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第23話

「……と、このように、我々の商業特区計画は当初の予想を大幅に上回る成果を上げています!」  商業特区計画の発表から3ヶ月が経ち、俺は龍承業と郭冥玄をはじめとする黒炎軍の幹部たちの前で成果報告をしていた。プレゼンは得意分野だ。この異世界でもやることになるとは思わなかったけど。 「東越国と西崑国からも多くの商人が流入し、税収は前月比で2割ほど増加。南辰国からも徐々に商人が参入し始めています。このペースでいけば、来月には特区設立前の税収の3倍になる見込みです」  俺が手作りの折れ線グラフを示すと、会議室に小さな驚きの声が上がった。これでも元はブラック企業で鍛えた営業資料作成スキルを活かしている。図表は大事だ。 「さらに、物資の流入量も増加しており、軍の備蓄状況も改善されています。特に食料と武具の備蓄は2倍になりました」  龍承業は黙って俺の報告を聞いていたが、その目には満足の色が見える。一方、郭冥玄はどこか複雑な表情を浮かべていた。  報告が終わると、龍承業がゆっくりと立ち上がった。会議室の空気が途端に変わる。 「──梁易安の計画は成功したようだな。予定通り、商業特区計画は継続する」  その言葉に、周囲からは驚きと納得の声が混ざり合った。最初はこの計画に懐疑的だった将兵たちも、今ではその成果を認めざるを得なくなっている。 「各隊長は配給の割り当てを確認せよ。武具の補充も行う。それから……」  龍承業が次々と指示を出している間、俺は内心でガッツポーズを決めていた。 (やった、想定以上の成果が出た!)  これで俺の立場も少しは安定するはず。この計画の増収分の一部を充てる形で、金貨千枚の返済の目途も立った。ま、今のところ黒炎軍の軍師としてここにいる方が安全だし、しばらく出ていく予定はないんだけど。  その後も、軍議は続いた。今後の軍の人員の増やし方、訓練の仕方、周辺各国の動きについてなど、話題は次々に出てくる。社畜時代によくあった「意味のない会議」ではなく、どれも重要な議題ばかりだ。しかし、話し合われる内容が多すぎて時間がめちゃくちゃかかっている。朝に始まった軍議だったが、ようやく終わりの兆しを見せたのは夕方を過ぎるころだった。寝ないで最後まで参加した俺をだれか褒めてほしい。 「──それでは、今日の軍議を終了する」  龍承業の言葉を皮切りに、幹部たちが退出していく。俺も早く退出しようと荷物をまとめていたところで、背後から以外な人物に話しかけられた。 「梁易安。しばらく残れ」  郭冥玄の声に、俺は足を止めざるを得なかった。龍承業は既に部屋を出ており、残ったのは俺と郭冥玄だけになる。 「何でしょうか、郭参謀」 「座れ」  郭冥玄は窓際に立ち、外の風景を眺めている。俺は促された椅子に座った。  郭冥玄――黒炎軍の参謀。ゲーム内でも重要なキャラクターで、30歳前半ほどの、少し線が細いが背が高いモデルのような整った容姿の持ち主だ。黒に近い紺色の長衣を身にまとい、常に冷静沈着な雰囲気を醸し出している。知略に長けており、表向きは静かで思慮深い参謀として黒炎軍の軍略を担っている。  だが、ゲーム内の彼には重大な秘密があった。彼は元東越の軍師であり、国から追放される形でこの軍に来たということになっているが、実際は追放されておらず、かなり昔から黒炎軍に潜入している東越国のスパイという設定がある。プレイヤーが初めて彼の正体を知るときの衝撃は相当なものだった。 (郭冥玄……このままだと、近い将来裏切るキャラなんだよな……)  とはいえ、彼は単なる裏切り者ではない。