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第13話
「一応警告しておきますが、ここは東越国公認の施設ではございません。何が起きても自己責任ですのでご了承を」
扉を開けると、そこには熱気と興奮が渦巻く大きな空間が広がっていた。ゲームのドット絵では伝わってこなかった喧騒と罵声、そして勝負の熱気が俺を包み込む。
(うわぁ……リアルの賭博場ってこんな感じなのか……)
中央には豪奢な円卓が幾つも並び、各卓を囲む者たちは命運を天に委ねていた。象牙のサイコロが銀の盆の上で踊り、何やら札のようなものがめくられる音が響く。勝者の歓声と敗者の嘆きが入り交わる空間に、今まで嗅いだことのない甘く重い香りが漂っていた。
青年は人混みの中を通り抜け、俺たちを賭博場の奥へと案内した。雲と龍の模様が描かれた朱塗りの扉の奥にある部屋で、どうやら特別な客を相手にする場所らしい。調度品はどれも一級品だ。
「ここなら落ち着いて話せる」
青年は座るよう促した。
「さて、私の名は顧明遠 。この賭博場の管理者だ。君たちは?」
「梁易安と申します。こちらは温修明と玲蘭です」
「で、君はなぜ未来の合言葉を知っているのかな?」
直球の質問だ。俺は深呼吸してから口を開いた。ここからは完全なハッタリだ。
「顧さん、俺は各国を渡り歩く商人ですが、情報屋でもあります。……あなたが東越国の財務官の役割を影で担っていることも知っていますよ」
顧明遠の表情が微妙に変わった。
「なかなか興味深い話だね」
彼は落ち着いた様子だったが、わずかに警戒心を見せていた。
「だが、その情報は間違っている。そもそも、そんな地位の高い役人なら身分を隠す必要なんてないんじゃないかな」
「そうでしょうか? 東越国では学問ばかりが重視され、軍事予算はいつも削られています。そのことに不満を抱いた軍人たちが反乱を計画していると、私は情報網から掴んでいます。あなたが財務官の地位を隠して賭博場を経営しているのは、そうしなければ軍人たちが反乱を起こした際に命が危ういと考えているからではないですか?」
顧明遠の顔から血の気が引いた。
「君……一体何者だ?」
「言った通り、情報屋です」
俺は、改めて余裕のある態度を装った。
「こんな情報、もっとたくさん持っていますよ。東越国の裏事情なんて、私にはお手の物です」
もちろん全てゲーム知識からの推測だが、顧明遠にはそんなことわかるはずもない。むしろ彼は動揺を隠せない様子だ。
「その情報、誰に売るつもりだ?」
「それは状況次第です」
俺はニヤリと笑った。
「今日はちょっと賭け事がしたくて来たんですよ。あなたと勝負したい」
「賭け事?」
顧明遠の表情が曇った。
「何を賭ける?」
「私を賭けます」
「は?」
「私が負けたら、私の持つ全ての情報はあなたのもの。しかし俺が勝ったら……そうだな、金貨五百枚をいただきたい」
部屋が静まり返った。温修明も玲蘭も驚いた表情で俺を見ていた。
「面白い提案だ」
顧明遠は笑みを浮かべた。
「だが、たかがお前にそれほどの価値があるのか?」
「ありますとも。例えば……」
俺は顧明遠に近づき、小声で続けた。
「来月、韓無塵 宰相があなたを罠にかける計画を立てていることも知っていますよ」
これは完全な賭けだった。ゲーム内では確かにそのようなイベントがあったが、この世界でも同じかどうかは分からない。しかし、顧明遠の表情が硬直したのを見て、俺は賭けに勝ったことを確信した。
「……わかった」
顧明遠は緊張した面持ちで頷いた。
「勝負しよう。サイコロ勝負だ」
顧明遠は部下に指示し、特別なサイコロのセットを持ってこさせた。
「勝負のルールを説明しよう」
顧明遠は小さな木箱を開け、中から見事な細工が施された三つのサイコロを取り出した。サイコロは普通のものと違い、表面が黒く光沢があり、目の部分は金色に輝いている。
「このサイコロを3つ振り、出た目の合計が大きい方が勝ちだ。単純明快だろう?」
顧明遠はサイコロを手のひらで転がしながら説明した。
「一度だけ勝負。引き分けはなし。負けた方は潔く従うこと」
「わかりました」
俺は一瞬だけ玲蘭と視線を交わした。彼女は無言でこくりと頷く。
出発前に彼女に相談していたのだ。
顧明遠は、術でサイコロの目を操る能力を持っている。彼の術は目には見えない糸のようなもので、振ったサイコロの動きを微妙に操作して自分に有利な目を出させるというものだ。ゲーム内では、プレイヤーは彼の勝負に絶対に勝てない。いわゆる「強制負けイベント」だ。
しかし、玲蘭の妖術は、顧明遠のものよりよっぽど強い。彼女の力を借りれば、彼の術の糸を断ち切り、逆に自分の意のままにサイコロを操ることができる。
もちろん、この計画を温修明には話していない。彼がはあまりにも正直すぎて、表情に出てしまうからだ。
