6 / 41
第6話
白蓮谷。その名の通り、かつては白い蓮のような花が咲き誇る美しい谷だったというが、今ではその面影はない。目の前に広がるのは底知れぬ霧に覆われた不気味な戦場だ。
「総大将! 蘇清影が前線に出ております!」
伝令の兵士が龍承業に駆け寄ってきた。彼は顔色一つ変えずに報告を聞いている。
「奴の剣術は凄まじく、我が軍の第三部隊が壊滅の危機に!」
「そうか……」
龍承業は静かに言った。そこには恐れではなく、むしろ戦いへの昂揚が感じられる。
「玲蘭 、霧の術の様子はどうだ」
龍承業の問いに、側にいた妖艶な女性が応えた。
「順調よ、我が主。南辰軍は霧の中で右往左往しているわ。でも……」
「蘇清影 だけは違うな」
龍承業が言葉を続けた。玲蘭は頷いた。
「あの男は霧を見通す力を持つようです。対策が必要かと」
その会話を側で聞いていた俺は、ひやひやした気持ちで成り行きを伺っていた。
(蘇清影……URキャラだしな。あいつの剣術はゲームでも敵として出てきた時は本当にチート級だった……)
そんな俺を、突然龍承業が振り向いて見た。
「商人。お前ならどう攻めるか言ってみろ」
「え……?」
予想外の質問に、俺は一瞬固まった。龍承業の鋭い眼差しに貫かれ、頭が真っ白になる。
「貴様、情報通を名乗ったな。ならば戦の読みも得意であろう」
おそらく彼は、俺が本当に情報屋なのか、それとも嘘つきなのかを試しているのだ。
(この状況で間違ったことを言ったら確実に殺される……!)
必死に頭を働かせる。
ゲームでの戦いの知識、そして現状を踏まえて……白蓮谷の戦いはどんな戦いだった?
そうだ、黒炎軍は霧の妖術を使って四方から奇襲をかけた。でも蘇清影がいることで計画が狂いかけている……。
ゲームでは、蘇清影が戦場に加わった場合の差分ストーリーがあったはずだ。思い出せ。確か蘇清影がいる場合、黒炎軍は郭冥玄の策を用いてそれを突破するはず。その策とは……
深呼吸をして、俺は口を開いた。
「霧を妖術で出しているのは、伏兵を潜ませて奇襲するためですよね」
龍承業の目が微かに動いた。正解だ。
「でも、それは蘇清影に奇襲を警戒させることにもなっています。彼は霧を見通す能力があるようなので、むしろ警戒心を高めるだけになっているのでは」
参謀・郭冥玄が眉を寄せた。
「ほう……で、どうすればいい?」
「俺なら……」
記憶を頼りに、俺はゲーム内の策をできるだけ自信のある口調で話した。
「偽の術師を戦場に配置します。蘇清影に発見させ、わざと倒されるようにする。蘇清影は術師を倒したことで霧が晴れると思うでしょう。実際、一時的に霧を晴らします」
周囲が静かになった。全員が俺の言葉に聞き入っている。
「そして霧が晴れたところで、伏兵の姿をわざと見せる。蘇清影はそれを追撃しようと動き出すでしょう。その瞬間、背後から本当の精鋭部隊で襲いかかり、同時に再び霧の術を発動させる」
俺の提案を聞き終わった後、郭冥玄が少し驚いたように目を見開いた。
「私が思案していた策とほぼ同じですね……」
「おや、そうなのですか」
俺は少し安堵した。どうやら俺のゲーム知識は間違っていなかったらしい。
龍承業が低い声で言った。
「思ったより口が回るな、商人」
「あ、ありがとうございます」
「作戦を実行する。郭冥玄、準備せよ」
「はっ!」
郭冥玄は頭を下げると、すぐに部下たちに指示を出し始めた。そして龍承業も戦場へ向かう準備を始めた。
「貴様らは、ここで待て」
俺たちは兵士に監視されながら、戦場からやや離れた位置で待機することになった。
龍承業たちが去った後、温修明が小声で話しかけてきた。
「梁兄……すごいです。まるで軍師のようでした!」
「たまたま思いついただけだよ」
「いえ、本当にかっこよかったですよ! あんな恐ろしい将軍にも臆せず、堂々と策を話すなんて!」
温修明の純粋な賞賛に、俺は複雑な気持ちになった。彼は本当に俺のことを尊敬してくれているんだ。でも、この状況に巻き込んでしまったのは俺の責任だ。
(修明をなんとしても守らないと……)
「修明、すまない。こんな危険な目に合わせてしまって……」
「何言ってるんですか! 梁兄のおかげで今も生きてるんです。梁兄が情報屋だなんて言わなかったら、あの場で殺されてましたよ」
温修明は真剣な表情で言った。
「梁兄は本当にすごいです。僕、梁兄についていくって決めたんです。どんなことがあっても」
その言葉に、胸が熱くなった。
(よし、なんとしても生き延びて、この子を守ってみせる……!)
◆◆◆
戦場からは、断続的に叫び声や金属のぶつかる音が聞こえてくる。時折、霧の中から閃光が走るのも見えた。
それから数時間が経過し、突然霧が薄くなり始めた。
「作戦が始まったな……」
俺は呟いた。そして予想通り、しばらくして再び濃い霧が立ち込め、戦場からは悲鳴のような声が増えていった。
さらに時間が経ち、ついに霧が完全に晴れ始めた。
遠くから歓声が聞こえる。黒炎軍の勝利を告げる声だ。
そして――。
「うわっ……!」
返り血を浴びた龍承業が陣地に戻ってきた。その姿は、まさに戦場を駆け抜けた魔神のようだった。漆黒の鎧には真紅の血が飛び散り、手に持つ槍からは血が滴り落ちている。
その圧倒的な存在感に、俺は息を呑んだ。これが戦乱の世の武将の姿……現代の常識では計り知れない世界なのだと改めて実感する。
「勝ったぞ」
龍承業が一言だけ告げると、兵士たちから歓喜の声が上がった。
「蘇清影はどうなりました?」
郭冥玄が尋ねた。
「逃げられた。だがここにいた南辰軍はほぼ壊滅した」
龍承業の顔には、わずかな悔しさと、同時に次への昂揚が混じっているようだった。
「楽安街を占拠する。そこを拠点に次の標的を定める」
龍承業の命令で、軍は動き始めた。そして俺たち二人も、黒炎軍に連れられて、再び楽安街へと戻ることになった。
「梁兄、これからどうなるんでしょう……」
温修明が不安そうに尋ねてきた。俺は彼の肩を抱いた。
「大丈夫、きっとなんとかなる」
そう口では言いながらも、俺の頭の中は、今後のゲームの展開と不安で埋め尽くされていた。
ともだちにシェアしよう!

