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第25話 独白 其の一

 自分でもどこをどのように歩いているのか分からなかった。足は地に着いているが、まるで酔ってしまったかのように覚束ない感じがする。  頭の中では紅の暖簾がゆっくりと揺れ、二人の影が奥へと消えていく先程の光景が、どうしても離れてくれなかった。  何度目を瞑っても開けても、脳裏に焼き付いてしまっている悪夢。   (……夢じゃ、ない。あれは現実だ……っ!)    まるで呼吸の仕方を忘れてしまったかのように、息が出来なくて苦しくて仕方ない。  頭と目が焼けるように熱いのに、流れる汗は氷のように冷たく、指先の感覚が遠のいていく。  紫雨が笑っていた。  優しい顔で、あの青年を抱き寄せて。  自分に向けられたことのない色欲を、幻影に向けられていた色欲を、その眼差しに見てしまった。  自分は幻影でもいいと願い続け、彼を騙し続けていた罰なのか。あの人に抱かれている間だけ、偽りを演じていられればいいと、そう思っていた。  滑稽で惨めな願いに縋り、真実から目を逸らしてきた、その報いが今なのだろう。   (……オイラじゃなくて、あの人なんだ……)    分かっていたはずだ。自分は代わりでしかない。  幻を纏った影にすぎず、御手付きという縁で結ばれただけの存在だと。  それでもいいと、幻影でもいいと、何度も自分に言い聞かせてきた。  なのに。  実際に誰かを抱き寄せるその姿を見てしまった今、言い訳はもう、何ひとつ通じなかった。  紫雨が緑髪の青年に向けていたあの柔らかな眼差し、声の温度。  遊楼の離れで何度も共に過ごしたはずなのに、自分には一度たりとも与えられなかったもの。  それが胸に突き刺さって抜けない。  自分がどれだけ欲しても届かないものを、あの青年は簡単に手にした。  その現実が療を呑み込み、呼吸すらも苦しくさせる。   (……結局、何年一緒にいても……)   思い出すのは紫雨の逞しい腕に抱き竦められ、御手付きの香りに酔いしれながら、必死に「欲しい」と乞うた夜。  熱い吐息を耳に受けるたび、幻でもいいから側にいたいと願った。だが紫雨にとってあれは、ただの幻影をなぞる遊戯に過ぎなかったのだ。

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