玲蘭が監視役でなかったら不正を何らかの形で暴くつもりだったが、強力な妖術を扱える彼女がいるなら、わざわざ不正を正すなんて面倒なことはしなくていい。イカサマにはイカサマで対抗してしまえばいいだけだ。
「どうぞ」
顧明遠がサイコロを赤い布の上に置き、俺に差し出した。
「あなたから振ってください」
部屋の空気が張り詰める。温修明が緊張した面持ちで息を飲むのが聞こえた。
俺は慎重にサイコロを手に取り、一度手の中で振ってから、テーブルに投げた。
サイコロが赤い布の上で踊るように転がり、やがて止まった。
「3、5、6……」
顧明遠が目を細めて確認した。
「合計14! なかなかの出目だ」
しかし、顧明遠は自信満々に微笑んでいる。彼の目には「もう勝った」という確信があった。
「では、私の番だ」
彼がサイコロを手に取り、振ろうとしたその瞬間だった。
玲蘭が一瞬、目を閉じ、かすかに唇を動かした。普通の人には気づかないほどの小さな動きだが、確かに彼女は呪文を唱えていた。
サイコロが空中を舞い、赤い布の上に落ちた。最初はまだ勢いよく転がっていたが、次第に動きが遅くなり、ついに止まる。
部屋に静寂が広がる。
「1、2、4……」
顧明遠の声が震えた。
「合計7……?」
彼の顔から血の気が引いた。おそらく彼は自分の術が効いていないことに気づいたのだろう。本来なら、彼の術で操作すれば、少なくとも15以上の目が出るはずだったのだから。
「おや、私の勝ちですね」
俺はニヤリと笑った。
「約束通り、金貨五百枚をいただきます」
顧明遠は怪訝な表情で俺たちを見つめた。そして突然、悟ったように目を見開いた。
「お前たち……術を使ったな?」
「なんのことでしょう?」
俺は知らないふりをした。
「では、金貨を」
顧明遠は渋々、金庫から金貨を取り出した。しかし、彼の表情には明らかな敵意が見えた。
「ありがとう、楽しい勝負でした」
俺は立ち上がった。
「では、失礼します」
俺たちが部屋を出ようとしたその時だった。
「待て!」
顧明遠の怒号が響いた。
「誰も出さんぞ!」
部屋の扉が開き、十数名の武装した男たちが入ってきた。明らかに軍人だ。
「賭けに負けたからといって、このような真似は感心しませんね」
俺は冷静を装ったが、内心かなり焦った。
「黙れ!」
顧明遠が叫んだ。
「あのサイコロは私が特別に細工したものだ。それを覆す力を持つ者など……ん、玲蘭……そうか、黒炎軍の妖女か!?」
彼の視線が玲蘭に向けられた。
「やれやれ、私の名を知っているとは」
玲蘭は冷笑した。
「なら、こうするしかないな」
彼女が手を動かすと、突然部屋の明かりが消え、煙のような霧が辺りを包み込んだ。
「逃げるぞ!」
玲蘭が俺と温修明の手を掴んだ。
「捕まえろ!」
顧明遠の怒号が響く中、俺たちは部屋を飛び出した。だが、外には既に大勢の兵士が待ち構えている。
「げっ、完全に囲まれたか……!」
俺が呟くと同時に、玲蘭が前に出た。彼女の手から妖しい紫の炎が燃え上がる。
「私が道を開く。ついてこい」
数人の兵士が玲蘭に突進してきた。彼女は軽々とかわすと、手から放った紫の炎で兵士たちを吹き飛ばした。その素早さと力強さは圧巻だった。
「すごい……」
温修明が感嘆の声を上げた。
一方、俺も何人かの兵士と対峙することになった。
(勘弁してくれ! 戦闘力25の俺に何ができるんだよ!?)
だが、相手は普通の兵士だ。ゲーム内なら最弱クラスの敵キャラ。俺は勇気を奮い起こし、近くにあった椅子をぶん回してで応戦した。
「どりゃあ!」
ありがたいことに、俺の椅子アタックで兵士が見事に吹き飛んだ。どうやら、この賭博場にいる兵士はモブ兵のようだ。これなら自分でも対処できる。
一方、玲蘭は文字通り無双状態だった。紫の炎と幻術で次々と兵士たちを倒していく。その姿は恐ろしくも美しかった。
そんな中、一人の兵士が温修明に襲いかかろうとした。俺は咄嗟に手を伸ばしたが、離れた場所で戦っていたので間に合いそうもない。
「危ない!」
そんな絶体絶命の彼を助けたのは、意外にも玲蘭だった。玲蘭は妖術で温修に襲い掛かろうとした敵を弾き飛ばすと、そのまま彼の元に駆けつける。
「大丈夫か?」
玲蘭が珍しく心配そうな表情で温修を見つめた。
「はい、ありがとうございます! 玲蘭さん、本当にお強いんですね」
温修の率直な称賛に、玲蘭の頬がわずかに赤くなった。これまで冷たい表情しか見せなかった彼女が、初めて感情を表に出した瞬間だった。
「う、うるさい! さっさと逃げるぞ!」
彼女は更に奮闘し、俺たちのために脱出路を確保した。玲蘭の活躍もあり、なんとか俺たちは賭博場から脱出することに成功した。
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