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第8話 紅の寝台 其の八
不意に肩を抱いていた紫雨の腕が外された。
温もりが離れてしまったことに、少しばかり寂しい気持ちになったのも束の間、紫雨が緩慢な仕草で療の顎の先を指で持ち上げる。
「……っ」
思わず息を詰めた療が見たものは、手酌で注いだ酒杯へ寄せられる、形の良い薄い唇だった。
(陰所作……っ!)
まさに先程の仕返しをされているのだ。
お前に満たされたいと、酔わされたいのだと雄弁に語るそれに、療の心の臓は一層どくりと脈打ち、喉が震えた。
紫雨が神澪酒を少量、口に含む。
何をされるのか理解した療は、内の動揺を覆い隠すように再びくすくすと笑いながら、彼を迎え入れた。
「ん……」
酒精と共に熱を帯びた舌が侵入してきて、酒と彼の味が綯い交ぜになる。流し込まれる液体はただの酒だけではなく、彼の存在そのものだ。こくりと喉を通るたびに、身体の奥にまで紫雨の気配に侵入され、満たされていくかのような気がした。堪らなくなって療は目を閉じて、身を竦ませる。
「ん……ぁ……」
紫雨の身体から、濃厚な御手付きの甘い香りが溢れ出た。それは酒香よりも芳醇で、理性を失いそうになるほど強く、療の身体をより一層、昂らせる。
「……療……」
呼ばうそれは、無自覚の竜の聲。
彼のそばに自分を縛り付ける、甘くも苦しい鎖だ。
聲に反応して彼に従属する悦びに、びくりと療の身体が震える。
どんなに自分を隠したくとも、聲の前では通用しない。
甘やかな息を吐きながら、療は呼ばれるがままに目を開けた。
「あ……」
明らかに欲を伴った、ぎらついた深翠がそこにはあった。身体の奥に抱えていた熱が、一層高まるのを感じて、ぞくりと震えた背筋を誤魔化すように身じろぎをする。
そんな療の様子を見て、紫雨がくつりと笑った。
逞しい腕が療の背に回されて、ぐっと彼の方へと引き寄せられる。
「……療……」
再び名前を呼ばれる竜の聲の中に、療は確かな『命令』を感じ取った。
──俺のそばに来い。俺を見ていろ、と。
彼の聲は支配の力を帯びるのと同時に、孤独に縋るような聲にも聞こえてしまうのは気のせいだろうか。懇願に似た支配は療の身も心も柔く、だが雁字搦めに締め付ける。
ああ、今だけだ。
どうかこの刹那の間だけでも。
貴方の視線の先にまだ自分がいるのだと 、錯覚させてほしい。
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