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第20話 噂 其の一
あの式文以降、紫雨からの呼び出しはなかった。
幾夜も幾月も繰り返された秘密の夜が、唐突に途絶えたことに療は、寂しさも覚えたが仕方のないことだと割り切った。
紫雨は現在、大宰として『魔妖狩り』追跡の陣頭指揮を執っている。
魔妖の気配を敏感に察知する術師部隊、遊楼や商家や家宅を捜索する権限を持つ部隊、そして紅麗の警備を担う宿衛兵。
それらが一体となって動いていた。
鳴りを潜めていた『魔妖狩り』が再び動き出したのだ。
彼らは捜索や警備をすり抜けるようにして犯行に及ぶ。
目の前で屈強な男に浚われる魔妖を目撃した者、知り合いが何日も帰って来ない者、そんな訴えが宿衛兵に届いていた。
しかも『魔妖狩り』は魔妖を攫って逃げる際に、術式の組まれた札を使っている。彼らの一人が逃亡する時に、一枚の札を落としたことから判明したのだ。まるで煙が立ち消えるかのように、気配も姿も分からなくなるのだという。
(……あの人から呼び出しがないのも当然だ)
『魔妖狩り』に手を貸した術師がいる可能性あること、そしてこの術式に対して有効な手段を考えなくてはいけないのだから。
(でも、もしかしたら……)
術力を酷使していたのなら、呼び出しがあるかもしれないと、療はそんなことを思う。彼の御手付きとしての本能が疲労と相俟って、療の神気を求めるのだ。
(準備、しておいた方がいいかもしれない)
自分の仕事は粗方もう終わってしまっている。
療は副官に緊急の下知があった場合は、ここにある式を飛ばしてほしいと伝え、政務室を後にした。
城の渡廊を歩いて私室へと向かう。
いくら自分が真竜であり、相手が御手付きの香りで自分を発情させるのだとしても、閨を共にする為の最低限の準備は必要だ。療はいつもそれを、私室の湯殿で行っていた。
(呼び出しがあってもなくてもいい。準備をしておけばいつだって駆け付けられるから)
準備の過程を思わず思い出してしまって、腰元がずくりと疼く。息を詰めながら見なかったことにして、渡廊の角を曲がろうとしたその時だった。
「……しかし、この不穏な時期に見合いとは、本当なのか?」
「ああ、だからこそ、だろうな。お相手はかなり強い『力』を持った半竜の緑髪美人だと聞いたぞ」
不意に聞こえてきた司官の声に療は咄嗟に身を隠す。
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