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第16話 静けさと独白 其の二
鎖骨、胸についた唇痕。
痕跡が失くなっていく度に、自分の心が削れていく気がする。
散々啼かされた剛直にも触れて、情交の蜜を消していった。
本当は残してしまいたいと、心が叫び出す。紫雨が抱いていたのは自分なのだと、その蜜と白濁は自分の胎内で果てたものなのだと。
充足な『夢』だと思って貰いたいというのに、あの快楽の中で意識を失ってみたいだとか、彼の腕の中で朝を迎えてみたいだとか、そんな甘いことを考えてしまう。
(……だめだ。『夢』を見ることで紫雨の心の安定が保たれているんだから)
(好きな人の熱を何度も知ることが出来たのだから、充分じゃないか)
そんなことを考えながら、療は乱れていた紫雨の衣着を整える。
やがて紫雨の身体から療の痕跡が跡形もなく消え、幻を抱いていた残り香さえも掻き消された。
少し酒に酔い、薬を飲んで寝てしまったのだと言わんばかりのそれに、療は堪らなくなって彼の胸に額を押し付ける。
(……貴方が好きだ)
せり上がってきた想いが溢れ出しそうになってしまって、ぐっと奥歯を噛み締めた。
想いを伝えるつもりなど初めからなかった。
紫雨は自分のことを見ているわけではない。彼が一番の傷心を負ったあの時にあの瞬間にたまたま自分がいて、酒と滋養の薬の副作用いう条件が整ってしまった、ただそれだけだ。
(貴方が……あまりにも寂しそうな顔をしていたから)
ひとりではないのだと。
少なくともここにいる自分は、貴方を必要としているのだと、身体を通じて伝えたかったのだと思う。
幻影を抱くことで、少しでも貴方の役に立つことが出来たら、前のように元気になってくれるのならそれでよかった。
たとえ自分ではなくても向けられた情欲が嬉しかった。
だがこれ以上深くを求めてはいけない。
(ちゃんと自分を見てほしい、だなんて)
だが紫雨との夜は知られてはいけないのだ。
自分のしていることは、紫雨と香彩への裏切り行為なのだから。
療は紫雨の香りをすうと吸い込んでから、顔を上げた。
安らかな寝息を立てて眠る彼からは、枯渇状態だったはずの『術力』が少し戻っているのが分かる。
この調子ならば元に戻る日も近いかもしれない。
秘めた夜を繰り返して、いつか彼の心が立ち直ったのなら、新たな未来が待っているはずだ。
紫雨が自分の知らない人と笑い合い、愛し合う未来が。
──その日が来ることを望みながら、そんな日が来ないで欲しいと希う自分は、あまりにも滑稽だ。
──まだ何も始まってすらない恋だというのに。
(でも……いつかは散る恋だ。ただでさえ自分を見て貰える可能性が低いのに、こんな秘密まで抱えてる。時が来たら……せめて自分らしく静かに散りたい)
決して彼に知られることなく、静かに散っていきたい。
療は紫雨の寝顔に向かって軽く笑んでから、遊楼の離れを出た。
満天の星空の縁が、ほんのわずか白んできたように見える。そろそろ夜明けが近いのだろう。
「……さて帰るとしますか」
そうあっけらかんと言う表情には憂いがあった。
その全てを吹き飛ばすかのように療は、背中から黄金の竜翼を出して羽撃つ。
やがて、びょうと特有の翼音を立ててここから飛び去ったのだ。
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