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第19話
龍承業は机の横に置かれた椅子を指さした。
「座れ」
言われるままに座ると、彼は酒らしき液体を二つの杯に注いだ。その手つきは意外にも優雅で、丁寧だった。
「飲め」
一杯を受け取り、恐る恐る口をつける。たぶんいいお酒なんだろう、香り高い味わいだ。喉を通るときに熱さと共に甘みを感じ、心がほぐれていくような感覚がある。
「今日の戦いは見ていたか?」
「はい」
「どう思った?」
「正直……恐ろしかったです」
俺は素直に答えた。戦場での光景が、また脳裏によみがえる。
「ゲーム……じゃなくて、他の戦と違って、あまりにもリアルで……」
「ゲーム?」
龍承業が眉を寄せた。
「い、いえ! なんでもないです!」
焦って誤魔化したが、龍承業は深追いせず、別の話題に移った。
「そういえば、お前は捕虜の身分から解放されるために金を集めていたな。その件はどうなっている」
あの無茶苦茶な約束か……。
「正直、難しいです」
俺は素直に答えた。一度は賭博場での大勝負に成功したが、あれは一回限りの裏技みたいな手だ。そうそうあんなにうまく大金が手に入るわけじゃない。
「このままでは、お前はずっと我が軍の捕虜として生きることになるな」
龍承業の口元に笑みが浮かんだ。その表情が思いの外穏やかで、俺はその雰囲気の流れで、つい龍承業に質問してしまった。
「あの……」
「何だ?」
「……どうして、俺にお酒をふるまってくれたのですか?」
龍承業は酒を一口飲み、少し考え込むような表情になった。
「お前の言うとおり、俺は東越国の罠を回避できた。それだけでなく、勝利も手にした」
彼はじっと俺を見つめた。その瞳には戦後の疲れと満足感、そして何か別の感情が宿っているように見えた。
「お前のおかげだ」
「いえ、そんな……」
俺は慌てて否定した。ゲームの知識で得た情報を伝えただけで、そんな大げさな行動に値しないはずだ。
「では、改めて聞く」
彼の声が低くなった。重く響き、その声が俺の胸を震わせる。
「なぜ俺に策を伝えた。黙っていれば、我が軍は壊滅し、お前は逃げられただろう」
その質問には、高台で見た時にも答えられなかった。逃げたいと思っていたはずなのに、なぜ黒炎軍を助けたのか。なぜ龍承業に忠告したのか。
でも今、彼の目をまっすぐ見つめていると、なぜか言葉が出てきた。まるで心の奥に隠れていた本音が、彼を前にして自然と溢れ出したかのように。
「……あなたを見捨てたくなかったから」
龍承業の目が少し見開かれた。その反応に、自分自身も驚いた。自分の口から出た言葉が、本当に自分の気持ちを表しているのか確信が持てなかった。
「何故だ?」
「それは……わかりません」
俺は正直に答えた。本当にわからなかった。なぜ龍承業を助けたかったのか。なぜ彼を見捨てられなかったのか。ゲームでは敗北が決まっている悪役なのに、なぜ自分は彼の味方をしているのか。
「あなたがいなくなると……寂しい気がして」
言葉にした瞬間、自分でも何を言っているのか分からなくなった。佐倉遼という人間は、こんな感情の表現の仕方をしなかったはずだ。
龍承業は長い間黙っていた。その沈黙は俺を不安にさせた。余計なことを言ってしまったのではないか、と後悔が押し寄せてくる。
そして突然、彼は笑い出した。低い声で、軽く肩を震わせて。
「面白い男だ」
そう言って、彼は立ち上がり、酒を飲み干した。そして、ふとした表情で口を開いた。
「俺の話を聞きたいか?」
「え?」
「俺の過去だ」
俺は驚いた。ゲーム内での彼の背景は知っているが、本人の口から直接聞くとは思わなかった。なぜ今、彼はそんな話をするのか。
「はい……あなたさえよければ」
龍承業は再び座り、静かに語り始めた。
彼はもともと南辰国の下級軍人だった。卑しい身分ながら、その天才的な武力を買われて軍に入ったが、出世の道は閉ざされていた。身分制度が厳しい南辰国では、彼のような出自の者は、どれほど功績を上げようとも上級の地位につくことは許されなかったのだ。
そんな彼を、上官たちは使い捨ての駒として危険な戦場に送り続けた。多くの仲間が死んでいく中、彼一人が持ち前の武力と知恵で生き延びてきた。何度も死地を潜り抜け、戦場で名を上げるも、その度に嫉妬と妬みを買っていった。
「それでも、俺は忠誠を尽くした」
龍承業の目は遠くを見ていた。その瞳に宿る寂しさと怒りが、俺の胸を締め付けた。
「国のために、皇帝のために、俺にできることをした」
しかし、ある日彼は同僚に罠にはめられた。彼が信頼していた仲間から裏切られ、謀反の罪を着せられたのだ。一夜にして反逆者として扱われるようになった。彼が大切にしていた家族——老いた母と年若い妹は、彼の罪の連座として処刑された。
「母と妹は、俺が帰るのを待っていた」
彼の声は低く沈んでいた。その声に込められた痛みが、俺の心に突き刺さる。
「帰ったら一緒に山の麓に移り住もうと約束していたのに……彼女たちが俺を恨んだとしても、不思議ではない」
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