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第30話 艶夢虚ろう 其の三
療は一度だけ深く息を吸った。
震えてしまう自分の身体を鼓舞するかのように。
知らない者へこの身体を投げ出してしまう怖さを誤魔化すために。
暖簾を押し広げて遊楼の中へと入る。
朱塗りの柱と玄色に塗られた壁が目に入った。玄が用いられているこの遊楼もまた、格式が高い証拠だった。
壁には金の筆で竜が描かれていて、玄の壁に映える様。紅絹の布で作られた天井飾りが何枚も垂れ下がり、優美にも揺れている。どれもが華美で客の目を楽しませ、心を昂らせる材料だ。
見世の中は外の喧噪が嘘のように静かだった。
甘い薫香が焚かれているのか身体に纏わり付くかのようで、療は少しばかり顔を顰める。きっとここを出る頃には、自分に付いていた紫雨の御手付きの残香など消え失せてしまっているだろう。
それが嬉しくて悲しい。
そんなことを思いながら療は、揚代場 に向かって歩みを進める。
座っていたのは上等な黒い衣着を身に纏った、壮年の男だった。この見世の主だろうか。遊楼を仕切る男特有の落ち着きと、淡々とした物腰を備えていた。
「いらっしゃいませ。どのような陰がお好みでしょう?」
低く抑えた声が静かな見世の中に響く。浮ついた笑みなどなく、ただ客を迎えるための儀礼的な声音だった。
(……好み……)
言葉にすれば、もっと惨めになる。
けれど、もう引き返す道はなかった。
「……長い金の髪で、緑の目をした……体格の良い者を」
自分でも耳を疑うほど掠れた声だった。
紫雨に似た姿を求めていると、まるで告白してしまったも同然の言葉だ。
だがそんなことなど知る由もない楼主は淡々と告げる。
「承知いたしました。それではお休み処へご案内いたします。こちらへ」
楼主は抑揚もなくそう言うと、揚代場から立ち上がり療を奥へと誘導する。
──ああ、一夜の夢の為に、似せた影は簡単に用意出来るのだ。
そう突き付けられた気がして、胸がひどく軋んだ。
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