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第15話

 埃まみれの書庫で、俺は何度目かのくしゃみをした。 「はっくしょい!」  鼻をすすりながら、俺は乱雑に積み上げられた竹簡の山を見上げた。  竹簡とは竹でできた巻物みたいなもので、この世界におけるポピュラーな記録媒体だ。ただ、紙と違い場所をとる上に、この書庫に押し込められた竹簡たちはほとんど整頓されずに積み上げられている。まるでゴミ屋敷みたいな様相だ。 「これ、どうやったらここまでぐちゃぐちゃになるんだよ……」  俺は、積み上げられた竹簡や木簡の山を眺めながら、小さなため息をついた。  金貨五百枚を郭冥玄に渡して、楽安街の中での行動の自由を認められてから一週間ほど経つ。その代わり、というのか罰ゲームというのか、郭冥玄はこの膨大な量の書類の整理を俺に押し付けてきたのだ。 「お前は商人だろう? なら数字には慣れているはずだ。この書庫の書類を整理しろ」  そんな無茶な命令を出された当初は、何とか断ろうと試みたのだが…… 「断る? お前はまだ『捕虜』だ。命令に従わなければ、また監禁するだけだ」  そう言われてしまっては、おとなしく従うしかなかった。  目の前には山のような書類、そのほとんどが「武器の購入記録」だ。  南辰国のような正規の軍なら、国営の鍛冶屋が武器を作って軍に配給するシステムになっていることが多い。だが黒炎軍は寄せ集めの軍隊だけあって、武器は各自が自前で用意した後、それに対して軍がお金を後払いするという方式になっているようだ。 「だから、これ全部領収書みたいなもんなんだよな……」  つまりは、現代企業の経理課がやっているような仕事を任されているわけだ。 「なんかさぁ、転生直後に仕事させられて、その後もずっと仕事って、俺の人生は一体何なんだろうね。現世でもブラック企業社畜、異世界でもブラック組織社畜」  ぼやいても始まらない。とりあえず手を止めずに作業を続けよう。  竹簡を一つ手に取り、目を通す。 「武器名:長刀。数量:1。価格:銀貨25枚」  そこまでは普通だが、問題はその下だ。 「理由:前のが壊れたため」  これだけ? もうちょっと詳しく書かないと。どうやって壊れたのか、どこで購入したのか、支払先は誰なのか……そういった情報が一切ない。 「現代の経理課に出したら殺されるレベルだわ、これ」  次の竹簡。 「武器名:鉄槍。数量:5。価格:銀貨50枚」 「理由:なくした」  5本も? 一体どういう状況なら槍を5本も紛失するんだ? そもそも自分の武器をなくすような奴に新しい武器を渡して大丈夫なのか?  その次。 「武器名:弓矢一式。数量:不明。価格:銀貨45枚」  数量不明って…数えろよ! 「くそっ、こんなの整理しろって方が無理ゲーだろ…」  しかし、ここで俺の特殊能力が役立つ。竹簡に書かれた文字を読むと、自動的にステータスウインドウの「情報」タブが更新され、詳細なデータが記録されるのだ。 「情報」タブを開くと、読み取った武器購入記録がきれいに整理されている。  申請者:趙虎(第三部隊)  武器名:長刀  製作者:王鍛冶  購入日:啓明7年7月15日  価格:銀貨25枚  理由:前任者から受け継いだ武器が錆びて使用不能になったため  承認者:劉伍長 「おお、これは便利」  記録の内容が自動的に拡充されるだけでなく、曖昧な部分も補完してくれる。まるでAIによる自動文書作成みたいだ。 「つまり俺がやるべきことは、この竹簡を全部読んでいくだけってこと?」  それなら楽だ。速読で片っ端から目を通していけばいい。  何時間かそうして作業を続けていると、ある奇妙な傾向に気づき始めた。 