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6話 幻聴に怯える朝

 朝になると、天馬はドアをノックする音を聞いて目を覚ました。  慌てて起き上がり、玄関のドアを開けに行く。家の前にはリヴィアがいた。 「ヴェルメイユさんから天馬がルイを預かっているって聞いたんだけど……本当かしら?」 「ああ。……怪我をしていたし、帰りたくなさそうだったから家に泊めたんだ。迷惑だったか?」  肘まである灰色のストレートの髪を揺らしながら、リヴィアは首を振る。  猫のようにつりあがった瞳と真っ赤な口紅が色っぽくて、大人の雰囲気を漂わせている。 「まさか。あのまま家に帰ってたらまたお父さんがルイに何かをしていたと思うから、正直助かったわ。でもいつまで泊めるつもり? もう家出して一週間だから、あんまり帰ってこないとお父さんがますます怒っちゃうのよね」  それはそうか。 「あいつ、どうにかできないのか? ルイだって、本当に帰りたくないわけじゃないと思う。ただ、あんな目にあうって分かってたら……帰れないだろ」  天馬は腕を組む。 「私だって止められるなら止めたいわよ。でもお父さん、ルイが動物を殺せなかったからとても苛ついてて……止められなかった」  とんでもない親だな。 「……リヴィアも何かされたのか?」 「ええ。ルイを庇ったら、腹を叩かれたの」 「何で子供にそんなことできるんだよっ」  天馬はつい唇を噛む。 「知らないわよ……お父さん、いつもあんなじゃないけど、今回は異常なくらい怒ってるの。きっと女の私より、ルイの方が将来たくさんの人を殺せる、立派な悪魔になる可能性が高いから……どうしても殺して欲しかったんだと思うわ」 「でもそれが、怒っていい理由にはならないだろ。別に今弱くたって、将来立派になれば問題ないんだし」 「もちろん、私もお母さんも何度もそういい聞かせたわよ。でも聞いてくれないの」  くそ、だいぶ頑固だな。 「ルイは私がお父さんに怒られているところも幼いころから見ていて、お父さんへの怯えが誰よりも強いから、それもきっとよく手を上げてしまう理由になっているんだと思うわ。堂々としていたら、きっとお父さんもあんなに怒らない」  天馬は思わずリヴィアの肩を掴んだ。 「ルイが悪いってのか? あいつ、まだ十六歳だぞ?」 「……そんなの姉の私が一番よくわかってるわよ」 「――リヴィア! ルイはどこだ!」  ドタドタと足音を立てて、金色の髪をした悪魔がリヴィアのそばへ来る。  背中から生えている翼はルイのものの三倍は大きくて、手足は細長い。爪は触れただけで人を殺せそうなくらい長くて、髪は膝まで伸びている。 「お父さん? まさか、つけてきたの?」  ルイの父親は突然、天馬の服の襟を掴んだ。 「ガハッ!?」  頬に焼けるような衝撃が走って、鉄の味が舌に広がる。視界がぐにゃりと歪む。  右頬に焼けるような熱さが襲って、心の底から怒りが込み上げる。 「天馬? ちょっと、何するのよ!」  リヴィアは慌てて、天馬と自分の父親を引きはがす。  ルイの父親は目が血走っていて息も荒かった。正気じゃない? 「お前がアイツをさらったのか? 混ざりもののお前に、純血と一緒にいる権利なんてないとわかっていながら!」  誰かと一緒にいるのに許可がいるのかよ。 「さらった? ルイがなんであんたの元から離れたのかわかってないのか?」  天馬はわざと、ルイの父親を挑発する。 「お前の教育が悪いから、ルイはハーフの俺を選んだんだ」  口からこぼれた血を拭ってから、天馬はルイの父親を睨む。 「なっ、部外者が好き放題いいやがって!」  ルイの父親が、天馬に向かって拳を振り上げる。 「――やめて、父さん!」  その瞬間、ルイが走って天馬と自分の父親の間に入った。  ルイの父親は思わず拳を降ろす。 「……天馬に、これ以上痛いことしないで。逃げてごめんなさい、そのうちちゃんと帰るから」  ルイの父親が目を見開いてしまう。 「そのうち? 今すぐといえ! 混ざりものと過ごす時間なんて無駄だ。一緒にいたら、お前の血が濁る。わかるか? これはお前のためなんだ」  ルイの父親が手を振り上げる。  ――パンッ!  天馬が二人の間に割り込んで、ルイの代わりに頬を撃たれる。 「「天馬!」」  リヴィアとルイが叫ぶ。 「もう! お父さんさっきから何してんの! 天馬のおかげで、ルイが路頭に迷って、危ない悪魔の家に行ったり怪我したりしなかったんだから、殴る前に感謝しないとでしょ? 本当にありえない!」 「感謝? この俺が、悪魔界で最底辺の混ざりものにか?」  その瞬間―― 『は? 親友? お前と俺が? お前は最底辺で、一緒にいる価値もないのに?』  違う声が頭の奥で響いた。  それは確かに昔、親友にいわれた言葉だった。冷たく、乾いた声。胸の奥が凍るような音。  記憶の片隅にしまい込んで、必死で忘れようとしていた声が蘇ってくる。  何かで射抜かれたみたいに心臓が痛んで、気が付けば天馬は走り出していた。 「天馬!」  遠くからルイの叫び声が聞こえる。足を止めないと、大丈夫だっていわないとと思うのに、止められない。 「はあ……はあ……」  森の中に入ると、天馬はやっと走るのをやめた。  身体が震えている。慌てて自分で自分を抱きしめてもそれは止まらなくて、瞳からは涙がこぼれる。  何もいい返せなかった。  部外者とも、一緒にいる時間なんて無駄とも、最底辺ともののしられたのに。その通りだって思って、自己嫌悪で頭が埋め尽くされて、逃げ出してしまった。  そんなことしないで、ルイを守るべきだったのに。  あんな小さい手で、自分を守ろうとしてた。自分が代わりに前に立って、守ってやらないといけなかったのに――何してんだよ、本当に。

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