ゲーム内では、圧倒的な龍承業の力に惹かれている部分もあり、うまくすると裏切らずに二重スパイとして活躍してくれるキャラでもあった。  その条件を満たすのはかなり難しい。だが、その厳しい条件を乗り越えて彼を味方にすることができれば、東越国との戦いでの情報戦で圧倒的優位に立てる。ゲームの難易度がグッと下がるのだ。だから俺としては、できることなら彼を敵ではなく味方に引き込みたいと考えている。 「梁易安」  郭冥玄が突然振り向き、鋭い眼差しで俺を見つめた。彼の瞳は澄んだ黒で、底知れぬ深さを感じさせる。 「なぜ龍承業様に忠誠を誓う?」  その唐突な質問に、俺は一瞬言葉に詰まった。 「それは……当然のことではないですか。彼は俺たちの総大将なんですから」 「そうか?」  郭冥玄は冷笑した。その表情には皮肉に加え、何かもっと別の感情が混ざっているようにも見える。 「お前は流れの商人。どの国にも所属していなかった。しかも捕まって、無理やり黒炎軍に連れてこられた身だ。にもかかわらず、なぜここまで龍承業のために尽くす?」  彼の目は俺の反応を探るように観察している。手元の筆を軽く回しながら、彼は俺の答えを待っている。この男、何を探ろうとしているんだろう。もしかして、俺が彼の正体を知っていると疑っているのか? 「総大将は俺を信頼してくれました。軍師という地位も与えてくれた。その恩に報いるのは当然です」 「恩?」  郭冥玄は小さく笑った。その笑みは心からのものではなく、どこか悲しみを含んでいるようにも見える。 「龍承業様が恩など与えるとでも? 彼は人を利用するだけだぞ。役に立たなくなれば容赦なく捨てる男だ」  彼の声には確信があった。まるで自分の経験から語っているかのように。彼と龍承業の間には何か過去の因縁があるのだろうか。ゲーム内では彼の裏切りの動機は明確に描かれていなかったが、単純な国への忠誠だけではない何かがありそうだ。 「それでも……俺は彼についていきます」 「なぜだ?」  郭冥玄の視線が鋭くなる。空気が張り詰めているのを感じる。 「彼には……可能性を感じるから」 「可能性?」  郭冥玄は意外そうな表情を見せた。その表情は一瞬だけだったが、彼の心にも少なからず動揺があったことを示している。 「そうか……」  彼はしばらく黙って考え込んでいたが、やがて机の上の書類に目を落とした。そこにはどこかの山脈地方のことが書かれた地図が広げられていた。 「なら、次の戦について話しておこう。商業特区の成功で我々の物資状況は改善したが、それでも次の戦いは厳しいものになることが予想されているからな」 「次の戦い……」  郭冥玄は地図を指さした。 「東越山脈で次の戦いの兆しがある。お前のことだ、既に情報は掴んでいるだろう」  ゲーム内での「東越山脈の戦い」――俺の記憶がよみがえる。黒炎軍にとって最大の転機となる戦いだった。東越国と西崑国の連合軍との激戦で、勝てば黒炎軍の名声は不動のものとなるが、敗れれば壊滅的打撃を受ける。  そして、この戦いで最も恐ろしいのは、敵の武力ではなく内部分裂の危険性だった。郭冥玄は東越国のスパイとして、龍承業に「内部に裏切り者がいる」という偽情報を流し、軍内部の不信感を煽る。龍承業はその情報を信じ、配下の将兵を疑い始め、軍の士気が急速に低下してしまうのだ。  結果、分裂した黒炎軍は連合軍に敗北し、龍承業は仲間に疑いの目を向けたまま、今後の戦いもただ孤独に戦い続けていく。ゲーム内では「悪役の末路」として描かれるが、知れば知るほど悲劇的な結末に思えてくる。 (なんとしても、この結末は変えたい……) 「東越山脈といえば、険しい地形の多い場所ですね」 「そうだ。私たち黒炎軍にとって、ここでの戦いが命運を分けることになるだろう」  郭冥玄は静かに語った。