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第11話

 太守の部屋から出た後、廊下を歩く足取りは重く、俺の頭の中は混乱していた。  扉の両側に立つ二人の衛兵が無表情に前方を見つめているが、彼らが先ほどの声を聞いていたのではないかという不安が脳裏をよぎる。恥ずかしさのあまり、彼らの顔を確かめることができず、俺は目を伏せたまま足早に立ち去った。 (あれは一体……なんだったんだ……)  何が起きたのか自分でも理解しきれていない。龍承業の唇の感触がまだ残っているような気がして、無意識に袖で唇を拭った。彼の香りが僅かに残っていて、心臓が早く打つ。  それにしても、なぜ龍承業はあんなことを……  考えれば考えるほど頭がぐるぐると回り、まともに足を進めることもままならない。衣服の乱れを直しながら、俺は自分の状態が他人に知られないよう必死に取り繕った。  しかし、タイミングが悪いことに、龍承業の部屋から離れたところで俺は郭冥玄と鉢合わせてしまった。彼は俺の様子を見て、わずかに眉を上げる。俺は何か感づかれたのではないかと、内心ひやひやした。 「用事は済んだようですね」  「は、はい。龍承業様に要求は聞き入れていただけました」  俺はできるだけ普通に聞こえるよう声を整え、龍承業とのことを悟られないよう努めた。 「ほう、それは良かった。では略奪行為は控えることになったということか」 「はい」  郭冥玄はしばらく俺を観察するように見つめていたが、やがてニヤリと笑った。 「総大将も珍しく気前がいいな。まあ、あの方は戦略的思考ができる人物だ。長期的な利益を考えれば、略奪より安定した収入源の方が理にかなっている」  彼は俺に近づき、声を落とした。 「だが、お前たちはまだ『捕虜』であることを忘れるな」 「え?」 「街の略奪行為は控えるだろう。それが有力者たちとの取引条件だからな。だが、お前たちに自由を与えるわけにはいかない」  郭冥玄は冷笑した。 「捕虜から解放されたいなら、身代金を払ってもらわねばならん。金貨千枚だ」 「金貨千枚!?」  途方もない金額だ。ゲーム内の価値で言えば、プレイヤーが最終盤まで頑張ってやっと集められるほどの大金だ。 「な、なぜそんな……龍承業様は既に」 「総大将は『略奪行為を控える』ことには同意した。だが、お前たちを解放するとは一言も言っていないだろう」  郭冥玄の言葉に、俺は絶句した。確かに龍承業はそんなことは言っていない。ただ「お前の要求は聞いてやる」と言っただけで、それは「略奪を控える」という要求のみを指していたのだ。 「期限はどれくらいですか?」  諦めの表情で、俺は尋ねた。 「半年だ。半年以内に金貨千枚を集められなければ、お前たちは黒炎軍の奴隷として生涯を終えることになる」 「くっ……」 「ただし、お前たちは情報収集と資金調達の才能があるようだな。少しばかり自由を与えてやろう」  郭冥玄の提案に、俺は顔を上げた。 「資金調達のためなら、ある程度自由に動いてよい。だが、逃亡の恐れがあるので当然ながら監視はつける」 「監視……ですか」 「ああ。術師長の玲蘭を付けよう。彼女なら、お前たちの監視と同時に、身の安全も保証できる」 (玲蘭!? あの黒妖妃様!? マジかよ……)  玲蘭は黒炎軍で龍承業に次ぐ実力者で、SSRレア度の恐ろしいキャラだ。妖魔の血を引くという設定を持った彼女は、強力な幻術を操り、数多くの南辰国の兵士を惑わして殺してきた。しかも、龍承業に心酔している危険人物だ。 「わ、わかりました……」  郭冥玄は満足そうに頷いた。 「良い決断だ。明日から早速始めるとよい」  ◆◆◆  部屋に戻ると、温修明が心配そうに飛び上がった。 「梁兄、大丈夫ですか? 顔色が悪いです!」 「あ、ああ…」  俺は無理に笑顔を作った。 「なんとか…話は通ったよ」 「本当ですか!?」  温修明の顔が明るくなった。 「ああ……略奪行為は控えてやると言質がとれた」 「よかったです! でも……何か他にあったんですか?」 「それが……」  温修明の質問に龍承業とのあの出来事が浮かんできて、俺は一瞬言葉に詰まった。そんな俺を見て、温修明の顔に心配の色が浮かぶ。俺は慌てて温修明に説明した。 「実は、郭冥玄に言われたんだ。俺たちは依然として捕虜扱いで、解放してほしければ金貨千枚を払えって」 「ええっ、そんな大金、半年で集めるなんてとても無理ですよ!」 「だよなぁ。でも、何か方法を考えないと……」  俺はぐったりと寝台に横になった。頭が痛い。唇や体がまだ熱を持っているような気がする。あの男の感触が消えない。 (龍承業のことは絶対に修明には言えないな……) 「でも、少し自由は認められたから、明日からはこの部屋から出られるよ」 「それは良かったです!」  温修明の表情が明るくなった。 「ただし……」 「ただし?」 「監視役がつくことになったんだ。……なんと恐ろしいことに『黒妖妃』玲蘭だよ…」 「黒妖妃? どんな方なんですか?」  俺はステータスウィンドウを開き、「人物相関図」から玲蘭の情報を確認してから、温修明に説明した。 「通称『黒妖妃』と呼ばれる、黒炎軍で術師長を務める女性だよ。人間と妖魔の混血で、幻術の使い手なんだ。龍承業にめちゃくちゃ忠誠を誓っていて、彼のためなら何でもするタイプ。前の白蓮谷の戦いでも霧の妖術を使ってた、あの女の人だよ」  そこまで説明すると、温修明は彼女のことを思い出すかのように首を傾げた。 「確かに、いましたね。綺麗な女性の方が」 「綺麗って……まあ、確かにそうだけど……」  あの冷徹無慈悲な黒妖妃のことをあっさり『綺麗』と称してしまうとは、温修明は俺が思っているよりおおざっぱというか、わりと大物なのかもしれない。 「とにかく…明日から彼女の監視のもとで、金貨千枚を集める方法を探さないといけないんだ」 「梁兄なら、きっといい方法を思いつきますよ!」  温修明の無邪気な信頼に、胸が締め付けられる思いだった。この子を守るためにも、なんとかしなければ。

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