「おかしいな…」  申請者の名前を確認すると、特定の数人が繰り返し現れている。しかも、彼らが申請する武器の量が尋常ではない。  例えば「楊青雲」という兵士は、過去一ヶ月で剣を5本、弓を3張り、槍を7本も申請している。一人でそんなに武器を持てるわけがない。 「他にも……趙明、李白峰、王六……」  これらの兵士はみな同様に不自然な量の武器を申請している。しかも、理由は「紛失した」「壊れた」「訓練で壊した」など、実にありきたりなものばかり。  さすがにここまで怪しければどんなずさんなチェックでも引っかかると思うのだが、これまたおかしなことにすべて申請が通り、予算が下りている。しかも、面白いことにこのような「怪しい請求」を許可している承認者は、いつも名前が一緒だ。 「これって、もしかしなくても武器の横流し的な……?」  おそらくだが、彼らは申請した武器を裏で売りさばいているのだろう。もっと酷いと、敵国に売ってるという場合も考えられる。会社の金の横領パターンだ。かなり闇が深い。 「報告すべきかな……でも、誰に?」  郭冥玄か? それとも玲蘭? いや、龍承業か? 「ちょっと待て、龍承業にいきなり報告とか怖すぎるだろ……」  ただでさえあの夜以来、彼との接触を極力避けていたというのに。  考えあぐねていた時、突然書庫の扉が開く音がした。振り向くと―― 「げっ……」  そこにはやたら背の高く存在感のある男が立っていた。龍承業だ。 「なんだ商人、いたのか」  彼の低い声が書庫に響く。龍承業は書庫に一歩踏み入れると、俺をちらりと見ただけで、書棚の方へと歩み寄った。 (よかった、特に何も言う気はないみたいだ……)  あの夜の出来事が脳裏によみがえる。彼の唇の感触、強引な手つき、そして……自分の恥ずかしいあの姿まで。思い出すだけで顔が熱くなる。 (でも、龍承業がここに来るなんて珍しい……)  俺がここに来るようになって一週間、彼の姿を見かけたのは初めてだ。しかし、考えてみればそこまで不思議でもない。黒炎軍の総大将が書庫に来ることだってあるだろう。  しばらく黙々と自分の作業に戻っていると、龍承業が書棚の間から声をかけてきた。 「地図はどこにある?」 「え? あ、そうですね……」  俺は立ち上がり、書庫の配置図を頭に思い浮かべた。ここ一週間で大体の配置は覚えている。 「地図なら東の棚、上から三段目にあります。南辰国の地図ですか? それとも……」 「三国全ての地図だ」  俺は彼を案内して、目的の棚へと連れていった。 「ここです。この巻物が南辰国、こちらが西崑国、そしてこれが東越国の地図になります」  龍承業は俺の説明を聞きながら、黙って頷いた。そして突然、思いもよらない言葉を口にした。 「お前、よくやっているな」 「え?」 「この書庫、以前は誰も整理しようとしなかった。郭冥玄もほとんど放置していた。だが、お前が来てからずいぶん片付いたようだ」  なんだか褒められている。でもそれが素直に嬉しいと思えない。だって、この作業は捕虜としての罰ゲームみたいなものだから。 「ただの作業ですから……別に」 「そうか」  龍承業は地図の巻物を手に取り、それを広げて見始めた。 (意外だな……)  俺は密かに彼を観察していた。以前、龍承業のことを「暴力で人を支配し、酒池肉林が好きなタイプの暴君」だと思っていた。しかし、ここ数日黒炎軍の中にいて見聞きしたところによると、彼はほとんどの軍議に出席し、部下を指導し、暇があれば自ら調べものをするような人物らしい。  まるで「自分でやった方が早い」と考えて、ほとんど部下に仕事を任せないタイプの上司だ。しかも体力無尽蔵で、休んでいるところを見たことがない。現代企業だと「ワンマン社長」とか「プレイングマネージャー」とか呼ばれるタイプといえるだろう。