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第1話 いつか家族になってくれる人(2)

 ズキリ、と胸が痛むようだった。  隣にいた颯太ママが、わずかに声を低くして呟く。 「事情も知らずに勝手に決めつけて、どの口が言うんだか。……私、それとなく言ってきましょうか?」 「だっ、だめだめ! よくあることだし、慣れてますから!」  春陽が慌てて顔を上げると、颯太ママはふうと息をついた。 「慣れることないじゃないですか。まっとうに生きてるってのに、あんな言い方ひどくないですか?」 「それはそうかもしれないけどっ――でも、を探して、いろんな人と会ってるのは事実ですし。そりゃあ、噂にもなっちゃいますよ」  自嘲気味に返せば、颯太ママは黙って目を伏せ、それからぽつりと切り出した。 「……そのことなんですけど。実は最近、春陽さんのことを訊きまわってる人がいるらしいんです」  唐突な言葉に、春陽は瞬きを繰り返す。 「え?」 「私が直接会ったわけじゃないんだけど、別のママ友が言ってて。『ご存じありませんか?』なんて、写真見せられたって」 「えええっ!?」 「ちなみに、心当たりとかって?」 「な、ないというか、ありすぎるというか。手当たり次第、アタックしているようなものだから……」  しどろもどろになって答えると、颯太ママの眉尻が目に見えて下がった。 「心配……っ」 「あっ、と! 特徴っ、その人の特徴ってわかります!?」 「若い男の子だったらしいです。確か、黒髪で背が高かったと」 「若い男の子? そんな人いたかな」  春陽は首をかしげる。  思い当たる人物はいたが、「若い男の子」といった感じではないし、今までにマッチングした相手も、そのようなタイプはいなかったはずだ。 「一応、用心した方がいいと思って。変な人じゃないといいですよね」 「はい、ありがとうございます。颯太くんママにはその、いろいろと気づかってもらってばかりで……いつも申し訳ないです」 「そんな! なにかあったら、すぐ言ってくださいねっ。うちの旦那、警察官なんで!」  ……そりゃあ、奥さんもパワフルなわけだ。春陽は「助かります」と笑顔で返した。 (にしても、噂になっちゃってるかあ)  颯太ママと別れてから、人知れずため息をつく。  手当たり次第にマッチングし、メッセージのやり取りをし、可能な限り会いに行く。ここ半年で始めたその行為は、男漁りと言われても仕方ないだろう。   だが、実のところは違う。春陽に色恋を求めるような意図はないのだ。  自分には身寄りがない――春陽は生まれてすぐ、公衆トイレに捨てられた赤子だった。  育ったのは児童養護施設。生まれを調べるようなこともしなかったし、ずっと一人で生きてきた。そして今は、一人で子供を育てている。 (優には……俺しかいない)  最初は一人でも、優のことを立派に育ててみせると思っていた。  けれどもし、自分が事故にあったら? 万が一にでも病気で倒れたら?  そのとき、誰が優を守ってくれるのだろう。誰が愛して、育ててくれるというのだろう。 (何よりも大切な優を、自分と同じような目に合わせたくない)  だからこそ、必死にもなる。優のことを受け入れてくれて、家族になってくれるような存在を必死に求めている。  自分がどう思われようと関係ないし、気にしたところで何かが変わるわけじゃない。  しかし――先ほどのやり取りだけは、胸のどこかに引っかかっていた。 『実は最近、春陽さんのことを訊きまわってる人がいるらしいんです」  若い男の子。黒髪で、背が高い。  ……考えを巡らせても、思い当たるような人物はいない。  気になりはしたが軽く頭を振って、気分を入れ替える。腕時計を見れば、まだ午前九時前だ。 (考えても仕方ないっ、俺も頑張んなきゃ!)  帰宅してからの数時間は、あっという間だった。  朝食の片付けに洗濯。軽い掃除を済ませてから、オンラインで職場との打ち合わせ。  請け負っていた仕事が一段落ついたあたりで、スマートフォンが鳴った。確認すれば、マッチングアプリの通知である。 《時間が取れたので、春陽さんがよければ会いませんか?》  表示されたメッセージの主は、先日アプリ内で知り合った男だった。  優の迎えまでまだ時間がある。少しでも可能性のある相手だといいと願いながら、春陽は手早く返事を打ち込んだ。

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