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第20話

 龍承業は命からがら逃げ出し、同じように国に捨てられた者たちを集め始めた。それが黒炎軍の始まりだった。 「俺の戦いは、お前が指摘したとおり、もはやなんの理念も理想もない」  彼は冷たく笑った。その笑顔の奥に、深い悲しみを感じた。 「ただの怒りのはけ口だ。俺を裏切った国、裏切った人々に報復するため……」 「……」  そこまで聞いて、俺は言葉を失った。彼の来歴はゲームの知識として知っていたが、本人の口から、その感情を込めて語られるとまるで重みが違った。ゲームでは悪役として描かれていた彼も、実際は壮絶な過去を持ち、それが今の行動の原動力になっているのだと実感した。 「どうだ、失望したか?」  龍承業は皮肉っぽく尋ねた。 「俺の本質が誰もが恐れる黒龍将軍などではなく、ただの凡庸な復讐鬼だと知って」 「……いいえ」  俺は首を振った。 「あなたがなぜそこまで怒りを抱えているのか、少し理解できた気がします」  龍承業は少し驚いたような表情を見せた。彼は俺のこの返事を予期していなかったようだ。 「今、あなたには信頼できる人はいるんですか?」  俺は尋ねた。自分でも驚くほど大胆な質問だったが、知りたかった。彼の心の内を。  その質問に、龍承業は苦笑した。 「信頼? そんなものはとうに捨てた」 「でも、郭冥玄参謀とか……」  その名前を出した瞬間、俺はハッと思い出した。すっかり忘れていた、ゲームの設定のことを。  郭冥玄。そうだ、彼はゲーム内では黒炎軍の裏切り者キャラクターだった。彼は裏で東越国のとある有力者に仕えており、黒炎軍を内部から崩壊させようと動いている裏設定がある。今日の戦いでも、彼はほとんど発言しなかった。あの寡黙さは、もしかして作戦の成功を願っていなかったからではないか。 「冥玄のことを、お前は何か知っているのか?」 「……いえ、ただ……彼はあなたの一番近くにいる参謀だから」  俺は焦って誤魔化そうとした。しかし、心の中では「彼を助けなければ」という思いが急速に膨らんでいた。 「ふむ」  龍承業は納得しなかったようだが、それ以上は追及しなかった。彼の目は俺を見つめたままだ。その視線に重みを感じる。  俺の脳裏では、ゲームのエンディングが鮮明に浮かんでいた。黒炎軍は最終的に内部崩壊し、三国の同盟軍に敗れる。龍承業もまた、郭冥玄を含む部下たちに裏切られ、失意のまま最期を迎える…… 「最強」と恐れられる彼の存在が、今はひどく危うくもろいものに思えた。彼はこの世界ではただ「負けることが運命づけられた敵役」なのだ。 (でも……)  胸の奥で何かが熱くなった。そして、その熱さは次第に体全体に広がっていく。 「龍将軍」  俺は思わず口にした。 「どうか俺をうまくお使いください」 「何?」  龍承業は意外そうな表情を見せた。 「あなたのために、力になりたいんです」  そんな言葉がいつの間にか口から出ていた。自分でもびっくりしたが、その言葉に嘘はなかった。本音を言えば、これまでは逃げたかった。敗北がほぼ確定の悪役外伝ルートなんて、死に直結するからまっぴらごめんだった。  でも、助けたいと心から思ってしまった。自分の力がどれぐらい役に立つかなんてわからないけど、世界から死ぬことを運命づけられた彼の運命を、変えてみたいと願ってしまった。  たぶんそれは、異世界転生した「プレイヤー」の自分にしか、できない役目だ。  龍承業は驚きの表情から、そして笑いに変わった。 「俺を助けるだと?」  彼は鼻で笑った。 「俺はお前に助けてもらわねば生きていけぬほどの存在ではない」 「そうじゃなくて……」  俺が言葉に詰まっていると、龍承業は立ち上がって近づいてきた。その足音すら聞こえないほど軽い動きで、気づけば目の前に立っていた。そして、俺の顎を掴んで顔を上げさせた。彼の指の感触が熱い。 「……お前は、本当に変わった男だ」  彼の声は低く、息が俺の顔にかかる。そして——彼の唇が俺の唇を覆った。 「んっ……!」  前回のキスとは違う。強引さはあるものの、どこか優しく、丁寧だった。龍承業の手が俺の頬を包み、もう片方の手が背中に回される。その手が背骨を一つずつなぞるように下りてくると、言いようのない感覚が俺の体を駆け巡った。  彼の舌が、俺の舌に触れる。熱い。  唇が離れたとき、俺は呼吸を忘れていたかのように、大きく息を吸った。頭がくらくらする。 「な、なぜ……」 「お前のような底の知れない男は初めてだ」  龍承業は小さく笑った。 「俺に好意を持つ者も、俺を利用しようとする者も見てきたが、お前のようなタイプは初めてだ」 「どんなタイプですか?」 「言葉では説明しづらいな」  彼は俺の髪に手を伸ばし、軽く撫でた。その指が耳を掠めると、思わず体が震える。 「まるで予言者のように未来を予測し、しかし何も求めず、ただ俺を助けようとする。お前は一体何者なのだ?」  俺は答えられなかった。異世界から来たゲーム好きの社畜だなんて言えるわけがない。 「あなたのことが……気になって」 「何?」 「あなたのことが気になるんです。最初はただ怖かっただけなのに、今は……」  俺は自分の正直な気持ちを言葉にするのに苦労していた。確かに龍承業に対する感情は変化しているが、その感情に名前をつけることは難しかった。 「お前も俺のことが気になるのか?」  龍承業の視線が熱を帯びる。翡翠の色をした瞳が炎のように輝き、俺を見つめていた。 「それなら、俺も同じだ」  彼の言葉に、心臓が大きく跳ねた。 「お前は謎めいている。ただの商人のようでありながら、卓越した知識を持ち、俺の軍の将来を見通し、そして何より……俺に怯えながらも、決して心を閉ざさない」  彼の手が再び俺の顔に触れた。その指先が頬を撫で、唇の端を親指でなぞる。その感触に、言葉にできない感覚が全身を駆け巡る。 「俺は誰も信じていない。信じる必要がなかった。戦に勝てばそれでよく、他のことは考えなかった」  彼の声は低く、囁くように続く。 「お前はおかしな男だ。俺に恐怖しながら、しかし、いざというときには俺の命を救う」  龍承業は首を傾げた。 「なぜそうする。お前は何を得ようというのだ?」 「それは……」  俺は答えに詰まってしまった。  龍承業は俺をじっと見つめていた。その眼差しは、これまで見たことのないような温かさを含んでいた。彼の冷酷さの奥に隠れていた、もう一つの顔。 「……良かろう、お前をしばらく俺の傍で使ってやる。ただし、少しでも疑わしい様子を見せてみろ。すぐに俺の剣で首を刎ね飛ばしてやるからな」  物騒な言葉のわりに、龍承業の口調はどこか優しげな雰囲気すらあった。ほんの数日前までは、彼のこんな言葉に震え上がっていたはずなのに、今では彼の言葉に嬉しさすら感じてしまう。 「あ、ありがとうごさいま……んっ……!」  龍承業はその答えに満足したように微笑み、再び俺の唇を奪った。今度はさらに深く、互いの息が混ざり合うほどに。

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