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第31話
龍承業の部屋は、いつもより灯りが少なかった。大きな窓からは月明かりが差し込み、彼の輪郭を銀色に縁取っている。
彼は一人でいて、武具を外し、黒い絹の寝衣だけを身に着けていた。俺が入ってきても、彼は振り向かず、窓の外を眺め続けている。
「蘇清影……」
龍承業が呟いた。その声には懐かしさとも、敵意とも取れる感情が混ざっていた。
「彼を知っているのですか?」
「ああ。かつては同門だった」
意外な答えに、俺は驚いた。ゲームの設定では、龍承業と蘇清影の過去の繋がりについては触れられていなかった。
「元々は俺も南辰国の軍人だったからな。我々は同じ師匠に剣術を学んでいたことがある」
龍承業は振り向き、俺をじっと見つめた。月明かりに照らされた彼の顔は、どこか儚くもあり、鋭くもあった。
「──なぜ、お前は蘇清影のことを知っている?」
突然の質問に、俺は言葉に詰まった。この質問はいつか来ると思っていた。俺が持つ情報の出所について、彼がいつか疑問を持つのは当然だった。
「情報屋として……」
「嘘をつくな」
龍承業の声は冷たかった。彼の鋭い目は俺の内側まで見透かすようだった。
「お前の知識は尋常ではない。特定の人物について、まるでその人生を書物で読んだかのように詳しい。戦の展開も予測し、敵の弱点も知っている。今になって思い返せば、お前は始めから何かを知っていたような気がするな」
俺は自分が追い詰められていくのを感じた。これまでずっと隠してきた真実。この世界が、もともとはゲームの世界だということ。自分がこの世界の住人ではないということ。それを彼に伝えるべきだろうか?
「実は……」
俺はどう説明すべきか悩んだ。嘘は嘘を呼び、最終的には全てがばれる。だが、真実を話して信じてもらえるだろうか?
「俺は……実は、こことは違う世界から来たんです」
言葉が口から漏れた瞬間、俺は自分の愚かさを呪った。まるで冗談のように聞こえることを承知で言ってしまった。
「違う世界?」
龍承業は眉を寄せた。彼の表情に変化はなかったが、声には僅かな驚きが含まれていた。
「はい。俺の世界では、この世界のことは……物語として知られていました」
俺は諦めたように打ち明けた。もはや引き返せない。どうせ信じてもらえないだろうが、このまま嘘を重ねるよりはましだ。
「物語だと?」
龍承業の声が少し高くなった。
「俺の世界には『覇道演義』という物語があって、この世界のことが書かれています。三国の争い、各国の武将たち、そして未来の展開まで……」
俺は自分の言葉が荒唐無稽に聞こえることを承知で続けた。
「俺は電車という乗り物の中で眠っていた時、突然この世界に来てしまったんです。梁易安という人物に入れ替わるような形で……」
言葉を尽くしながらも、彼の表情からは何も読み取れなかった。ただ黙って聞いている。これが拒絶の兆候なのか、それとも何か思案しているだけなのか……
「お前のその妄言を信じろというのか?」
龍承業がようやく口を開いた。
「いえ、信じる必要はありません。こんな話、普通は信じられないでしょう。ただ、嘘はつきたくなかったので……」
俺は視線を落とした。言ってしまって後悔している。彼との関係がこれで変わってしまうかもしれないという恐怖が胸に広がった。
「なぜ黒炎軍に加わった?」
龍承業の質問は意外だった。俺の話を真に受けているのか、それとも会話を続けているだけなのか判断できない。
「最初は捕まったからです。でも、知っていたんです……この世界では、黒炎軍が滅びることになっていると」
「なんだと?」
「黒炎軍は最終的に三国の同盟軍に敗れ、そして龍承業──あなたは、部下に裏切られ孤独のうちに死ぬことになると」
俺は彼の目をまっすぐ見て言った。
「──それを避けたかったんです」
長い沈黙。龍承業の表情は凍りついたようで、何も言わなかった。俺は不安で胸がいっぱいになった。自分の愚かな行動を後悔し始めていた。
「お前は……」
龍承業がついに口を開いた。
「本当にどこか違う世界から来たのか?」
「はい」
「そして、俺の死を知っていて、それを避けるために俺の側にいると?」
「そうです」
龍承業は静かに近づいてきた。俺は身構えた。彼が怒って俺を責め立てるか、狂人扱いして追い出すかのどちらかだろう。
しかし、彼はそのどちらもしなかった。
「……お前の言葉を信じる」
その言葉に、俺の目が見開いた。
「え?」
「お前の言葉を信じると言っている」
龍承業の目には、これまで見たことのない温かさがあった。
「なぜ? なぜ信じてくれるんですか? こんな話……」
「お前の言うことは信じると、そう約束しているからな」
その言葉に、胸の奥が熱くなった。東越山脈の戦いの前に交わした約束。実際に、俺が攫われた後も俺の言葉を信じて行動してくれた。そのおかげで戦に勝ち、俺も助かった。
「本当に……信じてくれるんですか……?」
声が震えた。気がつくと、頬に熱いものが伝っていた。涙だ。
「なぜ泣く?」
龍承業は少し困惑したように俺に近づいてきた。
「だって……だって……」
俺は腕で顔を覆った。ずっと独りで抱えていた秘密を、初めて誰かに打ち明けられる解放感。それに、その相手が龍承業だということが、余計に感情を押し流してくるのだ。
龍承業は静かに俺を見守り、俺が少し落ち着くのを待った。
「落ち着いたか?」
「はい。……すみません、急に泣いたりして」
「いや」
彼は首を振った。
「お前の話を聞かせてほしい」
俺は深呼吸をして、話し始めた。元の世界のこと、『覇道演義』のこと、そして突然この世界に梁易安として転生してしまったことまで。
「本名は……佐倉遼というんです」
龍承業は黙って聞いていた。彼の表情からは何も読み取れない。話し終えると、彼はようやく口を開いた。
「では……梁易安というのは、本当の名前ではないのだな?」
「まあ、そうですね……今はこの名前で生きてますけど」
龍承業はしばらく考え込んでいた。
「どちらの名前で呼ばれたい?」
その質問に、また涙が溢れそうになった。
「普段は……梁易安でお願いします。みんなにはそう知られてますし……」
彼は小さく頷いた。
「では、寝所では……遼と呼ぼうか」
そのたった一言で、感情が溢れ出した。俺は再び泣き出し、ひとしきり泣いた後、顔を上げると、龍承業は困ったような、でも優しさのこもった目で俺を見ていた。
「……嬉しいです」
彼は俺の肩に手を置いた。その手の温かさが、胸の奥まで届く気がした。
「遼」
名前を呼ぶ彼の声が、今までにないほど深く響いた。
(──ああ、ダメだ。こんなの、好きにならないほうがおかしいって)
俺はとうとう、彼への気持ちを自覚した。今までずっと目を逸らし続けてきたけど、もう限界だ。
俺はこの最強最悪の将軍に、心も身体も囚われてしまったのだ。
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