その声に含まれる感情が、単なる軍師としての懸念なのか、それとも裏切り者としての計算なのか、判断するのは難しい。  彼はそこまで言うと、ふと俺を見つめた。 「──梁易安、お前は私のことをどう思っている?」  突然の質問に、俺は内心で冷や汗を流した。これはおそらく「私が裏切り者だと知っているか?」という探りだ。彼の目は僅かに細められ、俺の反応を見逃すまいとしている。 「優秀な参謀だと思います。黒炎軍にとって欠かせない存在です」  直接的な回答を避けつつ、事実だけを述べた。彼は確かに優秀だし、黒炎軍に欠かせない存在だ。それが裏切り者だとしても、だ。  郭冥玄は俺の顔をじっと見つめていた。彼の姿勢からは緊張感が伝わってくる。 「そうか……」  郭冥玄は少し笑みを浮かべた。その笑みには何か不穏なものを感じる。 「……私は、お前のことを『油断ならない者』だと思っているよ」  彼はゆっくりと椅子から立ち上がり、窓の方へ歩いた。背が高く、やせた彼の後ろ姿には何か孤独なものを感じる。 「……東越山脈の戦いでは、敵は単なる軍事力だけでなく、《《情報戦》》も仕掛けてくるだろう」  俺の心臓が早鐘を打った。まさにその情報戦こそ、郭冥玄自身が仕掛ける策なのだ。彼がこの話をしてくるとは思わなかった。 (彼は今、自分の計画を俺に話している。これは俺への警告か、それとも……) 「お前なら、そのような策にどう対処するか?」  振り返った郭冥玄の顔は真剣そのものだった。これは罠かもしれない。ここで俺が何か具体的な対策を言えば、それを逆手に取られる可能性がある。 「……総大将と相談しながら最善の策を練りたいと思います」  郭冥玄の表情が僅かに曇った。彼は窓から離れ、机に戻ってきた。 「なるほど……では聞くが、お前は総大将と私、どちらを信頼している?」  これはかなり危険な質問だ。ここで適当な答えをすれば、彼の疑念を深めるだけだろう。彼の目が俺を見据えている。まるで罠にかけようとしているようだ。 「両方です。軍を動かすにはどちらも欠かせません」 「良く言った」  郭冥玄は笑みを浮かべた。しかし、その目は笑っていない。彼の細い指が机の上の地図を軽くなぞる。 「東越山脈の戦いは、他の戦とは違う」  郭冥玄は突然話を戻した。 「他の戦では龍承業様の圧倒的な武力で勝ってきたが、次は違う。情報戦に長けた東越国の策士・|韓無塵《かん・むじん》が敵だ。彼は龍承業様の弱点を知っている——『疑い始めたら止まらない』という性質を」  ゲーム内で、龍承業の致命的な弱点とされた特性だ。彼は一度疑い始めると、それが止まらず、最終的には自らの軍を崩壊させてしまう。郭冥玄はそれを利用して黒炎軍を内部から崩壊させようとするのだ。 「龍承業様が今、誰を最も信頼しているかわかるか?」  郭冥玄の目が鋭くなった。 「……わかりません」 「それはお前だ」  意外な返事に、俺は言葉を失った。 「かつては私だった。だが今や、龍承業様はお前の言葉に最も耳を傾ける。崑山の戦いや商業特区の件で、お前の価値を認めたからだ」  彼の声にはわずかな嫉妬の色が混じっているようにも聞こえる。かつて龍承業の右腕だった男にとって、自分の地位が脅かされることへの複雑な感情なのだろうか。それとも、スパイとしての任務が難しくなることへの焦りなのか。 「東越山脈の戦いでは、誰の言葉を信じるかが勝敗を分ける。龍承業様がお前の言葉を聞くなら……」  彼は言葉を切った。そして、何かを決意したような表情で続けた。 「……梁易安、戦場で生き残りたければを見誤らないことだ」

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