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第31話 艶夢虚ろう 其の四

***   揚代場から奥の渡廊には豪奢な紅の絨毯が敷かれ、珍しい玻璃器の灯火が一定間隔で並んで足元を照らしていた。  そして幾重にも垂れ下がる紅と玄の帳が、ふわりと揺れている。  楼主に導かれて療は渡廊を進んでいった。  ひとつ潜るたびに背後で布が揺れ、音もなく閉じる。振り返れば、すでに戻り道は霞に覆われたかのように消えていた。まるで一度足を踏み入れた者を絡め取り、外界から切り離すために仕組まれた迷宮のように。  すんと鼻を鳴らせば甘い薫香の匂いがした。甘いながらも鼻の奥に残る僅かな刺激に、療は思い出す。   (……同じだ……)    時折、紫雨が好んで華姫に焚かせていた香と、同じものだと。   香りが想いと感情を無意識に連れてくる。   (ここはあの離れじゃない。そんなの分かってるのに)    だが紅の帳を潜るたびに記憶が蘇ってくるのだ。  接吻をされながら抱き上げられて、寝台の紅の帳を(くぐ)ったことを。背後で布が揺れて音もなく閉じ、外の世界と断たれて、寝台の上が彼とたった二人だけの空間になってしまったような、あの瞬間を。  紫雨の手の温もりが、自分の身体に蘇った錯覚すらした。胸がざわついてしまって、現実と記憶の境が曖昧になる。   「こちらでございます」    その声に療はびくりと身体を震わせた。  楼主はそんな療に対して少しばかり視線を緩めると、部屋の引き戸を静かに引く。   「──っ!」    現れた室内の様子に療は息を詰めた。  それはあまりにも「いつもの離れ」と酷似していたのだ。  朱塗りの柱と玄の壁との対比が、室内を艶美に整えている。壁には金筆によって、天へと羽ばたく勇ましい竜が描かれていた。紅絹の天蓋が寝台を覆っているのもよく似ている。  寝台の近くには丸卓子があり、爵酒器と酒杯が二つずつ用意されていた。まるで今しがたまで誰かが座していたかのように。   (……ああ、見える)    彼の幻影が。  もしここに彼がいたのなら、片肘をついて面白そうに療を見ていることだろう。   (……自分で決めたことだけど、これは残酷だ……)    胸がずきりと痛む。  紅の天蓋の下で囁かれた声。  逞しい腕に抱き竦められ、耳を掠めた熱い吐息。  彼の体温を白濁の熱さを身体で感じた。  幻を抱いて翌朝には全てを忘れた彼だったが、それでも確かに紫雨だったのだ。  だがこれから療の前に現れるのは紫雨ではない。   

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