上司には絶対したくないタイプである。  しばらくの間、書庫の中は静かだった。龍承業は地図を見て何かメモをとり、俺は元の場所で竹簡の整理を続けていた。その静寂を破ったのは、再び龍承業の声だった。 「お前、その仕事をしていく上で何か気づいたことはあるか?」  突然の質問に、俺は手を止めた。この質問の意図は何だろう? 単なる世間話なのか、それとも…… (報告すべきかどうか……)  武器の不正購入の件を伝えるべきだろうか。龍承業は黒炎軍のトップだ。こういう情報こそ彼に伝えるべきなのかもしれない。だが、その結果どうなるか。発覚した兵士たちはどうなるのだろう。龍承業の恐ろしい処罰を受けるのだろうか? (でも……)  ふと、ゲーム内の記憶がよみがえった。  龍承業は、ゲームの中では最後に自分の部下に裏切られて孤独に死んでいくキャラクターだ。誰も彼を信じず、彼もまた誰も信じない。そんな悲しい結末を迎えるのだ。 (これって……そのきっかけになる出来事のひとつなのかも)  それに、彼は今こうして一人で調べものをしている。ワンマンなのは確かだとしても、孤独なのではないだろうか。誰にも頼らず、自分一人で背負い込むその姿に、俺はなぜか胸が痛んだ。 「……実は、気になることが一つあります」  俺は決意した。正直に話すことにした。 「何だ?」 「武器の購入記録を見ていると、特定の兵士が不自然な量の武器を申請していることに気づきました」  俺は立ち上がり、該当する竹簡を集めて龍承業の前に広げた。 「この兵士たちです。楊青雲、趙明、李白峰、王六…彼らはここ一ヶ月だけで通常の10倍以上の武器を申請しています。理由も曖昧です。しかも、彼らの武器の申請の許可を出したのはすべて同じ人物の名前になっています」  龍承業の顔色が変わった。彼は竹簡を一つ一つ手に取り、じっくりと見ていく。 「……なるほど」  彼の声は静かだったが、その目には怒りの炎が燃えていた。 「なかなかに有益な情報だ」  龍承業は俺を見上げると、不意に、笑みを浮かべた。それは俺がこれまで見たことのない表情だった。厳しく、冷たく、時に残酷な龍承業が、そんな表情をするとは思わなかった。 「梁易安、よくやった」  たった一言の褒め言葉だったが、なぜか胸がドキリと跳ねた。彼の笑顔はどこか寂しげで、しかし確かに温かいものがあった。  龍承業は竹簡を一まとめにすると、立ち上がった。そして、不意に俺に近づいてきた。 「褒美が欲しいか?」 「え?」  彼の顔が近づいてくる。あの夜と同じ状況に、俺は思わず後ずさった。 「いや、その……お構いなく……」 「ふん、あの夜のことを思い出したな?」  彼は口元に笑みを浮かべながら言った。 「また相手をしてやろうか」 「い、いりません!」  俺は顔を真っ赤にして断った。龍承業は少し残念そうな表情を見せたが、すぐに元の無表情に戻った。 「そうか。では、この情報への礼として、明日は休みを与えよう。書庫の作業はしなくてよい」 「あ、ありがとうございます」  龍承業は竹簡を抱え、書庫を後にした。その姿を見送りながら、俺はなぜか複雑な気持ちになった。 (ゲームでは最後に死ぬキャラ……か)  あのゲームの世界線を知っている俺には、彼の運命がすでに見えている。それが現実になるとしたら…… 「ちょっと待って、なんでそんなに心配してるんだよ、俺」  頭を振って考えを払いのけようとするも、龍承業の優しげな笑顔が脳裏から離れなかった。 「まったく……なんなんだよ、この気持ち……」  複雑な心境のまま、俺は再び竹簡の整理に戻った。ただ、今日は何故か、いつもより集中できなかった。

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