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第7話 紅の寝台 其の七

 療はどこか思わせ振りにくすりと笑って、(いら)えを返す。   「いただきます」    囁くような口調でそう言いい、酒杯の飲口に軽く口付けた後、美味しそうに神澪酒を飲み干した。  さほど大きくない酒杯だ。  一気に傾けたとしてもそんなに量はない。  だが神澪酒は造る過程で好物でもある術力が込められてる所為か、『真竜を酔わせる酒』として有名だ。  かっ、と喉を灼いた酒は、やがて臓腑へと流れ着いた。沁み込むような酒精が、きゅうと胸を締め付ける。  心の臓の奥が鈍く疼くのは酒の熱の所為か、それとも別の痛みか。   だがそんな心の痛みも、鼻を通っていった芳醇な酒香によって消え、息をする度に身体が熱くなる。   「ほぉう? 酒杯に接吻をする意味を知っているのか?」 「……さぁねぇ?」    くすくす、くすくすと今度は療が楽しそうに笑った。  無論意味は知っていた。  隠所作という遊楼での艶な仕草のひとつだ。  ()いでいただいたこの酒杯のように、今宵は貴方に満たされたい、そして酔わされたい。  そんな意味が込められた隠所作を、遊楼通いの多い紫雨が知らないわけがない。予想通りだと療は思った。    (これで少しは色事に慣れていると思われただろうか)    心の奥に未だに存在する『(うぶ)』な自分を消すことが出来ただろうか。  そんなことを思っていると、紫雨が手酌で自身の酒杯に酒を注ぎ始めているのに、療は気付いた。慌てて注ごうとするのを、紫雨が手で柔く制する。   (あ……)    療はふと、気付いた。  三角に折られた紙の様なものが、彼の手元にあることに。  紙に付けられた印を、療はそれは良く知っている。  紅麗にある有名な薬屋『麒澄』の印だ。  紫雨は先日あった儀式と事件で、内にあった術力の大半を失った。その後も無理をした所為で今は枯渇状態となり、身体の怠さが続いていると聞いていた。麒澄から処方されているこの滋養の薬は、体力と術力を回復させるというが、それはあくまでも一時しのぎの気休めだ。  この薬を飲むことにどこか抵抗があるのか、紫雨はほろ酔いの状態で、しかも酒で流し込む癖があった。薬には睡眠を促す効能もある為か、酒で飲んでしまうと副作用が強く出ることがある。  彼が副作用のことを知っているのかは分からない。   今宵はもう薬を飲んでしまったのか。  だが療は紫雨に教えるつもりはなかった。  きっとその方がいいと思ったのだ。  ほんの僅かな間だけだけれども、この現実という名の空虚から逃げることが出来るのだから。  

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