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17話 君が好きだった

 ダイニングにあるソファの上で眠っていた天馬は、朝の六時ごろに目を覚ました。身体にかけてあった毛布を折りたたんでから、ルイが寝ている自分の部屋へ行く。天馬は翼に傷ができてから、仰向けで寝ることができなくなった。そのため、最近はずっとソファで、うつ伏せで寝ている。   ルイと一緒に寝て体勢を変えた時に翼が痛くて声を上げたら、心配されると思ったから。 ルイはベッドの上で、ぐっすりと眠っていた。ルイの頬にかかっている髪をそっと払い、指先で頭を撫でる。 無防備すぎるだろ。そう思った瞬間、不意に、ルイの手が天馬の手を掴んだ。寝ぼけているのか、そのまま離さずに握りしめてくる。 「……なんだよ、可愛いな」  つい口に出してから、天馬ははっと息を呑む。   可愛い?   男なのに? 同性なのに?  そんな感情、知らない。持ったことなんて、一度もない。心臓が、ありえない速さで脈打ち始める。握られた手が熱くて、離せなかった。  そっか。自分はルイが好きなんだ。 「あはは。……別れるのを決意する前に、気づきたかったな」  作り笑いをして、天馬はルイの額にキスを落とす。  瞳から涙が溢れて、ルイの髪に落ちた。天馬は慌ててそれを服の袖で拭って、足に力を入れて立ち上がる。 「おやすみ、ルイ。愛してたよ」  かき分けてしまったルイの前髪を直してから、天馬は部屋を出る。 「天馬!」   玄関に着いたところで、ユリシアが声をかけてくれた。 「……行くの? 擬人化の香水は? 天使の魔力だって、まだ」  振り向いて、天馬はユリシアの肩に手を置く。 「ある。人間界に行く前に、ヴェルメイユの店に行って補充もするつもり。そこなら天使の匂いの物もあるだろうから。ごめん、急に家を出ようとして。でも俺、死なないから。それだけは絶対」 「そう。でもいいの? 天馬はルイくんのことが。ルイくんだって、天馬が好きでしょう」   気づいていたのか。 「うん。たぶん、初恋だった。でも俺といると、ルイは不幸になるから。ルイに伝えて。『ごめん。もう面倒見れないから、家に帰れ』って」    ユリシアが目を見開く。 「そんな酷いいい方しなくても!」 「しないとダメなんだ。嫌われないと、俺が好きなままだったら、きっとルイは探しちゃうから。……俺を育ててくれてありがとう、おばさん。幸せだった」  ユリシアの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。 「その言葉が聞けてよかったわ。天馬、いつでも帰ってきて。忘れないで。たとえ、世界中の悪魔と天使が天馬の生き方を祝福しなくても、私と天馬の母親と、おじさんとルイだけは幸せを願ってる」  腕を引っ張られて、そのまま背中に手を回されて抱きしめられる。ただただ涙が溢れた。寂しさと、嬉しさが同時に押し寄せてきて。 「うん。死ぬまで覚えておくよ。ありがとう」 ユリシアの腰に手を回して、天馬はしっかりと頷いた。 「うん。やっぱり天使の魔力が入ってる」  店につくと、天馬はすぐに件の瓶をヴェルメイユに開けてもらった。瓶の中にはベージュ色の髪の毛が三本だけ入っていた。 「匂いだけでわかるのかい?」  ヴェルメイユは首をかしげる。変だと思っているのかもしれない。 「そりゃあ天使と暮らしているから。ヴェルメイユ、これ……もらえる?」 「うーん、天使のものはなかなか入手が困難だからね。それに売り物じゃないからねぇ」 「えっ。じゃあこれはヴェルメイユが趣味で集めたやつ?」  ヴェルメイユは首を振る。 「違うよ。それ、あんたの母親の匂い。昔、いわれたんだ。『これからハーフの子が生まれる。間違いなく、生きるのに苦労する。だからせめて、貴方だけは味方でいて。これを渡すから、味方でいると約束してくれないかって」 「えっ、母さんが?」  そんな約束していたんだ。 「あぁ。あんたは惹きつけれられたのかもしれないね。その匂いに」  そうだと嬉しいな。 「ヴェルメイユ、俺が用意できるものなら何でも渡す。だから……」  天使の髪の毛が入った瓶を握りしめる。 「あんたの髪と交換。天使の髪も高価だけど、ハーフのはもっと高価だからね」 「えっ、そんなので良いのか?」 「あぁ。どうせあんた、これから生活大変なんだろ? それなのに今苦労はさせられないよ」  優しいな。 「ルイの香水と擬人化の香水の代金は?」 「そうだねぇ。あんたのその翼の羽でももらおうかな。とっても痛くないだろう?」  頬に置いていた手を背中に当てて、ヴェルメイユは笑う。何かを企んでいるかのような、悪い笑みをしている気がする。 「なんでそんなに渡しても負担にならないものばかり」 「じゃあルイに渡した香水の分は、あんたの血でももらおうか?」 「へっ、え……」  戸惑った天馬を見て、ヴェルメイユは笑い出す。 「あはは、嘘だよ。あの香水の分はあんたの父親にでも払ってもらうよ。あんたが私にあげられるものなんて、大してないだろ?」  確かに。 「ごめん」  思わず頭を下げる。 「いいよ。元気でいなよ」 「うん。ありがとう。あ……俺がここに来てたって、ルイにはいわないで。行方をくらませたいんだ」 「はぁ。どうせあの子はあんたを見つけると思うけどね」  ヴェルメイユが頬杖をつく。 「え、なんで」  意外な言葉を聞いて、つい本音が漏れる。 「そういうものだよ。どんなに隠れても、探し続けられたら見つかる。たとえそれが十年先でも。地獄の果てにいても」 「ハハ。怖いな。でも俺は、見つけられたいのかもしれない」 「それなら逃げなければいいのに。変な子だねぇ」  確かに。 「かもな。じゃあな、ヴェルメイユ。ありがとう、優しくしてくれて」 「優しく? 勘違いしないでおくれ。私はあんたの母親との約束を守っただけだよ」  天馬は何もいわず、口角を上げる。そういうことにしておこう。  ドアを開けて香水屋を出ると、風で髪が揺れた。  もうやることはない。 「行こう、人間界に」  悪魔界と人間界を繋ぐ門がある方向に足を向けて、天馬は歩き出した。

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