは庭園に足を向けた。
とぼとぼと足元を見つめ野道を歩いていると、甘い香りを感じて、ふと、足を止めた。
その場所には、たくさんの粉雪草が咲き誇っていた。
イアンデの番になることを約束した日に渡された白い花。積もりたての粉雪を纏ったような可憐な花は、初夏の日差しを受けてさわさわと風に靡いていた。
あの日、リネアはこの花が大好きになった。
この花を見ると、イアンデが渡してくれた時の、キラキラと煌めくような思い出が昨日のことのように蘇るからだ。
「教会はあまり大きくはないが、天窓のステンドグラスが、とても綺麗だと有名な場所だ」
イアンデが言っていた教会は、どんな場所なんだろう?
始めがっかりしたのが嘘みたいに、リネアは結婚式を挙げる日を心待ちにするようになっていた。
村のはずれの小さな教会で行う、ささやかな二人だけの結婚式。
降り注ぐ鮮やかな光を背に、大好きな純白の狼獣人が、あの優しい眼差しで自分を見つめてくれるのを。
ずっと一人だったイアンデの、家族になってあげたいと思っていた。
自分しかいないならば、自分こそが孤独な彼の心の穴を少しでも埋めて、幸せにしたいと願っていた。
そのためならどんなことでもしよう。
そう、心に決めていた。
けれど、それだけではなかったと気づく。
いつの間にか別の想いが大きく育ち、リネアの心の最も柔らかな場所に、しっかりと根を張りはじめていた。
――ただ私が、イアンデ様の傍にいたかったというだけだ。
たとえ偽物でも、命令されて仕方なくでも、必要としてもらえるならば何でもよかった。
イアンデにはこれから、新しい命令が下る。
欲しいと願っていた家族――血の繋がった父や兄弟、同じ種族の妻を得る。
そして、子供の頃に見た、夢を叶える。
だから、必要とは思えなかった。
この国で何の地位もなく、匂いも少ししか付けられず、満月の夜にそばにいても発情できない異種族の男の妻など。
(イアンデ様にとって、一番、いい方法は――)
考えるのは得意だった。
幼い頃からずっと訓練してきた。この先何が起こるのか、損得を考え、あらゆる事態を想定して。
けれど考えれば考えるほどに、王命のなくなったただの兎獣人の自分を、イアンデが結婚相手に選ぶ利点は何一つ思いつくことができなかった。
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