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第38話

 黒炎軍が接収した玄武城の内部は、軍事都市として機能していた。あちこちに兵舎が立ち並び、兵士たちが行き交っている。楽安街では見られなかった緊張感が街全体を包んでいた。  兵士たちの表情は硬く、彼らの目には疲労の色が濃い。何人かは包帯を巻いていたり、松葉杖をついていたりと、既に交戦が始まっていることが見て取れた。どの顔にも明るさはなく、ただ死と向き合う覚悟だけが刻まれていた。 「戦はもう始まっているんですか?」  と俺が尋ねると、温修明は小さく頷いた。 「小競り合いは既に何度も。南辰国の前哨部隊がこの街の周辺に迫っています。本隊はもうすぐ来るでしょう……」  彼の声には不安が混じっていた。それは単なる戦への恐怖ではなく、何か別のことへの懸念のようにも感じられた。  温修明は俺たちを中央の大きな建物へと案内した。おそらく元々は西崑国の集会場のような場所だったのだろう。そのうちの一室に通されると、そこには玲蘭が待っていた。 「これが例の商人か」  彼女の冷たい声が響いた。どうやら自分たちの来訪は既に彼女の耳に入っているらしい。玲蘭は以前と変わらぬ美しさだったが、その目はより鋭く、俺を貫くように見つめていた。彼女もまた、漆黒の装束に身を包み、より威厳を増していた。 「はい、玲蘭様。佐倉遼という楽安街の商人です」  温修明が紹介すると、玲蘭は俺の周りをゆっくりと歩き回った。彼女の視線は俺の全身を隅々まで探るように動き、その目には明らかな警戒心が浮かんでいる。 「お前たちの行動は監視させてもらうからな」  彼女は手をかざすと、指先から紫色の光が放たれた。その光が俺と周昇の額に触れ、一瞬熱を感じる。 「これは位置確認のための印だ。街の中にいる限り、お前たちの居場所がわかるようになっている」 「妖術ですか……?」  俺はわざとらしく驚いた振りをした。実際には梁易安の時代に何度も見た光景だったが。 「そうだ。敵国の間者が潜んでいるかも知れないからな」  玲蘭は冷淡に答えた。 「修明、あとは頼む」 「はい、玲蘭さん」  温修明の声色が柔らかくなったのに気づいた。玲蘭も、温修明に対してだけは表情が少し和らいでいる。二人のやりとりを見ていると、間違いなく親密な関係であることがわかった。 (あの黒妖妃が修明に懐くなんて……世の中、わからないもんだな)  少し複雑な気持ちになりながらも、二人が幸せそうなのは素直に嬉しかった。  妖術によるマーキングが終わり、温修明が俺たちを案内して部屋を出ると、俺は思い切って口を開いた。 「あの、温修明さん」 「はい?」 「総大将に会わせてもらうことはできないでしょうか?」  温修の表情が一変した。彼は足を止め、俺を真剣な表情で見つめた。その目には明らかな警戒心が浮かんでいる。 「なぜ総大将に会いたいんですか?」 「それは……」  言葉に詰まる。身分を明かすわけにもいかず、かといって嘘をつくのも気が引ける。胸の内には龍承業に会いたいという思いが溢れていたが、それらをそのまま口にすれば、間違いなく怪しまれるだろう。 「総大将のことで聞きたいことがあって……彼に、会いたいんです」 「会いたい?」  温修明の目が細くなった。 「総大将は今、誰にも会おうとしていません。近衛兵ですら近づけないほどですよ」 「なんとかならないのでしょうか」  俺の声には切実さが滲んでいた。ここまで来て、目的を果たせないなんて考えたくなかった。 「いいえ、無理です」  温修明は断固として言った。 「今の総大将は…梁兄が死んでから変わってしまったんです。彼は誰の言葉も聞かず、ただ戦い続けています。まるで……自ら死を求めているかのように」  その言葉に、俺の胸が痛んだ。梁易安を失った悲しみで、龍承業は自分をも責めているのか。 「補給も足りず、兵も疲弊しています。三国同盟軍が結成されれば、我々は多勢に無勢です。それでも総大将は前進しろと命じます」  温修明の声には明らかな懸念が含まれていた。状況は俺が想像していた以上に深刻なようだ。 「お願いします! 俺には伝えなきゃいけないことがあるんです!」  言葉が熱くなり、思わず本音が漏れそうになった。龍承業に会いたいという気持ちが胸の内で暴れている。 「だめですよ」  温修明は首を横に振った。 「私はもちろん、今や軍の幹部である怜蘭様でさえほとんど会えないお方なんです。あなたのような商人が会えるはずがありません」  俺は頭を抱えた。ここまで来たのに、龍承業に会えないなんて。この先、彼が死ぬと知っていながら、何もできないのは耐えられない。 「それに」  温修明はさらに続けた。 「近いうちは軍は動くんですよ。総大将は出陣します」 「出陣?どこへ?」 「蒼空原です」  俺の血が凍りついた。蒼空原──龍承業が敗れ、命を落とすことになる戦場の名だった。ゲーム内では彼の最期の地として知られている場所。そこに向かおうとしているのなら、もう時間がない。  温修明は溜息をついた。 「これが最後の戦いになるかもしれませんね……」

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