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第42話 艶夢虚ろう 其の十五
「……本当、素直で良い子ですね。こんなにも温かく、私の指を迎え入れてくれる……」
耳元で囁かれる陰の吐息は、どこまでも優しく、どこまでも甘かった。
じっくりと時間をかけ、とろとろに解かされた胎内から、濡れそぼった三本の指が粘りつく水音を立てて引き抜かれる。
指の形のままぽっかりと開いた秘所が空気に晒されると、療は小さく身を震わせた。たまらず陰の手をぎゅっと握りしめた、まさにその刹那。
「あ……」
隙間を埋め尽くすように陰の逞しく熱い腰元が、療の広げられた両腿の間へと押し当てられた。
「大丈夫ですよ、何も怖くありません。私の熱に、すべて預けて……今だけすべて忘れてください」
どこまでも療を宥め、安心させるような陰の穏やかな声が、耳から脳を甘く痺れさせる。
この優しい声に従って、もう全部忘れてしまえたら、どれほど楽だろうか。あの人への狂おしい恋心も、お見合いへの絶望も何もかも、この男の熱で上書きしてしまいたい。
消し去ってしまいたいというのに。
陰の剛直の先端が療の会陰に擦り付けられた刹那。伝わってくる質量とその熱さに、どうしてもあの人を思い浮かべてしまう。
(……ちがう、忘れたいのに……。なんで、こんな……っ!)
忘れるために別の男に抱かれようとしているというのに。
その男の体温が、雄の匂いが、皮肉なほどに大好きなあの人を呼び起こす。今も身体の最奥にくすぶり続ける、紫雨の熱。激しく抱き潰された時の、あの絶対的な支配の記憶が、陰の熱を媒介にして鮮やかに思い出されて、堪らない気持ちになる。
あの愛しい人の幻影を、別の男の身体を通して追いかけているようなものだ。
そんなどうしようもない未練を、療は心の中で嗤った。
「痛くしません。ゆっくり開いていきますので……身体を楽にして」
「——あ……」
陰の剛直の先端が、後蕾に宛がわれる。
陰の言葉通りにゆっくりと進められていく腰。
卑猥な水音を立てて、後蕾の窄まりが陰の亀頭を咥え込んだ……その須臾。
「——!」
まるで冷たい氷で背筋を撫でられたかのような、凄まじい悪寒が駆け上った。全身の毛穴という毛穴が逆立ち、頭のてっぺんから爪先まで、違う違うと警鐘を鳴らす。
押し当てられたそこから伝わる質量は、確かに熱い。
けれど、この熱は──。
(違う……! この熱は、違う……っ!)
姿形がどれほど似てようとも、どれだけ優しくこの身体を解きほぐされようとも、絶対に誤魔化すことのできない冷酷な現実だった。
脳髄を、鼻腔を、甘やかに焦がしたあの気高い紫雨の香りではない。最奥の媚肉を蕩けさせた、あの息もできないほど狂おしい熱さではないのだ。
それがどれほど優しい言葉で包み込まれていようとも、療とって不浄の「異物」の侵入でしかない。そう身体が激しく訴えてきて、怖気が増す。
「あ……いや、いやだ……ッ!」
療は我を忘れ、夢中で陰の胸板を押し返した。
不意を突かれた陰の身体は、僅かに体勢を崩して療の上から退く。
「はっ……ぁ……、ひゅ……っ……、ぅ……っ」
先程までの蕩けた様子から打って変わって、療は恐ろしさに顔を真っ青にして強張らせていた。震える指先ではだけた衣着を必死に掻き集め、寝台の隅に逃げる。
歯の根が合わないほど療の身体が震えていた。
(違う……オイラ、何をして……!)
どれほど心が諦めても、紫雨に深く刻まれ、躾けられてしまったこの肉体が、他の雄を受け入れることを本能で拒絶した。どれほど願っても、紫雨以外の雄を受け入れることなど、身体が絶対に許さなかったのだ。
酷い仕打ちをされても、自分はあの人以外に抱かれることすらできない。あの人を忘れることすら、許されない。
そのあまりにも惨めで残酷な事実に打ちのめされながら、療は掛布団をきつく引き寄せ、丸まった身体を小刻みに震わせ続けるしかなかった。
■■■
突き飛ばされた陰は、寝台に手を突いたまま、しばらくの間、言葉を失ったように動きを止めていた。
やがてその翠の瞳から、先ほどまでの「優しげな光」が、潮が引くように静かに消えていく。
それは怒りや拒絶といった分かりやすい感情ではない。ただ、感情の温度が完全に削ぎ落とされたような、静かで底の知れない眼差しだった。
暗がりのなかで、その双眸はただ無言のまま、小さく震える療の姿をじっと見つめていた。
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